裸の大将
はだかのたいしょう
1980年から花王名人劇場→花王ファミリースペシャル枠にて放送。
当初は「裸の大将放浪記」としてスタートし後に「裸の大将」に改題した上で「前期」「後期」に分かれている。実は「前期」は清の生涯を終える形で1983年に物語として一旦終了したが、復活の声が多かった為に設定をリセットした形で再開したのが「後期」である。1997年のお正月スペシャルをもって終了した。
芦屋雁之助の当たり役であった。ちなみに互いに生前対面した事があるが、山下清本人は芦屋雁之助よりもやや痩せ型である。元々は1964年に芦屋が旗揚げした劇団での演目の一つであり、人気が高かったことから、ドラマ化されたものである。
芦屋亡き後は塚地武雅(ドランクドラゴン)主演の新シリーズも制作された。
大まかなストーリーなんだな
- 全国各地へ放浪の旅を続けている清が、ゲストキャラクターと出逢う。
- ゲストキャラクターが抱えている問題を、清を始め住民と共に解決する。この時に清は知的障害を抱えるがゆえ、また芸術家として研ぎ澄まされた感性を持つがゆえ、利害関係や体裁から解放されている曇りの無い純粋な眼でゲストはじめ登場人物たちに疑問を呈したり、ブレイクスルーのきっかけを与えたりする。
- 問題解決後、清はゲストキャラクターへお礼の貼り絵をプレゼントして、次の旅に出る。
- この時に清の正体が『放浪の天才画家・山下清』とバレてしまい、欲に目がくらんだ住民達が一筆描いて欲しく清を探す。しかし絵を描きながら、自由を求める清の姿は探してもどこにもいなかった。
- ゲストキャラクターが清の正体を途中で知る事もあり、彼の意思を尊重してそっとしておくというパターンもある。
松竹版(現ぷろ版)と東宝版の2作がある。
東宝版(1958年公開)は小林桂樹主演。どっちかといえば、こちらの方が内容的にはドラマ版に近い。というか、この映画の内容(印象・演技)が芦屋の演技や舞台に影響を与えドラマ版に落とし込まれている可能性が高い。この映画で披露された清の用いる比喩である「兵隊の位にすると……」は当時の流行語にもなった。
その一方、この作品に登場する清の姿は、ドラマ版でも見られる吃音をはじめとして、いわゆる「(当時の)一般人が知的障害と聞いて思い浮かぶもの」を戯画化したオンパレードでもあったため一部では「知的障害者をバカにしてるのか」という批判も起こり、また後述するように山下清本人からも苦言が呈されたりした。
松竹版(1981年公開)は企画上かつ一応の名目上は上述したテレビドラマ版の劇場版の体裁をとっているため芦屋雁之助主演であるが、最大の特徴は、なんといっても制作が現代ぷろだくしょんによるものである事。この制作会社がどんな会社かと言えば、代表作が『蟹工船』『村八分』『真昼の暗黒』『はだしのゲン(実写版)』と、言えばだいたいはお察しいただけるかと。つまりは正真正銘バリバリ硬派かつ社会派の映画会社なのである。
そのため作風も上述したドラマ版による牧歌的な「清さんと地元の人たちのあたたかなふれあい」とかいうような内容ではなく、リアルに「山下清の生涯を追う」ガチな激重どシリアス作品となっており、障害児者の家族の抱える問題やそれゆえの思いを強く訴える内容となっている(もっともシリアスが過ぎて鬱作品一歩手前からドップリと浸かってるような尖った作品を作りがちな、この時期の現ぷろ作品郡から見れば本作は比較的コメディ寄りでファミリー向けの作風ではある。あくまでも「現ぷろ作品の中では」であるが)。
なのでドラマ版のファンにとっては、紛れもなく「大人になれよ系作品」と言えるもので、見ればまず間違いなくショックを受けるお茶の間の良い子号泣シリーズのひとつ。
ただし、これもまた山下清の生涯(あるいは芦屋雁之助の演技)の一側面として受け入れるファンもそれなりにいる。あのテレビドラマにおけるハートフルな清さんの旅の裏で「清の家族や友人たちはこのように彼を家族や仲間として受け入れるため、人情もあったが故に差別も激しかった昭和時代の社会に清を受け入れてもらうため、そのために清には知るよしもない多大な努力をしてきた」という事を描いた作品ともとれる。
ある意味では「ハートフルはテレビドラマがやってくれるから」という観点からの差別化もあって、こちらの方に振り切った可能性もある。ゆえに、この松竹版とドラマ版は表裏一体の存在といえる作品でもある。
清本人は放浪の後、施設や自宅で貼り絵を作っているが、ドラマ版では携帯したスケッチブックで絵を描いている(さながらリアル光圀と水戸黄門のよう)。そして自身の名前入りの貼り絵を残して再び姿を消すという演出があり、この事から贋作がドラマ以降特に出回ったという。清の遺した作品は旅先では一切無くほぼ全ては遺族と施設が管理している。
そもそも実際の清はスケッチする事なく特異な記憶力だけで見た風景を脳裏に焼き付ける事ができた(サヴァン症候群説)。それも10代の頃にその特異能力は新聞記事に既にされていた程である。ドラマで清が描いた貼り絵は、実際は貼り絵作家の井上あき子氏が製作をした。なお、スケッチブックを手にして写生している写真があるが、あくまでも意図的にやらされたものらしい。
またドラマ版では、人から頼まれた絵を描いたりサインをする事はしたくない設定がある。さらに「天才放浪画家」「画伯」と言われるのが嫌であり、「ただの清」と受け答えする場面がある。しかし実際は、個展でサインをするのは快く受けていた。また、自分の作品に価値が付けられていた事は実は知っていたともされている。
また、本格的に画家となったのは1954年以降でありその頃になると放浪の旅はしていなかったとされる。
軽い言語障害と知的障害を持つが、小林桂樹が演じた劇を見た清は「僕はああいう喋り方はしない」と言っている。そ そういうもんなんだ、な やっぱし。
また、芦屋演ずるドラマの清は割と表情豊かであるが、実際の清は無表情に近い人物であった。清本人曰く「子供の頃は泣く事はあっただろうけど、笑う事は苦手で笑った事が無い」と述べた事がある。
また、よくおにぎり関連等「死んだお母さんが言っていた」というセリフがあったりするが、実際の清の母は清が病で没した時も存命だった。ドラマ版でも81年の映画版でもこの事実はきちんと反映されている。
あとドラマではおにぎりが好物とされているが実際の本人はそうでもなかった模様。
あくまでおにぎりは「人の縁」を象徴するドラマの小道具である。
いでたちは短く刈り込んだ坊主頭にランニングシャツに半ズボン、リュックに赤い傘、スケッチブックを抱えているというもの。冬には袢天を着ることもある。これは戦時中の放浪の姿を意識したものであるのと手塚治虫との対談でランニングシャツと半ズボンが清らしい容貌だったのも定着したとの事。なお、実際の放浪当時は着物かもしくは夏場だと半裸やふんどし姿でリュックではなく風呂敷や柳行李を抱えて放浪していたらしい。
ドラマでは警察官が苦手な描写が多い。これは束縛感のある学園に連れて帰らされるのを嫌がっているからだが、実際の清が18歳から始めた放浪当初に本当に恐れていたのは「学園の束縛感」以上に「戦時中の徴兵制度による徴兵検査によって戦地送りにされる事」だった。つまり絵を描くのが目的ではなく自由を求めていたのである。実際に21歳の時に食堂で住み込みで働いてた所を徴兵検査の為に連れ帰らさせれた事があった。
ちなみに徴兵検査では清の特徴ゆえに戦地送りには至らなかったが徴兵自体はされたらしい。