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徴用船とは編集

近代以降の戦争は国家同士の総力戦であり、平時とは比較にならない規模の船舶や人員が必要となる。

海軍は言わずもがな、日本のような海洋国家では陸軍でも兵員や物資の移動には船が必須である事はお分かりだろう。

しかし、普段は必要ないそれらの船舶を保有するのは費用面からいっても到底現実的ではない。

……というかあのアメリカでさえ無理ゲーです。

そこで、戦時に必要な民間船舶を(場合によっては船員ごと)軍や関係当局が借り上げて運用する、ということである。

対象となる船舶は小さなものは数人乗りの小型漁船から大型のものは数万トンにもなる豪華客船や貨物船、タンカー等、目的に応じて様々な船舶が徴用され、その数は数千隻にも及んだ。

徴用された船舶を徴用船、同じく徴用された船員を徴用船員という。

徴用船は元々の任務(物資や人員輸送)に就くことが多かったが、武器弾薬、部隊の輸送から後方支援も担い、これらの存在なくして戦争の遂行は不可能だった。

海軍に徴用された船舶は必要な武装、装備を施されて特設艦船となった。

アニメでご存知の方も多いだろう対馬丸は、陸軍の徴用船である。






武装編集

日本の徴用船を事例にすると、初期は全くの丸腰…つまり非武装である事も多かった。

或いは旧式の野砲などの火砲(中には日露戦争の頃のものもあったとか。)一門のみ甲板に据え付けた事もよくあり、砲座も木製の仮設的なものだった。

流石に戦局が悪化した中期以降は、高射砲機関砲といった自衛武装が施され、陸海軍からこれらを運用する兵員が配置された。

陸軍ではこれを船舶砲兵、海軍では警戒隊と称したが、米軍の通商破壊の前には蟷螂の斧に過ぎず、多くの船舶が船員諸共波間に消えていった。…合掌。

華々しく語られる事の多い戦艦大和をはじめとする戦闘艦艇の活躍の裏で、こういった軍属や徴用船員の夥しい犠牲があった事を忘れてはならない。

 



報われぬ犠牲…編集

太平洋戦争後半には深刻な原因不足により、商船学校等の卒業年度が繰り上げられ多くの若人が徴用船と共に命を散らしていった。

末期における平均的な教育期間は2〜3ヶ月、最年少の船員戦没者は14歳であるが、これは判明している段階での記録である。

また、戦没した徴用船員数は三万とも五万ともいわれているが、現在に至るまで余りに多すぎる戦没者数のため、詳細な人数は分かっていない。

ちなみに、具体的なデータによると、大戦における軍人軍属の戦死者率は陸軍が8%、海軍が12%であったのに対し、徴用船員の戦没率は46%だった。

無論、陸海軍の将兵の方々の奮戦の結果として現代の日本がある事もいうまでもない事実である。


日本以外での事例編集

このような徴用船は日本独自のものではなく、ドイツやイギリスといった他国でも近代以降は一般的にみられる


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特設監視艇 特設艦船 対馬丸 徴用

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