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益城郡森崎原合戦

ましきぐんもりさきはらかっせん

益城郡森崎原合戦(ましきぐんもりさきはらかっせん)とは、 建武四年(延元二年・西暦1337年)四月二日に、 [[九州探題]]・[[一色道猷範氏]]の家臣の[[三村又次郎]]の率いる南朝討伐軍が、 肥後國益城郡森崎原(隈本縣上益城郡嘉島町大字森崎)で、 [[南朝]]の[[菊池次郎武重]]と[[恵良小次郎惟澄]]の連合軍に撃退された合戦。
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合戦経過編集

  • 建武四年(延元二年・西暦1337年)四月二日に、

九州探題一色道猷範氏の家臣の三村又次郎の率いる南朝討伐軍が、

肥後國益城郡森崎原(隈本縣上益城郡嘉島町大字森崎)で、

南朝菊池次郎武重恵良小次郎惟澄の連合軍を、討伐した。

  • 南朝討伐軍は、

三村又次郎を始め竹崎新五郎平田太郎が討死したので退却した。

南朝討伐軍が、退却した時は、椙嶋・大渡川まで南朝軍に追撃された。


参考文献編集

  • 隈本縣下益城郡城南町史(城南町史編纂会、1965年7月)
  • 隈本縣上益城郡嘉島町誌(嘉島町誌編纂委員会、1989年9月)
  • 隈本縣新隈本市史・通史編・第二巻・中世(新隈本市史編纂委員会、1998年3月)

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