人物
トーマス・ロックリー(Thomas Lockley、1978年 - )とは、イギリス出身の英語教育者、歴史修正主義者。日本大学法学部准教授。ロンドン大学東洋アフリカ学院(SOAS)客員研究員。
イギリス生まれ、日本在住。担当教科は歴史と英語。本来の専門は言語学で歴史学の専門教育は受けていないが、日本やアジアの歴史に関する多くの研究も行ない、著書では国際的視野に立った日本史を扱う。日本語の著書などでは姓が先に書かれ、「ロックリー・トーマス」または「ロックリー トーマス」と表記される。
髪と瞳の色はブラウン。英語はイギリス訛りで話す。2024年に発行した著書(英語部分の「著者について」)によると、家族と共に千葉で暮らしていた。
現在、弥助に関する捏造行為が発覚した後SNSの全てのアカウントを削除し逃亡、日本大学の講義は休講し所在不明。
なお、ブリタニカの編集は続けており、懲りずに自作自演を繰り返している模様。(2024/7/24時点)
経歴
1978年、イギリスで生まれる。
2000年、JETプログラムの参加者として来日し、ALT(外国語指導助手)として鳥取県鳥取市の小学校で2年間勤務。
2015年、ウィキペディアにてユーザー名「tottoritom」で自身の未発表の論文を出典としつつ、その内容に沿って史料の文面並べ替えや追記を行って弥助編集を始める。
2016年、織田信長に仕えた弥助に関する論文「The Story of Yasuke: Nobunaga's African Retainer」を『桜文論叢』に発表。
2017年、初めての著作となる『信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍』を発行。
2019年、日本大学法学部の准教授、およびロンドン大学東洋アフリカ学院(SOAS)の客員研究員となった。
同年4月、Geoffrey Girardとの共著『African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan』を発行。
同年5月12日、Youtubeチャンネル「The Black Experience Japan」で上記の著書と弥助について熱弁した。
2024年、著書『A Gentleman from Japan: The Untold Story of an Incredible Journey from Asia to Queen Elizabeth’s Court』を発行。
同年6月18日、Youtubeチャンネル「Lance E. Lee Podcast from Tokyo」で著書について熱弁した。
その際、「A GENTLEMAN FROM JAPAN - Thomas Lockley - Lance E. Lee Podcast-Episode#364」(削除済み)
の57:07でこの後触れる「アサシンクリードシャドウズ炎上騒動」について「自分の本の宣伝になって嬉しい」と無関係な他人事のように笑いながら発言していた。
7/16 投稿
2024 年 6 月 11 日撮影
「Book Break: Thomas Lockley, author of "A Gentleman from Japan"」
でも1:12:40でアサシンクリードシャドウズについて「悲しいことに自分とは何も関係ない」と責任感の欠片も無い発言している。
2024年7月20日現在、日本大学の講義は休講し逃亡中。
不祥事
彼が日本で注目され始めたのは、2024年にアサシンクリードシリーズの最新作『アサシンクリードシャドウズ』の主人公に弥助の起用が発表されたことがきっかけである。
初の実在人物起用であるうえに、舞台となる国・地域に住む人種を主人公にするのがほぼ通例であったため、特に海外では「物語的面白さよりもポリティカル・コレクトネスを優先した人選ではないか」という批判も持ち上がったが、この段階では日本での反発はさほど大きくなかった。
しかし、本作のあまりにも低い日本の再現性やアジア全体を軽視するような制作陣の姿勢などが明らかになるにつれ、日本でも開発元であるUBISoftへの発売中止署名が始まるほどの炎上となった(この詳細は「アサシンクリードシャドウズ炎上騒動」の記事を参照)。
その過程で、海外において弥助像が独り歩きし始めている(※)こと、その根底に氏の著書である『African Samurai』が影響を及ぼしているらしいことが注目されるようになり、氏の思想や言動にも疑念が向けられるようになった。
※:『シャドウズ』の弥助起用発表に先駆けて同年に世界で配信された『shogun』でも、「日本には“侍が勇敢なのは、黒人の血を少しでも受け継いだからだ”ということわざがあるから、本作の(非黒人系の)侍たちは本来臆病なはずだ」という旨のネット記事が掲載され、悪い意味で注目されていた(該当記事)。
掲載したのは黒人向けの情報配信サイトであり、大手メディアで大々的に批判が展開されたわけではない。しかし、逆に言えば弥助のみならず黒人全体に関して「黒人がいてこその侍」との風潮が広まり始めていた証左とも言える。
この時点で彼が実際にどの程度『シャドウズ』開発に関与したかは不明(ディレクターへのインタビューで「日本在住の歴史専門家3人に協力してもらった(該当記事)」との発言があったのみで、符合はするが確証には至っていなかった)ではあったが、ドイツ語で日本語についての学習動画を投稿している「Einfach Japanisch」氏が、日本向けの『信長と弥助』と海外向けの『African Samurai』での内容の違い、また弥助の身分に関する日本と海外での主張の違いなどを指摘したことで、少なくともロックリーは明確に二枚舌を使っていることが確定している。
『シャドウズ』側にネット上の情報を鵜呑みにして制作や宣伝を行っている節が多々見られたことも、直接の関係は無いまでもロックリーの主張を精査もせず取り込んでいるのではないかという疑念に繋がっている。
さらに、2015年に英字版ウィキペディアの弥助記事にて、ロックリー自ら「tottoritom※1」のアカウント名で自身の未発表の論文を出典としつつ、その内容に沿って史料の文面並べ替えや追記を行っていたことも判明した(当たり前だが、ウィキペディアでは「自分の主張を書き込むこと」は禁止事項に該当する。参考※2※3)。
それ以降も、
- 2017年1月、出典を、論文を元に執筆した日本語の一般書籍『信長と弥助』に変更
- 2018年10月、記事内の自分の名前から、「トーマス・ロックリー」の記事に移動できるよう編集
- 2019年1月、同年中に発売予定の『African Samurai』を、英語で初の弥助に関する完全版書籍との触れ込みで紹介
など、ダイレクトマーケティングとしか言いようのない編集を重ねていた。
※1:tottoriは日本におけるロックリー最初の勤務地「鳥取」と、tomは「トーマス」の代表的な略称と読み取れる。また、未発表論文を引用できる立場であることに加え、tottoritomのユーザーページではご丁寧にもロックリー本人だと名乗っている。
※2:ここで注意すべきは、自著や自分自身の売り込み(自分に関する情報の発信)はしていても、自身でウィキペディアに書き込んだ内容を自著に反映させた形跡は見られない点である。
日本向けの『信長と弥助』はまだ論文に沿った内容であったが、『African Samurai』ではかなり飛躍しており、査読済み論文をベースに記述されるウィキペディアの内容を反映させたとは言い難い。
また、「2016年に発表される論文の査読を通すため、2015年に前もって追記したウィキペディアをソースにした」という説も、編集概要に「弥助に関する研究についての私(tottoritom)が行う編集」と明記してある以上、よほどの査読ガバがなければ可能性は低いだろう。
※3:このウィキペディアでの編集が弥助伝説が盛られて流布された原因と言われるが、これも的確ではない。未発表論文をベースにした追記はある程度セーブされた内容、かつすべてではないが差し戻された形跡があるほか、『African Samurai』ダイマ編集は1ヶ月程度で削除の憂き目にあっている。
弥助伝説の流布の始まりはあくまで、『African Samurai』の発売とそれに伴うインタビューによる情報拡散だろう。
なお、日本語で出版された「信長と弥助」は内容自体は比較的まっとうなものだが、資料を基に「足りない部分を自分の想像や空想」で補った事実上の小説である。しかし、(出版や流通の連帯責任ではあるが)「ノンフィクションの”歴史本”」として国内外で宣伝している。
そのため、小説パートであるこの本の第一章には「イエズス会は奴隷を使うことは普通なかった(補足だが、同じポルトガル人の商人は日本人含めて奴隷を大量に扱っていた一方、イエズス会がポルトガル国王に日本での奴隷貿易禁止令の発布を求めていた)」「(九州内陸部の地元名士の間で)権威の象徴として黒人奴隷を使うのが流行ったようだ」といった記述もあり、それが
「イエズス会は奴隷制に反対していたが、日本人の要請で嫌々奴隷を売った」
という真偽不明な議論や主張を生んでいる。このことが一連の騒動を契機に日本に知れ渡ると、大学准教授による歴史捏造問題として本格的に責任追及が始まる事態になっている。
それに続き、ロックリーの本を「嘘」とX(旧Twitter)上で批判したポストに対し、「東京国立博物館アンバサダー」や「日本政府観光局特別顧問」など複数の肩書を持つデービッド・アトキンソン(ロックリーと同じイギリス系白人でもある)が、「嘘だった証拠を出せ、出せないなら嘘ではない(要約)」と悪魔の証明を求める形で擁護するリプライを飛ばす(参考)という事態が発生。
自身の肩書を笠に着つつ(権威に訴える論証)、批判コメントは黙殺し(チェリーピッキング)、自身の主張に合うコメントだけはリポストする(衆人に訴える論証)と、凡そ論理的とは言えない態度を重ねて火に油を注いだ。
そもそも弥助伝説自体基になる史料が少ない上に論拠が全く存在しないというのが実情であり、論理的には「空想」にも劣る妄想のレベル。
そもそも、弥助が仮に重用されて侍、武士と主張するのなら「姓(役職)」か「名字(屋号)」のどちらかは最低記された「証拠」がある事が最低基準となる。
ちなみに勉学の道を歩むものなら「証拠の無いものは無いとして扱う」のも「最低基準」である。
また、「誰それが発表した」というのは評価対象外である。(ロジカルシンキングの初歩の初歩の初歩)
このように「虚偽」に基づき何らかの態度や思想を真実に基づくと嘘を表明する・させること自体が立派な詐欺に当たる。
要は殆ど犯罪の行為である。
もちろん、学会や権威全体がこのように腐敗していたわけではなく、アメリカの日本研究者であるオリバー・ジア氏は日本で黒人奴隷が流行していたという説を全否定し、「私は半年前から言っていた。トーマス・ロックリーの馬鹿げた作り話だと」と述べていたなど、この騒動の前から彼を危険視する向きもあった(参考)。
実のところ、該当の記述は「弥助は流行の発信者であり草分けでもあった」と続いており、ロックリーの意図としては「弥助の魅力と周囲への影響」を盛るのが目的だった可能性が高いのだが、
第三者の介入によって黒人の奴隷化自体が争点となってしまい、日本人からも「白人は自分達の罪をアジア人に擦り付ける気か」と一層の反発を招く結果になっている。
他にもロックリーは、日本の史学者の査読が通らない海外では(一応は創作と明言しているものの)『African Samurai』以上に好き勝手なデタラメを並べていることが判明しており、
- Oda believed Yasuke to be either a guardian demon or “Daikokuten,” a god of prosperity usually represented by black statues in temples.(織田信長は弥助を守護鬼か、神社で繁栄の神として祀られる大黒天ではないかと信じた)
- within a month he’d become a valued samurai and member of Oda’s entourage,(一ヶ月もしないうちに側近として重宝される武士となった)
- Legend has it, says Lockley, that Oda’s last order to Yasuke was to take his sword and his decapitated head to his son.(ロックリーによれば、織田の最後の弥助への命令は、彼の刀と首を彼の息子に届けることだったという伝説がある)
CNN 「African samurai: The enduring legacy of a black warrior in feudal Japan」より引用
といった具合である。
つまるところ彼は、日本人の目がある場所では品行方正な歴史研究家の皮を被り、それが無くなると自ら作った根拠薄弱な物語を吹聴するという周到な二枚舌で、弥助伝説の既成事実化を試みていたのである。
また、黒人奴隷流行の記述は、ロックリーの本意だったかは別として、権威ある肩書を持った人物の「お墨付き」をもらってしまうなど一定の追認がなされつつあった。
こうして「日本人が好んで黒人奴隷を『輸入』し、使役していた」との説が海外で既成事実化されていった場合、その調達元とされるアフリカ諸国との人種間対立や外交問題に発展しかねない。それもイギリス系白人という第三勢力による対立煽りのような形で、である。
そのリスクを考えれば、このタイミングで発覚したのは不幸中の幸いという声もある。
彼の狡猾、もしくは姑息にしてタチの悪いところは、否定する根拠も乏しいグレーゾーン的な題材を選び、特に題材に対して理解の浅い人間を相手にしつつ、一次資料の存在しない仮説に対しては「フィクションである」との予防線も張りながら、「歴史考証、解説」を目的とする場に入り込んでそれらを売り込み、さもそれが当事国で事実上受け入れられた通説であるかのように吹聴しているところである。
そもそもロックリーの専門は「英語教育」であり、「歴史の専門家」ではなく「門外漢のど素人」でしかない。
少しでも日本の歴史や小説に興味がある人であれば、「司馬史観」という言葉と、それが後世に与えた影響について、良かれ悪しかれ耳にしたことがあるだろう。あくまで個人的な好き嫌いを混ぜ込んだだけでも、史実とフィクションの区別が付かなくなる読者は生まれるのである。それを明確な悪意、作意の下で行えばどうなるかということであり、ロックリーがやっていることはつまりそういうことである。
…というか、あえて悪い言い方をすればまとめwikiのキャラクター項目に非公式の二次創作の設定や活躍を勝手に書き込む荒らしとやってることがほぼ一緒。(上記のウィキペディアでの騒動がまさしくそれであるが故に余計にそう思わせる。)
なお、ロックリーはウィキペディアでの問題が発覚する前、2024年6月末の時点で「『シャドウズ』とはなんの関わりもないのに本作の件で誹謗中傷が相次いだ」との理由で、SNSを全て削除して逃亡している。
…のだが、appleのポッドキャストにてUBIのスタッフと本作について対談する番組の存在が確認されたため、開発への関与はともかく「本作とは無関係」という弁明も嘘と判明している。
余談になるが、『シャドウズ』公式は弥助のことを「圧制者から日本を救う伝説の侍」と宣伝していたのだが、この「圧政者」が何を指すのかは不明瞭で、クオリティとは別の謎となっていた。
しかし、黒人奴隷流行説の広まりと、UBIとロックリーの距離感とを照らし合わせていけば、「弥助が日本の黒人奴隷を解放するシナリオなのではないか」という縁起でもない考察さえ持ち上がってくる。
仮にこの考察が事実となるならば、この件の関係者らの言動、行動は肩書や題目に対して極めて無責任なものであると言う他ない。そればかりか、濡れ衣を着せられる形になった日本人からの黒人人種とそれを擁護する団体への反感・悪感情の発生も必至であり、誰にとっても得にならない悲劇的な結末を迎えることになりかねない。
注意点
そもそもにして
最初に記載しておくが、当問題において真に批判すべき要点は、『ロックリーの発言内容や主張する仮説の真偽』ではない。
- もとより『史実』とは『様々な当時の史料と、そこから派生する幾十もの仮説を照らし合わせ、その中で最も史料との矛盾が無く当時の状況、情勢との合理性を生じさせる仮説』の事を指すからである。どんなに荒唐無稽な内容だとしても仮説の存在そのものを否定する事は良しとされない。
ロックリーが真に批判されるべき点は、『可能な限り史料に基づく事実のみを述べるべき場と肩書きにおいて、相手の歴史に対する理解が浅いと見るや、自ら自身の「創作」と認めている絵空事を織り混ぜた不確定な情報を流布し、ロックリー自身と自身の著作物を売り込む為のマーケティングの場として利用していた歴史研究に対する不誠実さ』にあるのだ。
要点を見失った批判は論点剃らしと逆批判に利用されるだけである事を考慮した上で、下記に目を通して貰いたい。
九州内陸部での奴隷流行記述からのデマに関して
- そもそも発端となった文を除いて、トーマス・ロックリーの著書や論文にそんな記述は見当らない。
- むしろ、批判派が「トーマス・ロックリーが主張している」と主張している「イエズス会の修道士・宣教師はアフリカ系の奴隷を使用していなかった」という記述は見当らず、トーマス・ロックリーの著作では「イエズス会の関係者は表面上は奴隷売買に反対していたが、極めて姑息な理屈で『どう考えても奴隷として扱われている人々』を『これは奴隷ではない』と言い張っていただけで、実際には奴隷売買に深く関わっていた」という記述は結構有る。
- 批判派が「トーマス・ロックリーが主張している」と主張している「日本こそが黒人奴隷発祥の地である」という記述は、少なくともトーマス・ロックリーの著書「信長と弥助」には見当らない。
- もちろん、「信長と弥助」の内容を要約すると「イエズス会関係者の奴隷だった弥助が信長によって士分に取り立てられた」というものなので、そこに更に「黒人を奴隷にする風習は日本発祥だった」という主張まで盛り込むと、2つの主張の辻褄を合わせる為に複雑怪奇なロジックを展開せざるを得ず、主張・テーマがぼやけた内容になりかねない。
- 「信長と弥助」では「イエズス会士は(表面上は)奴隷制度に反対していた」という趣旨の文章の直後に「だが、(アジアに来ていた)ヨーロッパ人の貿易商などは(イエズス会士とは)異る行動原理を持っていて、アフリカ系の使用人を使っていた」という記述が(それも批判派が「ロックリーは黒人奴隷を使う風習は日本発祥だ、と主張している」の根拠にしている文章の直前に)有るので、この時点で批判派の「ロックリーは黒人奴隷を使う風習は日本発祥だ、と主張している」という意見は無理筋。
- 「信長と弥助」内の「ロックリーは黒人奴隷を使う風習は日本発祥だ、と主張している」という意見の根拠にしている箇所を前後のページまで読むとロックリーの主張は「日本の一部の地域の上流階級の間で権威の象徴として黒人奴隷を使うのが流行った」という以外の解釈は困難であり、しかも、その「日本の一部の地域」についても「せいぜい九州北部」以外の解釈も、これまた困難。
- ただし、当該ページだけ見れば、批判派がそう誤解するのも仕方ないが、裏を返せば、批判派の大多数は当該記述が有るページしか見ておらず、意図的か過失かは別にして、一部の記述だけを前後の文脈から切り離した上で無理筋な解釈をネット上で拡散している事になりかねない。
- 「信長と弥助」内には、そもそも、「黒人奴隷の風習がどこで始まったのか?」に関する記述は一切無い。
- 英語力や専門的な書籍・論文を読むための前提となる知識やスキルが無い人(一般的な「奴隷」のイメージと歴史学や社会学での「奴隷」の定義の違いが判っていない、一般的な論文や書籍において「この箇所は他文献からの引用である」事を示す場合には普通はどう云う書き方をするかを良く知らない、など)が予断や偏見をもった状態で関連文献を読んでしまった事による誤読ではないのか?
- 自然科学関連でのトンデモ説にありがちなパターンで喩えるなら「相対性理論は間違っていた」「進化論は間違っていた」と主張している人達の言う「相対性理論」「進化論」が、往々にして、実際の「相対性理論」「進化論」とは何かズレた代物になっているような事態。
- つまり、批判派による「トーマス・ロックリーは二枚舌」という評価は誤読の結果であって、トーマス・ロックリーは時と場合によって違った主張をする事などしておらず、むしろ、それが正しいか否かは別にして、ずっと一貫した主張をしてきたのではないのか?
- 駄目な報道機関を批判する時の常套句「一部の文章だけを全体の文脈から切り取って曲解した上で火の無い所に煙を立ててる」と同じ事をやってるだけなのでは?
- トーマス・ロックリー批判派の多くが、トーマス・ロックリーの著作の中でも、せいぜい、「お試し読み」の無料公開部分しか読んでいないのではないのか?
- トーマス・ロックリー批判派がトーマス・ロックリーの主張のどこがどう間違っていると言いたいのか判りにくい。
- 例えば、「『日本こそが黒人奴隷発祥の地である』は嘘だ」と「『弥助が侍扱いされていた』は嘘だ」というトーマス・ロックリー批判の代表格は両立しないとは言えないまでも、対立する意見なのではないのか?
- 「トーマス・ロックリーは2枚舌」に見えるのは「トーマス・ロックリーの主張のどこがどう間違っているか」に関しては、ほぼ正反対の意見の人々が、トーマス・ロックリーを批判しているという共通点により野合しているせいなのではないのか?
- 「日本こそが黒人奴隷発祥の地である」はともかく「弥助が侍扱いされていた」が何故「日本を貶める言説」なのかが判りにくい。
- 批判派がトーマス・ロックリー本人が書いた英語の文献・論文や、トーマス・ロックリーが参考文献としてあげている英語文献の内容を確認するのにGoogole翻訳やAI翻訳などの(ちゃんとした知識が有る人間が行なった翻訳と比較すると)正確な翻訳である事が保証出来ない翻訳方法を使用している場合が有る。(その為、カフル人→黒奴などの原文では価値中立的な表現だったものが日本において人種差別的な偏見が現代よりも強かった時代の古く問題のある翻訳の影響を受けてしまっている、など)
- トーマス・ロックリー批判派が批判の際に参考にしている事が多い「大航海時代の日本人奴隷」(ルシオ・デ・ソウザ)には、むしろ、トーマス・ロックリーの主張に近い記述が多々有る。
- 「トーマス・ロックリーは2枚舌」という主張はトーマス・ロックリーへの批判を反証可能性のない疑似科学に変えてしまうものでは?
- 批判派の大半が、アカデミックな歴史学の教育を受けた人達では無く、歴史学上の定説のガン無視やロジックの破綻に関しては、トーマス・ロックリーよりもトーマス・ロックリー批判派の方が遥かに酷いのではないか?
- 例えば、アンチ・リベラル派の歴史学者でさえ、本件に関しては「トーマス・ロックリーの主張にはトンデモと見做されて仕方ない点や間違いも多々有るが、批判派の主張の方がトーマス・ロックリーの主張より遥かに無茶苦茶」という立場。
- トーマス・ロックリーを批判している人達のロジックが、まるで陰謀論を信じている人達にありがちな思考パターンそのもの。
- 例としては「『敵』は極めて大きな社会的影響力を持ちながら、何故か妙にマヌケな所が有り、『俺達』は、専門家が見落していたその陰謀を見抜く事が出来た」「専門家は信用出来ない。何故なら『敵』に取り込まれてしまっているか、『俺達』が見抜く事が出来た『敵』の陰謀を見抜けないマヌケだから」
などの批判(トーマス・ロックリーへの批判に対する再批判)も有るには有るので注意が必要。
トーマス・ロックリーの主張・学説は歴史修正主義なのか?
歴史修正主義的な主張の大半、特に歴史修正主義の「代表選手」と言うべき「ホロコースト否定論」には、
- 単に間違っているだけではなく、どこをどう間違ったかや、どんな間違った結論に至ったかに関しては、極めて陳腐・凡庸。
- 独創的な新説に見せ掛けてるだけで、実の所は同じような間違いを複数の人物が同時並行でやらかしている事も多く、逆に独創性・新規性が欠けているからこそ、その分野の専門知識が無い人間にとっては、歴史修正主義的な主張の方が直感的に理解・納得し易い場合さえ有る。
- 自然科学におけるトンデモ説に置き換えて喩えれば『相対性理論は間違っていた』『進化論は間違っていた』的な主張の大半がSF系のフィクションのネタとしてさえ使えない程の出来が悪いし独創性も無い代物であるように歴史系のフィクションのネタとして使うにしても質が悪い。
- 間違っていると判った上でフィクションで使っても面白い展開にするのに役に立たない。
- 単に『現在の定説』以前の『既に論破されて捨て去られた古い定説』を新しい独創的な説に見せ掛けようとしているだけ。
- 歴史修正主義(元々は当事者に都合のいい自称)より否認主義という呼び方がより適切で実態が判り易い。
- 早い話が、その説が唱えられた時期より前ではあっても「比較的最近」の新しく見付かった重要な史料・証拠や新しい知見などを無視・否定しないと成り立たない説・主張の場合が多い。(ホロコースト否定論であれば、新しく見付かった史料・証拠をガン無視するか捏造と決め付ける事でロジックを組み立てている)
- 否定している学説(ホロコースト否定論であればホロコーストに関する一般的な学説)を唱えている側のわずかな、または例外的なミスを針小棒大に取り上げる事で「その学説が間違いである事は既に明らかになっており、世間一般の人々の間でも、その学説は嘘だと思っている人の方が多数派であり、未だに肯定しているのは専門馬鹿の学者達か思想的に偏っている者達だけ」という印象操作を行なう。
- 「専門的な研究者が唱える説に対する、そうでない者達による批判」という形を取る事が多い。
- 分析的・論理的・アカデミックな「知性(intelligence)」よりも「予断や偏見が無い素人」による実践的・経験的・現実的な「知恵(wisdom)」こそが真実に辿り着ける筈だ、という「反知性主義(anti-intellectualism)」的な傾向が有る。
と言った特徴が有るので、トーマス・ロックリーの主張・学説を歴史修正主義に分類したとしても、歴史修正主義の中では、かなりの特異ケースと言える。
言い方を変えれば、トーマス・ロックリーの学説・主張と歴史修正主義の代表格であるホロコースト否定論を比較すると、ほぼ正反対の要素がいくつも有り、トーマス・ロックリーの主張・学説を歴史修正主義に含めても、ホロコースト否定論の否定などで培われた対「歴史修正主義」用のノウハウ・知見は、トーマス・ロックリーの主張・学説への対抗言論に使っても巧く機能せず、下手をしたら「歴史修正主義についての知識は半端に有るが、トーマス・ロックリーの主張・学説への知識・関心は余り無い」ような者は、トーマス・ロックリー批判派の方が「歴史修正主義者がやりがちな事を、ほぼ全部やっている」ような印象を持ってしまう危険性が有る。
トーマス・ロックリーへの批判を行なうにあたっては、これまでの歴史修正主義批判の定石とは別のロジックを考案・展開すべきであろう。
当問題に関するデマについて
ロックリーの行動に問題があったのは事実だが、その一方でこの手の騒動にありがちなデマの流布も発生しており、ソースの確認が行われず、誤情報が拡散してしまっている状態になっている。
例えば、
- ロックリーの著作・論文などで「別の文献・論文からの引用」である事が明記されている文章を、引用元の文献・論文に本当にそのような記述が有るか確認せずに、もしくは、他の論文・文献からの引用部分とロックリー本人が書いた箇所の区別が出来ないまま、ロックリーの独自主張のように喧伝する。
- 例えば「戦国時代の日本では黒い肌が神聖視されていた」という記述はロックリーの主張ではなく、他文献からの引用であり、実際に当時の日本またはその近辺を訪れた西洋人の日記などでも「日本では黒い肌が神聖視されている」という記述が有る(金属製の仏像で黒く見えるものが多かった事による誤解)。
- 生成AIにロックリーの主張を要約させたものの中でも、ロックリーの主張に本当に近いものではなく、なるべく無茶苦茶な内容のものを意図的に選んで「ロックリーの主張だ」と言ってSNSに投稿する愉快犯。
- 主にロックリー批判への再批判への反論として「ロックリーの著書には『日本こそ黒人奴隷の発祥の地だ』などという主張は、どこにも見当たらない」と主張している解説動画の内容を「この人も『ロックリーの著書には"日本こそ黒人奴隷の発祥の地だ"と書いてあった』と言っている」と要約してSNSに投稿する。
などが挙げられる。
Togetterは両論がまとめられており、「弥助」等で検索してソースを確認するのが賢明だろう。
例)
日本大学准教授、弥助問題、デマが問題追及の障害に 「日大経歴抹消→まだある」「NHK番組抹消→去年から消えてる」他多数
著書
- 『信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍』2017年1月25発売、ISBN-13 978-4778315566
- 『African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan』2019年4月30日発売、ISBN-13 978-1335141026
- 『英語で読む外国人がほんとに知りたい日本の文化と歴史』2019年7月24日発売、ISBN-13 978-4487812882
- 『英語で読む日本の歴史をつくった女性たち』2022年3月22日発売、ISBN-13 978-4487815364
- 『A Gentleman from Japan: The Untold Story of an Incredible Journey from Asia to Queen Elizabeth’s Court』2024年5月21日発売、ISBN-13 978-1335016713
関連タグ
弥助 実在創作 歴史捏造 文化侵略 自作自演 黒幕 デービッド・アトキンソン
日出処の天子:「大学教員ではあるが、あくまでその分野の専門家でない者によって書かれた専門家からは多くの批判がなされているベストセラーになっただけの一般書」を元ネタにして書かれた作品。ただし、同時に日本漫画(女性向け漫画)史上に残る傑作という定評が有る。