概要
金品を賭けて勝負をする場所のこと。賭博場、博打場(ばくちば)、鉄火場とも呼ばれる。
寺社で賭博が行われる場合には『開帳場』と呼ばれる。
丁半博打をする際に盆ござを敷くことから、賭場を開帳するのを『盆を敷く』とも言う。
賭場の変遷
賭け事は有史以前から行われていたと言われるが、日本初の遊戯としての賭博は、天武天皇が行わせた中国伝来の双六などの博戯であったとされる。
このように7世紀末には博戯による賭博の流行が兆したものの、689年には『禁断双六の令』が発布され、その後も厳しく罰せられた。
奈良・平安時代から中世に入るも禁制とされた賭博の流行は続き、公家・武家・寺社で博奕に興じる者には、鼻を削ぐ・指を切る・遠流(島流し)などの刑が科されることもあった。
しかし賭博の流行はとどまることなく万人に広まり、近世においても厳しく取り締まられながら発展が続く。
日本では平安時代に博徒が発生し、江戸時代の賭博の隆盛に伴い増加したため、賭場と言うと時代劇で描かれる丁半を行う場所のイメージが強い。
また、街道沿いの宿場町のような盛り場だけでなく、寺院や大名の下屋敷など町方の役人が立ち入れない場所を隠れ蓑に賭博が行われていたのは事実である。
1805年には関東八州の天領(江戸幕府の直轄領)・大名領・旗本領・寺社領等を問わず巡回し、無宿人・博徒・盗人らを捕らえるための権限を持つ、勘定奉行直属の『関東取締出役』(八州廻り)が作られる。
それほどに当時は取り締まりの目をかいぐぐり、様々な場所で賭場が開帳されていた。
世界の賭博場
世界各地でも早くから娯楽として普及した賭博は、犯罪の温床となりやすく繰り返し禁止令が出され、宗教上禁じられることもあった。
ところが富裕層の社交場では賭博が公然と行われ、時には特権階級の手による賭博場が造られたため取り締まりは一層困難になる。
近世に至っては温泉保養地にドイツ最初のカジノが開設されたのを機に、世情に合わせ規制を受けつつも、ヨーロッパ中に賭博場が急増していく。
近代以降には観光産業にとって賭博場が有用に働いたこともあり、やがて犯罪と結びつかないものに限り合法化された。
現代の賭場
現在の日本では財物が絡む賭け事は違法とされるが、地方自治体や特定の法人が主催する公営競技は対象外となっている。
旧来の賭場も摘発を受けて次第に途絶え、賭博は別の形で催されるスタイルに移行している。