芦屋雁之助
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あしやがんのすけ
京都市出身の喜劇俳優、歌手。『裸の大将放浪記』の山下清役が当たり役だった。
1931年5月29日、京都府京都市に誕生。終戦後、芸人となった父に従って芸の修行を始める。
1949年、漫才師、芦の家雁玉・林田十郎に弟子入りし、弟と芦の家雁之助・小雁のコンビとなるが、亭号を勝手に「芦屋」に変えたので破門。
1954年、小雁と共に喜劇役者に転身。大阪・キタの「OSミュージックホール」に出演し、花登筺の台本でコントを演じる。
1958年、出演したコメディ・ドラマ「やりくりアパート」(大阪テレビ放送)がヒット。
1959年、出演した「番頭はんと丁稚どん」(毎日放送)がヒットするが、子役・中山千夏の扱いを巡って花登が東宝と対立し独立。雁之助も大村崑らと共に花登について行き、「劇団・笑いの王国」を結成。
1964年、雁之助は二番手扱いに不満で、内紛により「劇団・笑いの王国」が解散。劇団「喜劇座」を旗揚げ。藤本義一が「山下清に似ている」と指摘し、藤本が書いた「裸の大将放浪記」で山下清役を演じる。
1969年、「喜劇座」が解散。東京に進出。
1980年、テレビドラマ「裸の大将放浪記」(関西テレビ)で山下清役を演じ、当たり役となる(~1997年)。山下と似た外見を維持するため1日5回の食事を摂り、糖尿病が持病となる。
1984年、シングル「娘よ」(テイチク)が大ヒットし、同年末の「紅白歌合戦」に初出場。
2004年4月7日、心不全のため死去。72歳。
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