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概要編集

1952年4月26日、航空機使用事業免許第一号として戦後最初に青木航空として設立され、9月にセスナを使った不定期航空事業を開始した。

立川飛行機が戦後の航空禁止令によって打撃をうけ、一部がたま電気自動車(プリンス自動車)を設立し糊口を凌ぐ中、テストパイロットであった設立者が、独立し航空会社を作ろうと真っ先に立ち上げた。

その後規模を拡大させ、1956年には日本遊覧航空と改称、より大型のデハビランドDH114ヘロンや同じ航空機メーカーのDH104ダヴを導入し東京上空や伊豆諸島を遊覧飛行した。

1961年には藤田航空と改称し、全日空から羽田八丈島線を購入し遂に念願の定期航空事業に進出した。さらに1962年にはフォッカーF27を購入、羽田〜八丈島線に就航させた。

しかし、1963年8月にその八丈島で事故を起こしてしまったのが元で急速に経営が悪化、最終的に同年11月に全日空に救済合併された。

なお、羽田〜八丈島線はその後現在でも全日空によって運営されている。


追記編集

1958年12月に公開された日活映画「紅の翼」や1959年11月に公開された、これまた日活映画である「天と地を駈ける男」の撮影協力を行っており、両作品ともここのDH104が登場している。いずれも主演は石原裕次郎

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