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山門郡小清水山合戦

やまかどぐんこしみずやまかっせん

山門郡小清水山合戦(やまかどぐんこしみずやまかっせん)とは、 暦應元年(延元三年・西暦1338年)十零月十四日に、 [[九州探題]]・[[一色道猷範氏]]の率いる南朝討伐軍と、 [[少貮頼尚]]の家臣の龍造寺彦三郎家貞の率いる南朝討伐軍が、連合して、 南朝の[[菊池八郎武豊]]が守る筑後國山門郡小清水山と中尾畑城を、攻撃した合戦。
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合戦経過編集

少貮頼尚の家臣の龍造寺彦三郎家貞の率いる南朝討伐軍が、連合して、

暦應元年(延元三年・西暦1338年)十零月十四日に、

南朝の菊池八郎武豊が守る筑後國山門郡小清水山と中尾畑城を、攻撃した。

少貮頼尚の家臣の龍造寺彦三郎家貞の率いる南朝討伐軍は、

南朝の菊池八郎武豊が守る筑後國山門郡小清水山と中尾畑城を、攻撃したが、

南朝の菊池次郎武重恵良小次郎惟澄の連合軍が、援軍に来た事に由り、

攻略が出来無かったので、退却した。


龍造寺彦三郎家貞の軍忠狀編集

  • 建武五年(延元三年・西暦1338年)八月二十八日に、

元號は、暦應に改元されたが、京都朝廷天皇と京都幕府將軍が、

南朝を建國した帥宮尊治親王(後醍醐帝王)との抗争中で有った事に由り、

暦應に元號が改元された事を知らせる事が遅れた。

  • 暦應元年(延元三年・西暦1338年)十零月十六日に、

龍造寺彦三郎家貞が作成した軍忠狀は、建武五年と記載されて行る。


参考文献編集

  • 佐賀縣佐賀市史・第一巻(佐賀市史編纂委員会。1977年7月)
  • 福岡縣竹野郡田主丸町誌・第二巻(田主丸町誌編集委員会、1996年10月)
  • 福岡縣みやま市史・資料編・上巻(みやま市史編集委員会、2017年3月)
  • 福岡縣みやま市史・通史編・上巻(みやま市史編集委員会、2019年3月)
  • 福岡縣みやま市史・普及版・ふるさとみやま(みやま市史編集委員会、2021年3月)

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