生涯
古代中国の戦国時代末期、沛県郡豊県中陽里(現在の中華人民共和国江蘇省徐州市沛県)に劉を姓とする農家の三男坊として生まれたが家業には関心を示さず気ままに侠客暮らしを楽しんでいた。
後に泗水というところの亭長(駐在所長的存在)となるが、仕事はさっぱりしていなかった様子。とはいえなぜか妙に人望だけはあった。
秦末期の混乱の中で地元で挙兵。項羽らの楚軍に従い、秦の首都咸陽を攻略する。戦後、漢中に王として封ぜられる。
その後項羽と対立、楚漢戦争に突入。何度も大敗したがその度に踏みとどまり、紀元前202年、垓下の戦いで最終的に勝利し中原統一を達成。皇帝に即位し漢(前漢)を建国した。
即位後は諸侯との対立・反乱に忙殺され、紀元前195年に首都長安で崩御。廟号:高祖。
その王朝は短期間の断絶を挟み前漢・後漢として約400年以上存続することになる。
主な配下
蕭何…漢の三傑。
張良…漢の三傑。
韓信…漢の三傑。
陳平…呂氏一族のクーデターを阻止した人物。
夏侯嬰…血統的には曹操の先祖にあたるとされる。
英布…元・項羽の部下。
逸話
- 鼻が高くて顔が長い「龍顔」と言う吉相だったと言う。太ももに72(1年を意味する360を五行説で割った数)のほくろがあり、それも縁起の良い数とされた。
- 酒場で「つけにしてくれ」と言って無銭飲食をした事もあったが、彼が入り浸ると満員御礼になるので許されていた。伝説では彼の頭上に神聖な龍がいたとも言われる。
- 項羽と戦った際に父の劉大公を人質にされた時に「キサマの父上を煮殺してしまう」と恫喝された時には、「お前とオレは義兄弟だったからオレの親父はお前の父。その時には親父のスープをオレにもくれ」と言い返した。
関連タグ
漢 呂雉(正室) 項羽(宿敵) 劉備(云われはかなり怪しいものだが、末裔の一人と称している)
関連作品
史記(司馬遷) 項羽と劉邦(司馬遼太郎/横山光輝) 赤龍王(本宮ひろ志)
三國志シリーズ…隠し武将としてほぼ登場している。