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概要編集

本名は茂原 てふ(旧姓は飯田)。

庶民派の老女役や祖母役などの老け役を多く演じて「日本を代表するお婆さん女優」として親しまれた。


1922年(大正11年)、婦人記者時代の友人と松竹蒲田撮影所の女優募集に応募。

1923年(大正12年)1月、その熱心さを認められて月給10円で正式に入社する。大部屋の一員となり、野村監督の『死に行く妻』の端役でデビューする。


その後、三枚目の喜劇女優として活躍し、1925年(大正14年)に小林十九二二葉かほるらとともに準幹部に昇進する。

1926年(大正15年)1月8日、森野五郎とともに幹部に昇進する。


1927年(昭和2年)、撮影技師の茂原英雄と結婚。茂原が小津安二郎監督とコンビを組んでいたことから、小津作品に常連出演するようになり、『肉体美』『学生ロマンス 若き日』『東京の合唱』など、戦後の作品も含め計18本に出演した。


1935年(昭和10年)、大幹部待遇に昇格。

1945年(昭和20年)、五所監督の『伊豆の娘たち』が戦後第1作となるが、これを最後に松竹を退社してフリーとなる。


小津監督の戦後第1作『長屋紳士録』では意に反して孤児を引き取っていく長屋のおばちゃんを演じ、自身の代表作とした。ほか、黒澤明監督の『醉いどれ天使』『野良犬』、稲垣浩監督の『無法松の一生』、堀川弘通監督の『裸の大将』などに出演、東宝の『若大将シリーズ』では、加山雄三演じる主人公の祖母を演じ、シリーズ第16作まで出演する。『時間ですよ』などテレビドラマにも出演した。


1972年12月26日午後3時24分、肺癌のため死去。75歳没。

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