概要
1931年2月16日生まれ。福岡県中間市出身。本名は『小田剛一』。
戦後を代表する銀幕の大スター。映画だけに生涯を捧げ、TVドラマにはほとんど出演していない。
映画でのキャラ像を守るため、私生活は一切明かさなかったが、これが災いして死亡説が広がった時がある。さらに、不器用で寡黙な人物を多く演じていたため、役柄のイメージから『堅物』と勘違いされがちであった。
本来はお茶目で、気配りの人であり、おしゃべり好きな人であった。
しかし本当に真面目であり、SMAPのバラエティ番組にゲスト出演した際なども、ひたすら真面目に話し続けたため、木村拓哉が苦笑していた。
『夜叉』などで共演したビートたけしとの親交が深い。
たけし曰く「芸能界の男性で最も尊敬する人(女性は美空ひばり、『ビートたけしのオールナイトニッポン』より)」。
略歴
もともとは役者志望ではなく、美空ひばりのマネージャーをするつもりだったが、とある喫茶店で東映のスタッフにスカウトされ、俳優として担ぎ出された経緯がある。
学生時代にボクシングをやっていた経験を買われ、以来『日本侠客伝』シリーズなどのやくざ映画で一世風靡。高倉の影響で70年代初頭の学生運動に発展し、学生の間では『高倉健談義』をするもの多かった。1976年に東映を退社すると、『高倉=任侠もの』のイメージを打ち破るべく、1977年に『八甲田山』と『幸福の黄色いハンカチ』で第1回日本アカデミー賞を受賞。1983年に公開された『南極物語』は興行収入110億円を記録し、1997年に公開された宮崎駿監督のアニメ作品『もののけ姫』に抜かれるまで24年間邦画興行収入を保つこととなった。
義理堅く几帳面で、江利チエミと結婚するも紆余曲折あり破局。葬儀には姿を見せなかったものの以後命日参りを欠かさず、決して再婚することは無かった。
また役者として成功したのち、些細なことからルーツの一つである北条篤時のことを知り、以後法要に訪れ続けた。
次回作の準備中に体調を崩し、2014年11月10日、悪性リンパ腫のため死去。
マスコミに報じられたのは亡くなった一週間後の18日である。
辞世の句は『往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし』
逸話
男性ファンが非常に多く「健さん」の愛称で広く尊敬を集めた。中国でも高い人気を誇った。
初期の「ゴルゴ13」は彼のイメージが投影されていることで有名、実写版で彼自身がゴルゴを演じた経験もある。
また、大物俳優でありながら気取らず出演者やスタッフに気遣いを忘れず、時にはアドバイスや叱ることをしていた。
没後に、生前の功績をたたえて安倍晋三が国民栄誉賞の授与を検討すると発表し、間違いなく授与されるとニュースにもなったが、そのまま立ち消えとなった。
識者の賛同を得られなかった理由として、高倉と親交の深い映画監督の山田洋次や降旗康男が、日本共産党の支持者であったためという説が最も有力である。
代表作
主演作は全205本だが、ここに書かれているのはほんの一部である。
- 『網走番外地』シリーズ
- 『日本侠客伝』シリーズ
- 『昭和残侠伝』シリーズ
- 『電光空手打ち』(デビュー作)
- 『山口組三代目』
- 『三代目襲名』
- 『新幹線大爆破』
- 『幸福の黄色いハンカチ』
- 『駅 STATION』
- 『八甲田山』
- 『南極物語』
- 『ブラック・レイン』
- 『鉄道員(ぽっぽや)』
- 『単騎、千里を走る』
- 『あなたへ』(自身の遺作)