概要
旧日本海軍の天龍型軽巡洋艦の2番艦。由来は奈良県を流れる竜田川。
1944年に再編された第一一水雷戦隊の旗艦となり、傘下に第六駆逐隊が入っている。ところが、実際開戦すると、天龍型は小型旧式過ぎて特に指揮通信能力に難ありとされ(そもそもロンドン条約前提の建艦計画ではすでに代艦が建造され、廃艦になっているはずだった)、天龍と龍田だけで第一八戦隊を形成。まず、開戦初っ端から如月の最期を看取ることになる。更に1942年のソロモン海海戦で第一八戦隊は天龍を喪失。1944年には第六駆逐隊の所属していた第一水雷戦隊の旗艦阿武隈が戦没。もはやこの頃になると龍田が旧式小型で運用に難ありなどという寝言に近い贅沢は言っておられず、龍田を旗艦として第一一水雷戦隊が編成されるのである。この時点で第六駆逐隊も既に暁を第三次ソロモン海戦で喪失している。
1944年3月12日、サイパン島への輸送作戦である東松2号船団の護衛部隊旗艦として横須賀を出港、翌13日八丈島沖でアメリカ海軍の潜水艦の雷撃を受け沈没。