概要
「まるゆ」とは『艦隊これくしょん』に登場する潜水艦娘の一人である。
日本陸軍の三式潜航輸送艇、通称まるゆを元に擬人化された。
図鑑データ
※㋴の「ユ」がひらがなになったもの。
「初めまして…まるゆ着任しました。え?聞いてないって…そんなあ!」
概要、がんばりま~す!
- スク水を着た小学生中学年程度に見えるショートカットの艦娘。
- これまでの潜水艦娘とは異なる白いスク水を着用。お腹のまるゆのマークが目を引く。「隊長からもらった大事な水着」って、こっちもかよ。
- 最弱の艦娘にふさわしく、気の弱そうなセリフも特徴的。
- 輸送艇である(さらに陸軍の軍船は艦という字を使わない)ので厳密には艦娘ではなく艇娘と言える。
- 同型でも一隻に対し一人が存在する他の艦娘と違い、まるゆは一人で約40隻の姉妹全ての艦娘である。
まるゆが手にしている「運貨筒」とは、海軍が開発した、潜水艦が曳航して使用する無動力の水中輸送コンテナ。大、中、小の3種類がある。もとより曳航能力の無いまるゆでの運用記録はない(4コマでは本来の装備ではなく拾い物とされた)。
公式4コマでは球体として描写されているが、史実の運貨筒は文字通り筒状であり、以下のとおり尖った魚雷のようなデザインである。ゲーム中のイラストでもよく見ると球体ではないことがわかる。なお、公式4コマは伊19の髪型を間違えたりと、本来のデザインとは必ずしも一致していないことに注意。
イラストレーターのくーろくろ氏曰く、下のように前面が丸まった円筒として作画したとのこと。ただし「設定は私一人で作るものではない」「球体の運貨筒も可愛い」とも発言しているため、どのように描くかは自由であるようだ。
モグラじゃないもん。性能だもん!
すごく弱い。
改装前は全ステータスがほぼ最低(回避以外が一桁)で、なんと装備スロットが一ヶ所も開いていない。大げさな話でなく、公式公認の最弱の艦娘。
初期状態では魚雷すら持てないのである。
史実では機関砲こそ積んでたものの、魚雷は搭載してなかったし…
そのため、敵駆逐艦にすらカスダメージが精一杯なんていうのはザラな話。
- しかし、近代化改修の素材にすることで運ステータスを上げることができるという特殊性がある。改にすると効果倍増。
- また運用コストは全艦娘中ぶっちぎりの低燃費なので、遠征部隊のお供にはいいかもしれない。史実での用途的にも。
- 最弱の潜水艦=修理時間最短の潜水艦でもあるので、3-2-1の被害担当艦にはわりと最適だったりする。
- 改造によって、晴れて装備スロットが1つ解放されるものの、肝心の戦闘力はお察しなままなので運用するには月月火水木金金くらいの努力は必要かもしれない。
- さらに言うと改装前はダメコンすら装備できないので育成には細心の注意が必要。
- 艦載機(晴嵐)を欲しがっているような言動をするが、もちろん艦載機搭載数は0。
一応、Lv10を超えると潜水艦共通の能力として甲標的なしでの先制雷撃も可能になるが、威力はお察しいただきたい。
運用するなら頑張ってLv20で改造し、近代化改修でステータスをカンストさせることで、ようやく何とかなるレベルになってくれる。
改造でようやく装備スロットが一枠開放されるので、ここに高威力の魚雷を装備させれば、少なくともザコぐらいはどうにかできるようになる。
ただ極稀にだが、オリョクル中に低レベルで重巡リ級を撃沈させたり、地獄と名高い5-3に単艦突撃でボスまで到達した例が報告されたりと、「最弱とは何だったのか」と首を傾げたくなる奇跡を起こすことも……。
入手法
- 艦隊これくしょんの2013年12月24日大規模アップデートで実装された「大型艦建造」機能で入手可能。
大型艦建造は膨大な資材を使ってレア艦を入手可能な機能であるが、このまるゆは全レシピで出現する可能性がある、いわゆる「ハズレ」扱いをされているといえる。
……はずなのだが、全艦娘中唯一近代化改修で運を上げられることと、3-2-1レベリングなどで囮役として重宝すること、大型艦建造では重巡洋艦や軽空母も出ること、そして大型艦建造以外でまるゆを入手する方法が無かったことから、一部提督にはむしろ「当たり」と言われる。(また、その用途からおそらく唯一「いくらダブっても歓迎される」艦娘である)
2014年春・夏イベントのドロップを経て、2014年9月12日に実装された3-5海域にて通常海域でのドロップも解禁された。
2014年9月26日に実装された中部海域(6-1、6-2)でもボス戦でのドロップが確認されている。
エピソード
注意・本記事を含めてネット上の「まるゆ」に関する情報の多くは、ネタ・面白さ重視で書かれているため、誤認・誇張が含まれている場合があります。参考記事:陸軍潜水艇「まるゆ」をめぐるデマと真実
木曾とまるゆ
1944年7月18日のフィリピンのマニラ港にて、まるゆそのあまりにもへっぽこな操艦と航走する様を見かねた木曾らしき船から、「お前誰だ? 潜れんのか?(意訳)」と、まともに潜水艦扱いされていない打電を受けていた。
この時「まるゆ」は予定より23日も遅れ、51日かけて愛媛県三島からやっとの思いでマニラ港に辿り着いたばかりで、出航する木曾らしき船は出航する所という出会い頭の出来事であった。ヒドイキソー。
ちなみにこのときまるゆの返答は「こっちは帝国陸軍の潜水艇ですなんか文句ありますか、潜れるかどうかなんて聞くんじゃねーです(意訳)」というものだった。いろいろおかしいだろお前ら。
ところが海軍の記録によれば、この時木曾は横須賀で入渠中とされていた。
一部の本でもこの時まるゆと遭遇した軍艦を「日本海軍軍艦」としており、木曾と明言していない。
実際にこの日マニラ湾から出航したのは、シンガポールへと向かう予定であった木曾と同型の球磨型軽巡の大井だったのである。
上記の縁があってか、時報ボイスにて海軍の必修料理であるカレーのレシピを木曾から習っていた。
さらにひどい扱い
さらに、海軍から徴用されていた日本郵船の「伊豆丸」からも敵と間違われて体当たり攻撃を受けている。双方とも大した損傷はなかったものの(といっても凹んでヒビという潜水艦にとっての致命傷だったが)、相手の船員はこっぴどく叱られたそうな。しかし門司海軍武官府からは「(陸軍に対する)見上げた敢闘精神である」と褒められている。ちなみにこの戦術は対潜水艦攻撃としては有効であり、第一次世界大戦ではタイタニックの姉妹船オリンピックが潜水艦を一隻撃沈する戦果をあげている。(艦これWikiより)
また、海軍の輸送艦からも同じく敵と間違われたが、特に何もしてこなかったから同士討はなんとかスルーされたことも。まともに味方として見られてなかったまるゆかわいそう。
挙句の果てには、まるゆがマニラへ向けての出撃中、台湾沖で米潜水艦に発見されてしまう…のだが、白昼堂々日の丸を掲げて浮上航行という潜水艦としても有り得ない行動を行っていた為、さしもの米潜水艦も理解に苦しみ、監視するのみでスルーしたという冗談みたいな逸話がある。
大和との出会い
一方で、こんな逸話もある。まるゆが訓練を終えて帰還する途中、巨大な艦艇と遭遇した。世界史上最大の戦艦大和である。
これを見たまるゆの搭乗員たちは登舷礼(乗員が艦上で行う挨拶の一種)を大和に対して行った(艇長曰く「一度やってみたかった」とのこと)。この登舷礼は陸軍式の無骨なものであったが、これに対し大和の乗員は百人単位で整列してラッパ演奏付きの登舷礼を返した。
世界に冠たる大戦艦がちっぽけな陸軍の潜水艦に最大級の礼を尽くしたのである。1945年4月。大和、最後の出撃時のことであった。
……と、ここまでなら単なるいい話で終わるのだが、この時にまるゆの乗員たちは大和航行時の大波を被ってずぶ濡れになってしまう。ある意味まるゆらしいオチではある。
後にまるゆの隊長は大和の乗員達に心打たれ、(陸軍所属ながらも)海軍贔屓となったのだが、陸軍高官の前で思わず海軍式敬礼をしてしまった結果、大目玉を食らい罵倒の末、本来ならば8月から広島の船舶司令部へ栄転となる筈が、彼のみ左遷される羽目に陥ってしまった。
……のだが、実はこの左遷によって直後に広島で起こった悲劇から逃れることができたのであった。まさに「塞翁がまるゆ」である。ここでも彼女が運を運んでくれたのだろうか…。
意外な縁
まるゆのスクリューを設計した技官は戦後ソーラーカー研究に携わり、TV番組『ザ!鉄腕!DASH!!』においてあの改造ソーラーカー「だん吉」製作を指導している。こちらも紆余曲折がありながらも無事に日本列島一周を実現した。
「艦これ」では
例によって「狙って建造してるのに出てこない……」という提督も少なからずいるようである。
- 5隻目に正式実装された潜水艦娘。同時先行配属の伊401を入手することによって、潜水艦で6枠を埋める艦隊を組めるようになった。スク水万歳。(霧の潜水艦は別だぞ?期間限定だし)
- 2ちゃんねるなどでは「まるゆは「あたり」」とまで言われている(大型艦建造でしか出てこないことに加え、運を上昇できる唯一の改修素材であるため)。
- 疲労抜きにちょうどいい時間で済む入渠、同行させて改造レベルに達すれば貴重な運上昇の素材になる、潜水艦なので軽巡洋艦や駆逐艦の攻撃を全て引き受ける、という3-2-1レベリングに最適すぎる性能から、複数人を所持して、いわゆる牧場を経営している提督も多い。
- あまりのネタの多さに公式4コマ27話はまるゆの史実ネタでほとんど終わってしまった。
- その後33話で潜水艦トラウマ組の龍田に潜水艦と認識されず、「てっきり木曾がどこかで小舟でも拾ってきたのかと思ってた」と犬や猫みたいに言われてしまった。
- 呂500の時報では話しかけようとして逃げられている。もっとも建造の目的自体が輸送艦とそれを標的にするUボートなので、まるゆにとっては天敵にも近いから仕方ないのだが。
関連イラストの調整、お願いしますね。
隊長、関連タグですね。
あきつ丸(まるゆと同じく陸軍所属の艦艇)
二次創作キャラ
まるゆさん(潜水艦を超越したなにか)
史実
そもそも何故陸軍がこんな潜水艦を所持していたかと言うと…
1942年のとある日の大本営…
陸軍「ガダルカナルに上陸した兵士に補給物資送ってほしいんだけど」
海軍「米帝の攻撃が激しくて無理。鼠輸送も満足にできないし」
陸軍「潜水艦使えば敵にばれずに輸送できるじゃん」
海軍「そういう艦じゃねえからこれ! 物資輸送なんてやめて艦隊攻撃したいんだけど」
陸軍「お前らの方から泣きついておいて前線の兵士を見殺しにするのかタコ!」(海軍が泣きついてきたのは事実である)
海軍「そんなに言うなら自分達でやれよ! 潜水艦用意するからそっちで何とかしやがれ(今はそんなもんねーけどな)!」
陸軍「海軍の指図も施しも受けるか! もう俺らで潜水艦作るからな!」
…と、ざっくり言うとこのような経緯で誕生する事になったのが「まるゆ」である。
ちなみに潜水艦の供与を拒否した理由は「海軍に潜水艦運用の権限を奪われるのが嫌だった(というか海軍が艦隊決戦に縛られすぎていたこともあって、現実的にも不都合だった)」から。仲良くしろよお前ら…
(その他、当時は供与予定の潜水艦が存在していなかったこと様々な理由から陸軍で独自に建造することを決定した)
いらぬ摩擦を起こさぬよう海軍に内密で開発を開始したため、この潜水艦の存在は秘匿され、設計開発は陸軍が独自に行った。
その独自性は徹底しており、海軍工廠ではなく(というより工廠は大体海軍に押さえられていたため)民間のボイラー工場・製鋼所など4社に製造を頼むのは序の口、民間の潜水艇開発者に助力して貰ったり、戦車用の装甲を転用して耐圧隔壁にしたり、
「操縦も砲も通信もエンジンも詳しいんだろ?」という理由で戦車兵を転属させたりとてんやわんやである。
尚、実際に建造に関わった21世紀になっても知名度のある企業を挙げると日立製作所、神戸製鋼所(KOBELCO)、ダイキンなどがある。
だが最終的には海軍も「海軍の邪魔をするでも無いし、陸軍が独自の輸送力も持てば海軍としても楽になる」という理由であれこれ協力してくれたようだ。
そしてその涙ぐましい努力の末、ついに1943年10月に第一号が完成(ちなみに建造期間は基礎設計に2ヶ月、建造に9ヶ月の異例の早さ)。そして1943年12月、満を持して陸軍は海軍関係者を招待し潜航試験を実施する。その結果は…
潜航艇の中の人「ん? おっと、トリムの調整が難しいな。うまく潜れないな…っと、ようやく潜れたかな? …ん?」
陸軍「見ろ!ちゃんと潜航したぞ! バンザーイ!!」
海軍「…いや、ちょっと待て、あれ沈んでるだろ!?」
まさかの沈没。なお乗員は必死の努力の末になんとか浮上に成功し、無事救出されました。
この逸話は陸軍の「アホの子」ぶりを示すエピソードであるが、この話にはちゃんとした理由がある。
戦後発行された雑誌「偕行」にまるゆ乗組員の座談会が掲載されたのだが
「海軍の急速潜航は、航海中に四つのヒレを使って潜るんです。ところが陸軍の方は七研(第七技術研究所)がうまく設計したんですね。停止したまま沈む。そういう安全性はあったんです。それをむしろ建て前にして設計したらしいんですね」
「日立の笠戸工場でテストのとき(引用者注:上記の初テストのこと)に海軍の参謀が私のわきで、垂直に沈むなんて、海軍の常識では考えられない。『危ない、危ない』なんて最後までいっていた(笑い)」
(土井全二郎「陸軍潜水艦」より引用)
という具合である。たとえ沈没しなかったとしても、ノリノリな陸軍をよそに、海軍から見れば危なっかしい船であったらしい、ということは間違いない。
だが陸軍としては「とりあえず潜水と浮上が機能した」という最低ラインをクリアしたことで一応の成功扱いとなっている。
この「浮沈制御がうまくいかない」という潜水艦としての本質的問題点は、入渠時のセリフにも反映されている。
「お風呂に入ろ…あ、あれ?おかしいな、体が浮いちゃうよ!?」(小破入渠)
「ふぅ、疲れた…ゆっくりお風呂に…あれ?や、やだ!どんどん沈んじゃう!」(大破入渠)
このように泥縄式の開発体制ではあったが、ブロック工法を採用していたために生産性は高く、終戦までに40隻を建造。陸軍が潜水艦という特殊な艦艇を短期間でそれなりの数実戦に投入した実績は評価されてよい。
4社にわたって建造依頼したため、制式形式は同一であるのもかかわらず4種類の設計があった。ただしこれも、民間のメーカーに大量建造を行わせるときにしばしばとられる手法で、海軍でも輸送艦などで取っていたし、アメリカの駆逐艦や対潜護衛艦、護衛空母なども最低限の仕様を満たせば造船会社ごとの裁量が許されていた。
また安全潜行深度110mは海軍の潜水艦と比しても優秀な部類に入る。事故による喪失もフィリピンに派遣された内の1隻が座礁して海没したのみ。海軍なんか大戦期だけで何隻事故で沈めてるやら。
もちろん、潜行深度計がないため深度測定が勘頼りよりでまたに海底にぶつけたり気がついたら限界深度超過で圧潰しかけて九死に一生を得たとか、当時標準だった水洗トイレがないためドラム缶に貯めこんで艦内が異臭に満ちていた(荒天の時はお察しください)とか、居住スペースが劣悪で艦長室でも畳一畳分しかなかった(船員などお察しください)とか、最後まで不具合というか不備には苦しめられ続けたのだが。
……「陸海軍がもっと積極的に協力していればより優秀な潜水艦作れたんじゃね?」と思った貴方は決して間違っていない。実際海軍が本格的に設計に協力した後期型は居住性や物資搭載量、航洋性などの問題をある程度解決していた。終戦には間に合わなかったけどな!
ただ、開発には人材などそれなりにリソースが必要であり、対米戦の真っ只中で海軍の技術リソースを間引く事態を避けたという考え方も出来る。なにせ後期型に協力したとは言っても、主力の連合艦隊も滅んでいるこの時期には要はもうそれぐらいしか海軍に出来ることはなくなっていたのだから。
その後も水漏れや機関不調などあちこち不具合の連続で、乗員たちは改善のため奔走することとなる。それでも、モグラ呼ばわりされつつ健気に地味な任務を遂行し続けた「まるゆ」のお陰で飢餓や物資窮乏から救われた将兵は少なくなかったという。「まるゆ」が搭載できる物資の量は米換算で24トンだったが、この量は2万人の1日の食事を賄える量だった。陸戦場においては彼女はまさしく「幸運を運ぶ船」だった。
なお海軍も結局まるゆを上回る伊号三六一型潜水艦や潜輸小型という輸送潜水艦に手を出すが、特攻兵器の母艦として使用されたり就役が戦争末期だったこともあり、あまり目立った活躍はしていない。