概要
敬称をつけて「舞妓さん」と呼ばれることも多い。舞妓は年少芸妓、芸子(芸妓)の見習い、修行段階の者を指す。舞妓は京都(大阪、奈良などでも)の呼称である。東京など関東地域でいう『半玉』もしくは『おしゃく』に相当する。芸者は江戸での呼び方なので、区別する必要がある。古くは『舞子』と書き、かつては9~12歳でお座敷に上がり接客作法を学び、芸能など修業して一人前の芸妓に成長していたが、戦後の児童福祉法と労働基準法の改正にともない現在は中学卒業後でないとなれない。
花街
現在、京都の花街で舞妓がいるのは祇園甲部、宮川町、祇園東、先斗町、上七軒の五花街である。また、奈良などにも数はかなり少ないが存在する。
舞踊は街ごとに流派が違い、最も人数の多い祇園甲部は井上流である。
舞妓の育成
舞妓の募集は基本的に置屋の客や関係者の紹介などのツテだが、インターネットを通して舞妓志望者を募る置屋もあり、最近はブームのせいもあってか、舞妓志望者は増える一方である。また現在ではかなり少数派になったが、芸妓や置屋・お茶屋の女将などの実娘もいる。
舞妓の志願者は「仕込みはん」と呼ばれる下積み時代を置屋で住み込みで過ごし、女将や先輩の手伝いなどを行いつつ各花街にある「歌舞練場」に通い舞踊などの芸事を習い、芸事の師匠や女将の許可が出れば「店出し」(デビュー)を迎える。デビューに際しては担当の先輩(かなり年配の芸妓である場合も多い)がつけられ義理姉妹関係を結ぶ。
この場合「姉さん」には「妹」は基本絶対服従、同時に「姉さん」は「妹」の教育に責任を負うため、「妹」に不始末等があった際は自分の責任ともなり関係各所にともに謝罪に回らねばならない。この関係はどちらかが死ぬか引退するまで続く。
妓名(芸名)は所属する置屋などの筋と神社での占いで決まり、前述の先輩の名の一字を貰う事が多いので、妓名を見ればその人の義理姉妹関係、置屋などの筋がある程度わかる。
現在でもしきたりや上下関係は厳しく、途中でドロップアウトする者も少なくない。
また、他地域出身者でも京都弁を喋れるようにならなければいけない。
また「歌舞練場」には卒業はなく、舞妓や芸妓となっても通って稽古を続けなければいけない。
舞妓の期間中は置屋で住み込みの身であり、衣装代などの必要経費を置屋に負担してもらうかわりに基本給はなしだが、お小遣いなどの名目で置屋の女将からいくらかをもらう。また、客に食事をおごってもらったりすることもある。
衣装は長い「だらりの帯」が特徴であるが、帯は重く自力では着られないため「男衆(おとこし)」と呼ばれる男性スタッフが着付けを手伝う。この帯には所属する置屋の紋が入っている。
髪は舞妓の期間は地毛で結い、週1のペースで御用達の床屋で洗ってもらい結い直す。
舞妓を卒業した後
おおむね二十歳前後になれば女将等の判断で「襟替え」をして芸妓となり、置屋を出て個人営業の形で独り立ちする。
個人営業になると高額の着物代などの工面も自分でしなければならないため、このあたりで悩んで舞妓の期間のみで引退する者もいる。
逆に芸妓として培ったツテなどを活かし、飲食店などの副業を行う者もいる。
髪は芸妓になればかつらをかぶる。また芸妓には舞を舞う「立方」と、楽器の演奏を主とする「地方」がいる。
芸妓、舞妓は基本的に独身者のみであり、結婚に際しては引退しなければならない。
結婚せずにシングルマザーとして子持ちで仕事を継続したり、結婚引退後離婚して復帰するのは可能である。
戦前〜昭和30年代頃までは「旦那」と呼ばれるパトロンを持ったりすることがよくあり
初めて旦那を持つのを「水揚げ」と呼んだが、現在は法律や社会習慣の変化によりこれらの習慣は廃れたり形式的に杯を交わすだけなどになっている。
現在でこの「旦那」が完全に無くなった訳ではないらしいが、「旦那」になるには置屋の女将の信頼と相当のお金が必要なので、たいしてなじみでもない一般男性がなるのはまずムリである。
近年は酒席だけではなく、観光や公的な行事などのキャンペーン要員としても活動する事が多い。
コスプレ舞妓
また、祇園近辺には数軒一般人を相手にした「舞妓コスプレ体験」の店舗があるが、本物の舞妓がフルメイク衣装で活動するのはおおむね夕方頃からであるため、日中に出歩いている舞妓はこうしたコスプレ店の客である可能性が高い。
闇
舞妓を引退した際勝手に確定申告がされた、『お風呂入り』と称して客から混浴を強要される、未成年飲酒やセクハラなど近年になって業界の闇が発掘される。
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