基本プロフィール
棋歴
1976年12月20日、僅か14歳で四段プロデビュー。(これは藤井聡太七段、加藤一二三九段に次ぐ史上3番目の若さである。)
1983年6月15日、第41期名人戦挑戦者決定リーグ戦にて7勝2敗の成績となり中原誠二冠とのプレーオフを制しタイトル初挑戦。加藤一名人との番勝負を4勝2敗で制して名人位を奪取(21歳の若さでの名人獲得は、史上最年少記録)。
1991年には史上4人目の四冠王(竜王・棋聖・王位・王将)に輝く。
羽生善治九段らを始めとする若き羽生世代の台頭の前に立ちはだかる壁となり、1995年には羽生の七冠達成がかかった第44期王将戦においてはフルセットの激戦の末、王将位を防衛。羽生の七冠独占を阻止した。しかし羽生は残る6つのタイトルを全て防衛し、再びリターンマッチへ挑んできた。そして開幕した第45期王将戦は羽生の3連勝で進み、1996年2月14日、第4局で敗れ王将位をストレートで失冠。羽生の七冠達成を手助けしてしまった。
その後、一度は羽生から竜王・名人を奪い返すことに成功したが、そのタイトルも名人は佐藤康光、竜王は藤井猛といった羽生世代の棋士に奪われ、2004年の棋王位失冠(ちなみに相手はまたもや羽生)以来、タイトル戦から遠ざかっている。(最高で棋聖戦ベスト4)
2014年、第72期A級順位戦7回戦で行方尚史八段に敗れ、最終戦を残したまま連続32期在籍したA級から陥落となった。
2020年1月23日、第78期B級1組順位戦12回戦において千田翔太七段に敗れ、最終局を残してB級2組への降級が決定した(最終成績は3勝9敗)。名人経験者のB級2組への降級は加藤一二三九段、丸山忠久九段(後にB級1組へ復帰)に続く史上3人目、また初の永世名人資格保持者がB級2組へ降級となった。
2020年度の第3回AbemaTVトーナメント(非公式戦)では「チーム康光」の一員として参加する。
余談
棋風は、独創的かつ芸術的な手順で相手玉を詰ませることから「光速の寄せ」「光速流」と呼ばれる。
詰将棋作家としての一面がある。詰将棋専門誌『詰将棋パラダイス』が主催する「看寿賞」の1997年度特別賞を受賞した。将棋の公式専門雑誌将棋世界における詰将棋サロンには「谷川賞」の選定も行っている。
第3回AbemaTVトーナメント(非公式戦)では「チーム康光」のメンバーと共にTwitterアカウントを開設。
棋戦優勝履歴
八大タイトル戦(登場予定も含む)
☆は永世称号資格保持
棋戦名 | 獲得数(年度) | 登場回数(年度) | 備考 |
---|---|---|---|
竜王 | 4期(1990年度~1991年度・1996年度~1997年度) | 6回(1991年度~1993年度・1996年度~1998年度) | |
名人 | 5期(1983年度~1984年度・1988年度~1989年度・1997年度) | 11回(1983年度~1985年度・1988年度~1990年度・1997年度~1999年度・2001年度・2006年度) | ☆ |
叡王 | - | - | |
王位 | 6期(1987年度・1989年度~1991年度・2002年度~2003年度) | 11回(1987年度~1992年度・1999年度~2000年度・2002年度~2004年度) | |
王座 | 1期(1990年度) | 6回(1985年度・1990年度~1991年度・1993年度~1994年度・1998年度) | |
棋王 | 3期(1985年度・1987年度・2003年度) | 7回(1985年度~1988年度・1992年度・2003年度~2004年度) | |
王将 | 4期(1991年度~1994年度) | 7回(1991年度~1996年度・2000年度) | |
棋聖 | 4期(1991年度後期~1992年度後期・1999年度) | 9回(1984年度前期・1991年度後期~1994年度前期・1999年度~2000年度) |
計27期(歴代第4位・登場57回)
一般棋戦
棋戦名 | 優勝回数 |
---|---|
全日本プロトーナメント | 7回 (1984年度~1986年度・1988年度・1995年度・1997年度・2000年度) |
NHK杯 | 1回 (1985年度) |
銀河戦 | 1回 (2002年度) |
将棋日本シリーズ | 6回 (1989年度~1990年度・1992年度・1996年度~1997年度・2009年度) |
天王戦 | 2回 (1989年度・1991年度) |
オールスター勝ち抜き戦 | 3回 (1982年度・1984年度・1986年度) |
名棋戦 | 1回 (1979年度) |
若獅子戦 | 1回 (1978年度) |
計22回