概要
中国・モンゴル史の史書で確認された「初代単于」である。
長男は後の匈奴全体を支配することになる冒頓単于。
秦の始皇帝の時代から二世皇帝・胡亥に移り変わる時代まで生きた。
来歴
具体的な生い立ちは史書に残されていないが、匈奴の中心部族である攣鞮(れんてい)氏の出身。
時は始皇帝の時代。匈奴の北方では東胡・月氏の軍事力が強大であった。頭曼は秦に攻め込むも、返り討ちに遭い北方へと撤退した。
数年後、秦の蒙恬の死を皮切りに中国では「世紀末」よろしく乱世と化した。だいぶ収まった頃、頭曼をはじめとする匈奴の面々は黄河を渡り南の中国の国境付近に拠点を置いた。
長男・冒頓と、後妻の閼氏(えんし)と共に過ごしていたが、あるとき閼氏が息子を出産(頭曼から見て次男、冒頓から見て異母弟にあたる)する。
頭曼は閼氏を寵愛しており、閼氏の若さに魅入られたのか、彼女との間に息子ができると、次男を太子にしたいと思い、太子であった冒頓を「いらない子」と見るようになり、冒頓を強大勢力の片割れである月氏の元へと「人質」として追いやった。
この仕打ちが、後の自らの破滅に繋がることになる。
冒頓を人質として追いやって日も浅いうちに、頭曼は突如、月氏を襲撃。月氏は、上述の通り、強大勢力であり、頭曼はそれをいいことに「冒頓を亡き者にできる」と企んだ上での襲撃である。
これに激怒した月氏は頭曼軍に応戦し、人質であった冒頓を殺害しようとするも、冒頓は「父に捨てられた」と悟った上に持ち前の機転を利かせて馬を盗み、脱出し頭曼の元へ帰郷する。
頭曼は冒頓の勇敢な活躍に感心し(……というよりは冒頓を恐れ、彼を宥めるために、といったほうが正しいか?)、一万人ほどの騎兵を冒頓に与え、統率させた。
ところが、当の冒頓は「自分を捨てた上に亡き者にしようとした」という恨みを募らせており、与えられた騎兵の中から信頼できる部下を選出し、父の暗殺計画を企て、兵を養成していた。
頭曼はもはや「『ごめんなさい』では済まされない」状況に陥っていることは知る由もなかった。
そして運命の日(紀元前209年)。冒頓と狩猟に出かけた際、冒頓の部下から矢の雨を降らされ、矢という矢が自身の身体に刺さり、その生涯を終える。
余談
- いち匈奴の統率者としては聡明とも暗愚とも取れるようで取れない一面がある。
- 始皇帝の時代の中国では、中心人物である蒙恬が死ぬまで強大な勢力であったため、頭曼が攻め込んで返り討ちに遭うのは必然だったといえる。
- 蒙恬の死を前後して、もはや世紀末と化した中国の状況のほとぼりが冷めたころを見計らって国境付近に拠点を置く、冒頓を人質にして間もなく月氏に奇襲をかけるなど、「隙を見て付け入る」ことに関しては頭が冴えていたといえるだろう。
- しかし、「私人」としては問題があり、「後妻の閼氏の若さに魅入られた」まではいいが、その私情を統率する国家・軍事に持ち込んだことが仇となり、結果的に我が身を滅ぼすこととなった。
関連タグ
冒頓単于…息子
老上単于…孫