概要
1970年代に「四人囃子」のベーシスト、1980年代に「プラスチックス」のキーボーディスト、2000年代に「Ces Chiens」のギタリストとして活動。「佐久間式ピッキング法」と呼ばれるベースの逆アングルピッキングは多くのプレイヤーに影響を与えた。
また、音楽プロデューサーとしてBOØWY、ザ・ブルーハーツ、GLAY、ジュディ・アンド・マリー、エレファントカシマシ、くるりなど、2010年までの31年間で約144組のアーティストをプロデュースした一方でテレビ番組やCM、映画音楽なども制作している。
また、一部ミュージシャン向けに自ら組み上げたエレキギターの「Journeyman」とベースギターの「TopDog」を販売していた。
来歴
1952年2月29日、東京都文京区に誕生。三味線の師匠だった母から音楽的な影響を受ける。
1967年、東京都立杉並高等学校に進学。在学中、キーボード奏者茂木由多加と知り合う。
1971年、和光大学に進学。茂木由多加、下幸子とフォーク・グループ「ノアの箱船」を結成。メンバーの変遷を経て「万華鏡」となる。「浦和ロックンロール・センター」を拠点に活動。
1975年、先に加入していた茂木から誘われ、「四人囃子」に加入。リーダーだった森園勝敏が脱退したため、楽曲の多くを手がけることになる。
1978年に「四人囃子」を脱退。「プラスチックス」にベーシストとして誘われて加入。しかし他のメンバーと技量に差があり過ぎたため、シンセサイザー奏者となる。
1979年、「P-MODEL」の1stアルバム「IN A MODEL ROOM」(ワーナー・パイオニア)をプロデュース。香港映画「ドランクモンキー 酔拳」(思遠影業公司)の日本向け主題歌「拳法混乱~カンフージョン」を作曲。
1981年、「プラスチックス」が解散。
1984年、1stソロ・アルバム「LISA」(ビクター)を発売。
1985年、「BOØWY」の3rdアルバム「BOØWY」(東芝EMI)をプロデュース。翌年の「JUST A HERO」でもシンセサイザーやアドヴァイザーとして携わる。
1987年、「ブルーハーツ」の2ndアルバム「YOUNG AND PRETTY」(メルダック)をプロデュース。
1989年、氷室京介の2ndアルバム「NEO FASCIO」をプロデュース。作中でドラムス以外の全楽器を演奏している。
1994年、「ジュディ・アンド・マリー」をプロデュース(~1998年)。「黒夢」をプロデュース(~1995年)。「modern grey」をプロデュース(~1996年)。早川義夫の2ndソロ・アルバム「この世で一番キレイなもの」(ソニー)をプロデュース。
1995年、「GLAY」をプロデュース(~2011年)。
1996年、「エレファントカシマシ」をプロデュース(~2000年)。
1998年、「ヒステリック・ブルー」をプロデュース(~2003年)。「くるり」の1stアルバム「さよならストレンジャー」(SPEEDSTAR RECORDS)をプロデュース。
2003年、佐久間が憧れていた早川義夫と「Ces Chiens」を結成。