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醍醐忠順の編集履歴

2020-02-14 07:42:36 バージョン

醍醐忠順

だいごただおさ

醍醐忠順とは江戸時代末期から明治時代の公卿、華族。

概要

父は内大臣醍醐輝弘、母は鷹司辰子(関白鷹司政煕の娘)。官位は正二位、権大納言、明治維新は侯爵貴族院議員


プロフィール

時代江戸時代末期ー明治時代
生誕文政13年3月17日(1830年4月9日
死没明治33年(1900年)7月4日
官位正二位、権大納言侯爵
主君仁孝天皇孝明天皇明治天皇
氏族醍醐家
父母父:醍醐輝弘、母:鷹司辰子(鷹司政煕の娘)
兄弟忠善忠順
家女房
忠告忠敬忠貞忠直、好子、親子

経歴

天保2年(1831年)従五位下、天保14年(1843年)に従三位、文久3年(1863年)に権大納言に就任した。慶応4年(1868年)に参与、同年に大阪府知事、明治17年(1884年)の華族令施行では侯爵に叙爵された。明治23年(1890年)に貴族院議員に就任した。


家族

系図

後陽成天皇一条昭良醍醐冬基冬熙経胤輝久輝弘醍醐忠順

系譜

父母

父:醍醐輝弘

母:鷹司辰子(鷹司政煕の娘)

子女

男子:醍醐忠告

男子:醍醐忠敬

男子:一条忠貞

男子:醍醐忠直

女子:醍醐好子(賀陽宮邦憲王

女子:醍醐親子(鶴殿忠善夫人)


従兄弟

四条隆謌

四条隆平

四辻公積

中院通富

鷹司輔煕

華園摂信

徳大寺公純

九条幸経


醍醐忠重

賀陽宮恒憲王


関連項目

朝廷 公卿 華族 侯爵 醍醐家

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