老上単于
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ろうじょうぜんう
司馬遷の『史記』に登場する人物で、古代中国・前漢時代の匈奴の三代目単于。
時は前漢・文帝の時代。劉邦の崩御からしばらくして父・冒頓が亡くなったのを機にその後を継いで三代目単于を襲名。
冒頓の晩年から続いている、匈奴に有利な不平等条約の影響もあって、漢の文帝から献上された公主(と偽った皇族、もしくは有力貴族の親戚)の女性を妻にした。この時「お守り役」として派遣されたのが、かの有名な燕出身の「災いの男」こと中行説であり、彼は変なプライドの持ち主であることもあって漢を裏切り老上単于の軍師となる。
上記の不平等条約の影響もあり、匈奴では漢で精製された絹綿や食料などが大ブームとなっており、老上自身も漢の製品を嗜んだ(※注:父・冒頓の代までの匈奴では、服装は毛皮で、食料はは肉や乳製品などが主であった。老上が嗜んでいるほどなので、娯楽が少なかったのがわかる)。
だが、「アンチ前漢」となった中行説から「漢の文化に染まらないように」と諫められる。だが、中行説は宦官時代に培った持ち前の知識・記録方法・課税方法など、「記録の重要性」を匈奴に広め、匈奴文化の改革に貢献した。
その後、中行説の悪知恵もあって漢にゲリラ戦をたびたび仕掛けるようになり、思い上がって気が増長し始める。だが、漢から書簡が贈られると、老上自身も返礼および謝罪文を漢に送った。
その結果、匈奴と漢の国交が回復された。
- 為政者としては聡明であり、中行説を部下にした結果、匈奴の文化発展に繋がった。私人としても他国の文化に示すほど寛容な人物であったが、中行説の悪知恵に乗せられる暗愚さも持ち合わせており、人間臭さが目立つ統率者だったといえる。
- 父の代から続いた不平等条約を、中行説の悪知恵があったとはいえ結果的に老上の代で終止符を打つこととなった。
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