東南アジアに位置する国家。
概要
首都はネピドー。旧首都・最大都市はヤンゴン(旧名ラングーン)。1948年に英国より独立、1989年までビルマと呼ばれていた。長く軍事政権時代が続き、現在民主化の途上にある。2010年10月21日に国旗を変更した。
多数派のビルマ族の他、多くの民族がおり、一部地域では紛争が絶えない。
なお、ビルマ族は姓がない。アウンサンスーチー女史の名は父アウン・サン将軍に因んだものなので、「アウンサン」が姓、「スーチー」が名と誤解されがちであるが、全体で一つの名前である。
親日国
日本とは友好的な関係であり、同じく仏教徒の多い国である事や、 日本の戦後賠償を含む金銭的サポートや日系企業の進出が要因と言われる。
なお、太平洋戦争(大東亜戦争)時に、アウンサン・スーチー女史の父でイギリス植民地からの独立に貢献し「建国の父」と讃えられているアウン・サン将軍らに軍事教練を施し、イギリス植民地だった同国に送り込み、イギリスを退ける事に協力し合っていた。
しかし、日本の敗色が濃厚になると、アウン・サン将軍は連合軍側に寝返り抗日に転じた。
だが、日本の敗戦後に最後まで日本を裏切らずに日本へ亡命した仲間のバー・モウ(後のビルマ首相)宛てに、「反日はビルマを生き残らせるための唯一の手段である」「日本を責めない」といった手紙を送っている。
また、ビルマ独立のために奮闘した日本の特務機関である『南機関』の機関長であった鈴木敬司予備役少将が、BC級戦犯として連行され、裁判にかけられそうになった時も、「ビルマ独立の恩人を裁判にかけるとは何事か!」と猛反対した。
こういったエピソードもあって、反日的な教育は行われず、客観的な評価をしている点も親日の要因と言われる。
また、ビルマの軍歌には『軍艦行進曲』の旋律を流用したものがあり(ただし、歌謡にも日本の旋律を流用した物が見られる)、ミャンマー軍部の親日的傾向を示す根拠として提示される事がある。
しかしその一方で、支那や北朝鮮(ラングーン事件時に断交したが2006年10月に回復)といった独裁国家と親密があり、2007年9月には日本人の映像ジャーナリストである長井健司が取材中にミャンマー軍によって殺害された事件もあった。
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