薩南示現流
さつなんじげんりゅう
画:とみ新蔵 原作:津本陽
コミック乱にて2003年8月号~2004年9月号まで連載された。
全二巻
示現流の祖である東郷重位の半生を描いた漫画。
彼がいかにして示現流を修め、また薩摩へ広めたのかが描かれている。
剣術を説明するシーンではわかりやすく、簡潔な説明文が入っているのもポイント。
(とみ新蔵は古流実戦剣術研究会を開いており、実践剣術の研究を行っている)
豪壮なイメージを持つ薩摩武士の生きざまや生活も描かれており、肝練りのシーンはネット上で有名。作画の絵柄は濃く、情報量が多い物の不思議と読み易い漫画でもある。
また、一般的に「威力重視の流派」のイメージがある示現流を描くにあたって「示現流の真の恐ろしさは速さにこそ有る」という描写がされているのも特徴。
東郷重位
薩摩の武士ながら、気性は静かで落ち着いている本作の主人公。
ただし、その激情を禅や命じられた金細工で抑えている。釣りが趣味。
元々は体捨流だったが、京都で常陸国で編み出された剣法「天真正自顕流」を修めた「善吉」と出会い弟子となった。
半年の間に相伝の腕前となるが、薩摩に戻っても猛特訓を続け、更に高みを目指す。
自身が剣術と向き合う中で、自顕流を元にした「示現流」へと開眼していくこととなる。
また、豪の者として、地頭侍の上意討ちを命じられた後、武闘派の薩摩武士から命を狙われる事となってしまい、また上方剣術を修めたとして一部の武士からは目の敵となってしまう。
基本的に無暗な命のやり取りを好まないが、挑まれた戦いに対しては断固として立ち向かう他、主君からの命であればその剣を振るう。
人格者でもあり、後に地頭としての地位を与えられた際は、理由なき暴力を強く部下達に咎めている他、粗暴な振る舞いを弟子たちに戒めている。
また、弟子であれば自身が教わった物や、編み出した物を全て惜しみなく教える器量の広さも持つ。
なお、「長男ではないが、実家は五百石取りの地頭」「示現流で有名になる前は、実質的には無役に近いが、名目上は島津義久付の大小姓組」という、薩摩藩士の中では元から「家・役職ともに中堅かそれ以上」だったので、薩摩藩士の一般的なイメージとは違い人柄も温厚。
善吉
京都の天寧寺の僧で、元は武士。
重位より六歳年下。しかし、ある哀しい過去の経験の為、重位と出会った際は二十代前半でありながら、三十過ぎに見える外見となっている。
出家前の名前は赤坂弥九郎。
過酷な生を歩んだ為か、重位の剣術と人生の師となる。
かつては父の仇討の為に生き続け、仇を討ったが家族も師も失い、
また自分が抱く憎悪の空虚さによって、苦悩の道へ落とされた。
出家し、俗世への欲を全て捨てた時に心は蘇った物の、師から受け継いだ業である「天真正自顕流」を流布すると言う心残りを重位に託す為、厳しい修行をつける事になる。
京から離れる時に、自身が教わり学んだものをまとめた秘伝書を重位に授けた。
なお、天寧寺の住職が「善吉書記」と呼ぶシーンが有るが、禅寺で云う「書記」とは大寺院の責任者である六頭主・六知事の第二位。若くして重要な役職に就いている事になる。
十瀬与三衛門
天真正自顕流を編み出した剣達者であったが、極貧時代に妻子を失って以降、酒に溺れる日々を過ごす。
善吉の師匠。
自身が生み出し、研鑽を行った自顕流を何よりも誇りにしていたが、酒乱であり弟子にも辛く当たる為、弟子の数も徐々に減っていった。
しかし、酒が入ってない時の指導や、剣の冴えは衰えていなかった。
最後は体の自由が利かない体となり、呂律も回らない程だったが、最後の弟子である弥九郎に全てを伝えきった。
自身の半生を悔いながらも自身の生み出した自顕流の弘流の望みを弥九郎に託し、弟子の手を煩わせない為、また、心中の迷いを消す為に自害した。
中江主水佐(なかえ もんどのすけ)
島津家中随一の槍の使い手。
乱戦の最中に2人の敵を田楽刺しで同時に仕留め、更に背後に居た敵も石突で突き殺した逸話を持つ。
重位に挑んで大怪我をした侍の遠縁に当る家中の門閥に頼まれ、重位と試合を行なうが、二十分以上睨み合った後、自分では重位に勝てぬと悟り、降参する。
愛妻家でもあるが、日置島津家の島津歳久から槍の極意を問われた時、
「されば、槍の妙髄は──何よりも腰でごわす!」
「身共はその点を、女房のおとよの体で修行してごわす」
「思い出してもこの槍が……イキり起って来もした……」
「女子の蜜壺ちゅうもんは、その日の女子の心と体の調べと、槍の使い方で幾らでん、千変万化致すもんでごわせば、当方も腰使いによって、槍筋の角度、深浅、拍子、呼吸をはかり……その攻め処を攻める絶妙の機を外さぬ工夫に、全霊を傾け……」(注:股間の槍が勃起したまま説明)
「いんや殿! 武門の槍も股間の槍技も対手の機に応変すること、まことに相通ずるもんでごわす!」
という珍回答をしてしまう。
長谷場伝兵衛
体捨流の八高弟の一人。
自顕流を学びに行こうとしたが追い返された物の、後に渓流釣りをしている際に重位と出会い、弟子となった。
重位より六歳年長。(奇しくも、重位と善吉の年齢差と同じ)
一番弟子であり、元から筋も良かった為、弟子が増えた後は師範代となり、皆を取りまとめる事となる。
その後も努力を怠ることなく、自顕流の極意と意地を身に着けていく。
酒に目が無い物の、自顕流を修める間は禁酒をしていた。
…が、重位の飲み友達として、その禁はちょくちょく破っている。
東新九郎
体捨流の師範。
家久の機微を読む事に長け、接待囲碁は得意技。
ただし剣術の腕前も高く、初見で相手の癖を見破り、敵が上段で打ち込むと更に早い上段で返すなど、相手の裏をかいたり、相手が苦手な状況を作り出すのに長けた試合巧者。
しかし、高弟にすら深奥とも言える秘儀を教え渋っている。
体捨流と己の地位を安寧の物とする為、示現流の「雲耀の剣」に匹敵する速さの「無二剣」と言う秘奥を以て、重位と立ち会ったが敗北する。(ただし、「雲耀の剣」は威力・速度ともに有る技なのに対し、「無二剣」は威力より速度を重視した技。結果的に、東は、木刀を打たれただけで、木刀を弾き飛ばされ、腕が麻痺する事となる)
その後、役職を辞して薩摩を去るが、途中で出会ったかつての弟子である長谷場に「地位の安泰を願い過ぎた結果、弟子への術技の伝授を惜しみ過ぎた」「強い弟子を作ってこそ、我が術の向上もある」と自分の敗因を告げる。
島津家久
島津家の次期藩主(後に藩主)
十九歳から戦場に出ており、血に飢えた気性の荒い人物で、些細な事でも無礼討ちにする。
反面、文武両道でもあり内政の資質も高い。
自身も体捨流を東新九郎から習っており、東新九郎はお気に入りでもある。
それを打ち破った重位に対しては厳しく、度々嫌がらせを行う。
しかし、重位の技と気迫、態度に心を変え、重位に弟子入りする事となった。
重位に弟子入りし、自顕流を学んでからは気性も落ち着くようになった。
藩主としての器量を身に着けてからは、重位の身を案じる様にもなっていく。