概要
→自衛艦これも参照
艦隊これくしょんの実装艦で、海上自衛隊の現役の護衛艦に名前が受け継がれている面々のうち、石川島播磨重工業(現・IHI、ただし造船事業はジャパンマリンユナイテッドが継承)の今は無き東京第一工場(跡地は現在のアーバンドックららぽーと豊洲)で建造された護衛艦と同じ名前を持つ艦娘のイラストについて、当該タグがつけられる。単独絵、集合絵は問わない。
2015年3月現在、石播東京組に該当する艦娘は以下の4人。
・五月雨→汎用護衛艦「さみだれ」
以上は実艦の竣工順。「ちょうかい」は「こんごう」型4番艦で、「むらさめ」「さみだれ」「あけぼの」は「むらさめ(新)」型1・6・8番艦。当代で「むらさめ」「あけぼの」は日本海軍時代からの通算で4代目、「ちょうかい」は3代目、「さみだれ」は2代目。ことに「あけぼの」は沿岸護衛艦の3代目も石播東京生まれで、また「ちょうかい」は、現時点で三菱重工業長崎造船所以外で建造された唯一のイージス艦でもある。なお石播東京は上記の4代目「あけぼの」の竣工を最後に、2002年3月末をもって閉鎖された。
上記のほか、艦これ未実装ではあるが、日本海軍に同名の艦が存在した海自護衛艦で石播東京が建造した現役の艦として、「しらね」型護衛艦の「くらま」(←戦艦「鞍馬」)、「あさぎり」型護衛艦の「あさぎり」(←吹雪型駆逐艦「朝霧」)、同「あまぎり」(←吹雪型駆逐艦「天霧」)があるが、いずれも「むらさめ」より先輩になる。このうち「くらま」は海自に現存する最後のガスタービン機関による護衛艦でもある。
過去に存在した海自艦では3代目「ゆうだち」、2代目「もちづき」などがその石播東京で建造されている。
日本海軍と石川島播磨重工
東京工場近隣にあった佃工場(こちらは1979年に閉鎖されている)は石川島播磨重工業の母体の一つ東京石川島造船所を引き継いだものであるが、ここでも旧日本海軍の艦艇が建造されていた。その中には艦これに実装済みの艦も2隻ほど存在する。卯月と長月である。ある意味では彼女達は石播東京組の先輩格といえなくもないかもしれない。
(上記左のイラストで卯月の背後にあるのが石播東京第2ドック跡を活用した水上バス乗り場。なお、右の長月が立っている方は佃工場跡地である)
他方、石播のもう一つの母体である播磨造船所(現在のIHI相生事業所)にて建造された艦艇でもあきつ丸が実装されているが、その後相生事業所は造船を行わなくなったため、東京第一工場のように護衛艦の建造が行われることはなかった。
この播磨造船所では戦後、国内・外地問わず旧日本海軍の残存艦艇の解体も担っており、太平洋戦争の激戦を生き抜いた戦艦日向や軽巡木曾も同社の手で解体された。当代あけぼのの先祖にあたる駆逐艦2代目曙もその1隻で、フィリピンが米国から独立したあとの1955年、曙終焉の地であるマニラ湾に播磨造船所の技師が来比し、半ば転覆状態で放置されていた同艦(と木曾)のサルベージ、および解体作業にあたっている(いずれも解体は翌1956年)。これは日本の戦時賠償事業として行われたもので、独立したばかりの比政府にはこれらをサルベージする資金が足りなかったためであるとの話もあるという。
何はともあれ、2代目曙の解体をおこなった播磨造船所の流れをくむ石播が、のちに最後の東京艦となる当代あけぼのを手掛けることになる辺り、非常に興味深いものがある。
関連タグ
ひゅうが型・・・IHIの造船事業を引き継いだJMUの横浜事業所で建造されたヘリ母艦。「ひゅうが」「いせ」の2隻。JMU横浜事業所ではのちにいずも型(「いずも」「かが」の2隻)も手掛けている。
鳥海(JR東日本)・・・2014年度まで存在した寝台特急「あけぼの」の前身。旧国鉄時代に運行されたディーゼル急行の初代と、JR東日本になったあとの1990年に現れた寝台特急の4代目がのちに「あけぼの」と改称している(この「あけぼの」号についてもそちらの記事で説明)。