この項では、党の正式名称であることから、党の沿革について扱う。
党の組織についてはナチス、党の主要人物については第三帝国の項を参照のこと。
沿革
党の結成から政権与党になるまで
1918年3月7日 - ドイツのミュンヘンにて『ドイツ労働者の平和に関する自由委員会』として結成。
1919年1月5日 - 党首を第一議長と称する『ドイツ労働者党』に組織変更。
1919年9月12日 - アドルフ・ヒトラーが入党。
1919年11月 - 演説会等における他党からの妨害を排除する組織として、党内に『整理隊』を設置。
1920年2月24日 - 党の名称を『国家社会主義ドイツ労働者党』に改称。
1921年7月29日 - アドルフ・ヒトラーが『国家社会主義ドイツ労働者党』の第一議長になり、ほどなくして『Führer(指導者)』の称号を名乗るようになる。
1921年8月3日 - 党内組織の『整理隊』を『体育およびスポーツ隊』に改称。
1921年9月10日 - 党内組織の『体育およびスポーツ隊』を『突撃隊』に改称。
1923年11月8日 - クーデター未遂事件であるミュンヘン一揆が発生。ヒトラーを含む首謀者が逮捕され、党の活動が政府によって禁止される。
1924年5月4日 - 党が活動禁止のため、ドイツ民族自由党と連携して『国家社会主義自由運動』と称する党派を結成。この日に投票が行われた国会選挙で472議席中32議席を獲得する。
1924年12月7日 - この日に投票が行われた国会選挙で『国家社会主義自由運動』が493議席中14議席に後退する。
1925年2月16日 - 政府によって、ミュンヘン一揆に伴う党の活動禁止が解除される。
1925年2月27日 - 活動禁止の解除に伴う再結成党大会を開催。『突撃隊』もこの時に復活した。
1925年3月29日 - この日に投票が行われた大統領第一次選挙に党員のルーデンドルフが出馬。得票率は1%未満で敗れた。
1925年7月18日 - ヒトラー、『我が闘争』を出版する。
1925年9月21日 - 党内組織の『突撃隊』の下部組織として『親衛隊』を設置。
1928年5月20日 - 初めて党単独で候補者を出した国会選挙の投票が行われた日。491議席中12議席を獲得する。
1930年9月14日 - この日に投票が行われた国会選挙において577議席中107議席を獲得。第二党になる。
1932年4月10日 - ヒトラーが出馬した大統領選挙の第2回投票日。約30%の得票率であったものの現職に敗れる。
1932年7月1日 - この日に投票が行われた国会選挙において608議席中230議席を獲得。第一党になる。
1932年11月6日 - この日に投票が行われた国会選挙において584議席中196議席を獲得。第一党を維持する。
1933年1月30日 - 大統領がヒトラーを首相に指名、ヒトラー内閣が発足する。『国家社会主義ドイツ労働者党』が政権与党になる。
ドイツ国会の完全制覇と独裁成立の達成、第二次世界大戦の開戦まで
1933年2月4日 - 大統領令『ドイツ民族保護のための大統領令』が発せられ、集会・デモ行進・機関紙が政府の命令で禁止できるようになった。ヒトラー内閣による強制的同一化政策の始まり。
1933年2月27日 - 国会議事堂放火事件。翌日に大統領令『民族と国家防衛のための大統領緊急令』及び『ドイツ国民への裏切りと反逆的策動に対する大統領令』が発せられて国会議員を含むドイツ共産党員、ドイツ社会民主党員が多数逮捕される。
1933年3月5日 - この日に投票が行われた国会選挙において647議席中288議席を獲得。第一党を維持し、国家人民党と連立することで過半数を達成する。
1933年3月9日 - 国会におけるドイツ共産党の81議席が議席もろとも抹消される。議席の総数が減ったことによって党による単独過半数が達成される。
1933年3月23日 - 国会において全権委任法が可決される。ヒトラー内閣による独裁の始まり。
1933年3月31日 - 全権委任法に基づき、国会と地方議会の議席の配分を同一の割合にすることを基本とする『ラントとライヒの均制化に関する暫定法律』が政府によって制定され、同日施行された。また、ドイツ共産党が政府から活動禁止命令を受けた。
1933年4月26日 - プロイセン州の政治警察部門が秘密国家警察局『ゲシュタポ』に改称。
1933年6月22日 - 当時の国会における第二党の『ドイツ社会民主党』が政府から活動禁止命令を受ける。
1933年6月27日 - 当時のドイツにおける主要政党である『ドイツ国家人民党』が解散する。
1933年7月3日 - 当時のドイツにおける主要政党である『カトリック中央党』が解散する。
1933年7月14日 - 全権委任法に基づき、新たな政党の結成を禁止する『政党新設禁止法』が政府によって制定され、同日施行される。この法律の施行までに『国家社会主義ドイツ労働者党』を除くすべての政党が政府の命令によって活動禁止、もしくは自主的に解散してしまっていたため、合法な政党は『国家社会主義ドイツ労働者党』のみとなった。
1933年11月22日 - この日に投票が行われた国会選挙において661議席中661議席を獲得。この国会選挙をもって党による国会の完全制覇が達成された。
1933年12月1日 - 全権委任法に基づき、党と国家の一体化を基本とする『党と国家の統一を保障するための法律』が政府によって制定され、同日施行される。
1934年1月30日 - 全権委任法に基づき、各州の主権がドイツ国に移譲されて州議会は解散、すべての州公務員が国家の支配を受けることを基本とする『ドイツ国再建に関する法』、ならびに当時のドイツにおける上院にあたる参議院を廃止することを盛り込んだ『ライヒ新構成法』が政府によって制定され、同日施行される。
1934年2月14日 - 先に制定、施行された『ライヒ新構成法』によって参議院が廃止され、一院制になる。
1934年6月30日 - 長いナイフの夜事件。党内組織である突撃隊の幹部が粛清される。その後、それまで突撃隊の下部組織とされていた親衛隊等の組織が切り離されて独立した党内組織になる。
1934年8月1日 - 全権委任法に基づき、大統領が空位になった後の扱いに関する『国家元首に関する法律』が閣議決定によって制定され、同日施行される。
1934年8月2日 - 大統領が死去したため、『国家元首に関する法律』により、大統領と首相の権限が統合される。この日をもってヒトラーは当時のドイツにおける最高指導者になった。
1935年3月16日 - ヴェルサイユ条約の軍備制限条項を破棄する内容の再軍備宣言を行う。
1935年4月1日 - ドイツにおける司法組織全体の政府への取り込みを完了。
1935年9月15日 - 全権委任法に基づき、党の旗であるハーケンクロイツ旗を新たなドイツ国旗とする法律が制定、施行され、国旗も『ドイツ国=国家社会主義ドイツ労働者党』になった。その他にも、同日に開催された国会において、国籍所有者を政治等に参加できる者とそうでない者に切り分ける『帝国市民法』、ならびにドイツ国内におけるユダヤ人の認定を受けた者とドイツ人ないし同種の血を持つ国籍所有者と認定された者による婚姻等を禁じた『ドイツ人の血と名誉を守るための法律』が可決される。
1936年3月7日 - ラインラント進駐。
1936年3月29日 - この日に投票が行われた国会選挙で741議席中741議席を獲得。
1936年8月1日 - ベルリンオリンピック開幕。
1938年3月13日 - オーストリアを併合。
1938年3月29日 - ミュンヘン会談の結果に基づき、チェコスロバキアのズデーテン地方を併合。
1938年4月10日 - この日に投票が行われた国会選挙で813議席中813議席を獲得。
1938年11月9日 - 水晶の夜事件。
1939年3月15日 - チェコスロバキアのボヘミア・モラビアを『ベーメン・メーレン保護領』としてドイツの保護領とする。
1939年3月22日 - リトアニアのメーメルを住民投票で併合。
1939年5月12日 - イタリア王国と『ドイツ・イタリア間の友情と同盟に関する協約』を締結する。
1939年8月23日 - 独ソ不可侵条約が締結される。
1939年9月1日 - ドイツによるポーランド侵攻。翌々日にポーランドとの相互援助条約を個別に締結していたイギリスとフランスがドイツに宣戦布告。第二次世界大戦の始まり。
1939年9月17日 - ソビエト連邦によるポーランド侵攻。
1939年10月6日 - 最後まで抵抗を続けていたポーランド軍部隊が降伏。独ソ両軍によってポーランドが完全に制圧される。
第二次世界大戦の敗北とドイツの滅亡まで
1940年4月9日 - 午前0時をもってノルウェー、デンマークへの侵攻を開始。8時間34分後にデンマークは降伏。
1940年5月1日 - ドイツ軍がノルウェーを完全に制圧。
1940年5月10日 - フランス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクへ侵攻を開始。
1940年5月14日 - オランダ軍が降伏、オランダ王室及びオランダ政府はイギリスへ亡命。
1940年5月16日 - ルクセンブルグにおいて政府評議委員会が設立され、ドイツによる占領を受け入れる。
1940年5月28日 - ベルギーが降伏。
1940年6月10日 - イタリア王国>イタリア]]が、イギリス、フランスに対して宣戦布告。
1940年6月22日 - フランスが対独伊休戦協定に調印。
1940年9月2日 - 日独伊三国軍事同盟を締結。
1940年10月28日 - イタリア王国がギリシャに対して宣戦布告。バルカン半島での戦いの始まり。
1941年4月6日 - ユーゴスラビアへ侵攻。
1941年4月10日 - ギリシャ・イタリア戦争にイタリア側として介入。
1941年4月17日 - ユーゴスラビアを完全に制圧。ユーゴスラビア政府は亡命。
1941年6月22日 - バルバロッサ作戦を発動、ソビエト連邦に侵攻を開始。独ソ戦の始まり。
1941年12月11日 - 12月7日(日本時間:12月8日)に大日本帝国が真珠湾攻撃を行い、アメリカ合衆国及びイギリスに宣戦布告したことを受け、ドイツ、イタリアもアメリカ合衆国に宣戦布告。
1943年1月25日 - 国会選挙の延期を決定。予定日は1947年1月30日だった。
1943年9月8日 - イタリア王国が連合国に降伏。
1943年10月3日 - イタリア王国がドイツに対して宣戦布告。
1944年6月6日 - 連合軍がノルマンディー上陸作戦を実施。
1944年7月20日 - ヒトラー暗殺未遂事件。
1944年8月24日 - ルーマニアにおいて政変が発生。同日中に対独宣戦布告。
1944年8月25日 - 西部戦線の連合軍によるパリ解放。
1944年9月9日 - ブルガリアで政変が発生。同日中に対独宣戦布告。
1944年9月14日 - 西部戦線の連合軍がドイツ国境を越えての攻撃を開始。
1944年9月19日 - フィンランドがソビエト連邦と講和条約を締結。
1945年4月22日 - パリ解放の際に脱出したヴィシー政権の閣僚が逮捕される。
1945年4月30日 - ヒトラーが自殺。自殺に際し、後継として、大統領にカール・デーニッツ、首相にヨーゼフ・ゲッペルスを指名した。
1945年5月1日 - 首相に指名されたゲッペルスが自殺。大統領のデーニッツ自らが政府の指揮を執ることになった。
1945年5月7日 - アルフレート・ヨードル大将がランスにおいて、ドイツ軍が連合国に降伏する文書に署名。
1945年5月8日 - ヴィルヘルム・カイテル元帥がベルリンのカルルスホルストにおいて、ドイツ軍が連合国に降伏する文書の批准を行う。
1945年5月23日 - デーニッツをはじめとするヒトラー内閣の後継政権の政府閣僚が逮捕され、事実上の解散状態になる。
1945年6月5日 - この日に発表された事実上のドイツ抹殺宣言であるベルリン宣言によってドイツには合法な政府が存在しないことが宣言され、1871年1月18日の統一達成以来続いてきたドイツ国は滅亡、連合国による軍政府を主権政府とする占領地域となって地上から抹消された。
1945年10月10日 - 連合国軍政府が発した連合国管理理事会指令第二によって『国家社会主義ドイツ労働者党』は公式に解散し、活動禁止となった。また、この指令によって再結成、名称を変えての再建も禁止された。