1590年、秀吉が小田原城の西にあった笠懸山に築城した陣城。
別名「石垣山一夜城」。
北条方に知られないように密かに築城が進められ、施工からわずか80日にして完成。
周囲の木を切り倒しあたかも「一夜」で完成したかのように見せかけ北条方を戦意喪失させたという。
工事にはのべ3~4万人が昼問わず投入された。
陣城であるにもかかわらず穴太衆を用いた強固な石垣が構築され、関東初の総石垣の城となった。
縄張の構造は名護屋城と酷似しており、黒田孝高による設計ではないか?とされている。
短期間での築城のため塀などには漆喰ではなく半紙が用いられたともされている。
少なくとも数年以上運用されることを想定、もしくは秀吉の権威を見せつけるための築城とも言われており、陣城とは到底思えない堅固な設計となっている。
現在は崩れている石垣も関東大震災までは持ちこたえていたとされる。
北条方の記録によれば「築城していたのは流石に気づかれていた」可能性が高いとされる。
ただし「張りぼての城」と記されているため事実かどうかは不明である。
石垣山として国に史跡として指定されている。
2017年に続100名城として認定された。