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益城郡山崎原合戦

ましきぐんやまざきはらかっせん

益城郡山崎原合戦(ましきぐんやまざきはらかっせん)とは、 建武四年(延元二年・西暦1337年)三月二十二日に、 [[少貮頼尚]]の家臣・[[饗場小太郎]]の率いる南朝討伐軍が、 肥後國益城郡山崎原(隈本縣下益城郡豊野村大字山崎)で、 [[南朝]]の[[菊池次郎武重]]と[[恵良小次郎惟澄]]の連合軍に撃退された合戦。
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合戦経過編集

  • 建武四年(延元二年・西暦1337年)三月二十二日に、

少貮頼尚の家臣・饗場小太郎の率いる南朝討伐軍が、

肥後國益城郡山崎原(隈本縣下益城郡豊野村大字山崎)で、

南朝菊池次郎武重恵良小次郎惟澄の連合軍を、討伐した。

南朝討伐軍は、小野新左衛門以下数十人が討死したので退却した。


参考文献編集

  • 隈本縣下益城郡城南町史(城南町史編纂会、1965年7月)
  • 隈本縣菊池市史・上巻(菊池市史編纂委員会、1982年3月)
  • 隈本縣上益城郡嘉島町誌(嘉島町誌編纂委員会、1989年9月)
  • 隈本縣下益城郡豊野村史(豊野村史編纂協議会、1991年3月)
  • 隈本縣新隈本市史・通史編・第二巻・中世(新隈本市史編纂委員会、1998年3月)

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