ピクシブ百科事典は2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

三枚舌外交

さんまいじたがいこう

三枚舌外交とは、第一次世界大戦時のイギリスが展開した畜生戦略である。
目次 [非表示]

概要

第一次世界大戦時、敵国であったオスマン帝国の力を削ぐためにイギリスが行った外交政策


当時オスマン帝国はパレスチナ地域を含む中東の大部分を支配する国家であった。末期は「死にかけの病人」とさえ揶揄されたが、それでも中東での力は絶大であった。


①当時富裕層であったユダヤ人に対しては「協力するならパレスチナにユダヤ人国家設立をする」と言った(バルフォア宣言)


②そして味方国家であるフランスロシアに対しては「オスマン帝国の領土をパレスチナ含め分け合う」と密約協定を結んだ(サイクス=ピコ協定)

後にロシア革命を起こしたレーニンがサイクス・ピコ協定を暴露。ロシアが協定から離れ、サイクス・ピコ協定を知ったアラブ人は激怒。


③さらにオスマン帝国の支配を受けていたアラブ人には、「オスマン帝国に反逆するなら独立を支援する」と表明した(フサイン=マクマホン協定)


結果、現在のパレスチナ問題クルド人問題に繋がり、中東世界に大混乱をもたらした。


解釈

サイクス・ピコ協定とバルフォア宣言

⋯前述の通りサイクス・ピコ協定はロシアの離反で成立していない。

バルフォア宣言には「ユダヤ国家」ではなく、「居住地」と記載されていた。パレスチナを国際管理しながら、同時にユダヤ人の居住地を建設することは可能である。そのため、サイクス・ピコ協定とバルフォア宣言に矛盾はない、という解釈もできる。


フサイン=マクマホン協定とバルフォア宣言

フサイン=マクマホン協定では「ダマスカス・ホムス・ハマー・アレッポより西は省く」とされてる(=つまりパレスチナは省かれてると見れなくもない)なのでこれも矛盾していないという意見もある。また「パレスチナにはアラブ人の居住を認める(=パレスチナではみんな仲良く暮らしてね)」とはされており、結局イギリスが先を見通せなかったことが原因で、中東の問題は様々な要因が絡んでいて非常に複雑でもあり当時のイギリスに押し付けるのもなかなか難しい問題…なのかもしれない。


結局1947年にイスラエルとパレスチナは分離して共存の道は夢物語と終わった。


関連タグ

イギリス イギリス史 中東 パレスチナ問題 クルド人 外交 ブリカス

  • 二枚舌…舌が一本少なくても嘘つきの意味。解釈によって三枚舌外交は二枚舌になったりする。

外部リンク

イギリスの「三枚舌外交」が中東にもたらした影響とは?国際政治を学ぶライターがわかりやすく解説

関連記事

親記事

イギリス史 いぎりすし

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

pixivに投稿された小説 pixivで小説を見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 2555

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました