概要
長崎県南部にある都市(中核市)で、県庁所在地である。人口約44万人。
元亀2年(1571年)にポルトガルの要請によって海外貿易の門戸として開港。
江戸時代を通じて幕府直轄地であり、清・オランダとの貿易港として栄えた。
近代以降も開港場のひとつとして、中国・西洋文化の窓口となった。
広島市とは不思議なほど共通点が多く、よく並び称される。
など。
ただ、以下のように違うところもある。
- 広島は三角州の平坦な地形なのに対し、長崎は山に囲まれた坂が多い街。
- 広島は元々城下町である(もはや町並みに当時の名残はほとんどないが)が長崎はそうではない。
- 広島は原爆投下で中心部が壊滅的な被害を受けたが、長崎で壊滅的被害を受けたのは中心部から外れた浦上地区である。結果として長崎には明治以前の古い建物が多く残った。
注意点
長崎大水害(昭和57年長崎大水害・7.23長崎大水害)
1982年(昭和57年)7月23日から24日にかけて県南部に振り続けた記録的集中豪雨によって発生した。
この災害は洪水よりも長崎市の特徴である斜面の土砂災害による犠牲者が上回っており、断水・停電・道路寸断・冠水による壊滅的被害による長崎市の都市機能が麻痺する程の甚大な災害となってしまった。
当時は連日豪雨による警報が発令されていたものの、連日の警報に慣れてしまった事による市民の危機認識の麻痺が避難の遅れに繋がった事も犠牲者多発の原因になってしまったという。立て続けに起きた土砂災害もあって行政の混乱で大村市の陸上自衛隊への救助要請が中々来ず、報道での惨状を既に見ていた大村駐屯地側が長崎市から救助要請が来ない事に疑問を持ち、自衛隊上層部からの派遣命令が出る前に先行として幹部隊員数名を長崎市に派遣しつつ、後方からは演習の名目で車両を出動して長崎市を目指していたという。
先行派遣していた数名の幹部隊員のうち一名がなんとか長崎県庁に辿り着いた時にはようやく行政から要請が出ていたのだが、隊員の無線によって事態の深刻さがより判明した。
この甚大な災害によって、後に対策工事が進められた上に警報・注意報でより土砂災害の恐れを呼びかけるようになった。
この大水害で一度、長崎市の名所「眼鏡橋」は崩壊し構成している石ブロックが下流に流されてしまっていた。
関連タグ
sola(作品の舞台の元ネタが長崎市)
遠藤晶(長崎市出身の設定)