概要
(1928年1月30日 - 2012年7月7日)。本名は遠藤 辰雄(えんどう たつお)。1973年まで本名で出演。
1955年に新東宝ニューフェイス(スターレット)第4期に合格。
プロデューサーの目に留まり、関西製作の映画・テレビ黎明期の各局のドラマに出演するようになる。
1960年代に入ると、個性的な風貌と堅実な演技力からテレビ・映画の双方で助演者として重宝がられ出演作が増え、デビューから1978年の『日本の首領・完結編』までの出演総本数は223本(本人の記録による)という売れっ子俳優になった。
テレビ時代劇での当たり役は、『銭形平次』第53話で藤尾純から引き継いだ平次を敵視する岡っ引きの三輪の万七役で、「万七親分」とお茶の間で親しまれた。
その他のテレビ時代劇では欲深だが色仕掛けに弱く、悪でありながらどこか間が抜けている悪代官や悪徳商人のイメージを確立した役者の1人とされる。
現代劇では、『京都殺人案内』での秋山捜査第一課長が当たり役となった。
1971年に京都市民映画祭助演男優賞、1978年には同映画祭特別功労賞を授与された。
2012年7月7日午前6時30分心筋梗塞の為に死去、84歳没。