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佐久間正英の編集履歴

2020-11-19 18:03:23 バージョン

佐久間正英

さくままさひで

日本のミュージシャン、作曲家、音楽プロデューサー。

概要

1970年代に「四人囃子」のベーシスト1980年代に「プラスチックス」のキーボーディスト2000年代に「Ces Chiens」のギタリストとして活動。「佐久間式ピッキング法」と呼ばれるベースの逆アングルピッキングは多くのプレイヤーに影響を与えた。


また、音楽プロデューサーとしてBOØWYザ・ブルーハーツGLAYジュディ・アンド・マリーエレファントカシマシくるりなど、2010年までの31年間で約144組のアーティストプロデュースした一方でテレビ番組CM映画音楽なども制作している。

また、一部ミュージシャン向けに自ら組み上げたエレキギターの「Journeyman」とベースギターの「TopDog」を販売していた。


来歴

1952年2月29日東京都文京区に誕生。三味線の師匠だった母から音楽的な影響を受ける。

1967年東京都立杉並高等学校に進学。在学中、キーボード奏者茂木由多加と知り合う。

1971年和光大学に進学。茂木由多加、下幸子フォーク・グループノアの箱船」を結成。メンバーの変遷を経て「万華鏡」となる。「浦和ロックンロール・センター」を拠点に活動。


1975年、先に加入していた茂木から誘われ、「四人囃子」に加入。リーダーだった森園勝敏が脱退したため、楽曲の多くを手がけることになる。

1978年に「四人囃子」を脱退。「プラスチックス」にベーシストとして誘われて加入。しかし他のメンバーと技量に差があり過ぎたため、シンセサイザー奏者となる。

1979年、「P-MODEL」の1stアルバム「IN A MODEL ROOM」(ワーナー・パイオニア)をプロデュース。香港映画「ドランクモンキー 酔拳」(思遠影業公司)の日本向け主題歌「拳法混乱~カンフージョン」を作曲。

1981年、「プラスチックス」が解散。

1984年、1stソロ・アルバム「LISA」(ビクター)を発売。


1985年、「BOØWY」の3rdアルバム「BOØWY」(東芝EMI)をプロデュース。翌年の「JUST A HERO」でもシンセサイザーやアドヴァイザーとして携わる。

1987年、「ブルーハーツ」の2ndアルバム「YOUNG AND PRETTY」(メルダック)をプロデュース。

1989年氷室京介の2ndアルバム「NEO FASCIO」をプロデュース。作中でドラムス以外の全楽器を演奏している。

1992年、「筋肉少女帯」をプロデュース(~1993年)。

1994年、「ジュディ・アンド・マリー」をプロデュース(~1998年)。「黒夢」をプロデュース(~1995年)。「modern grey」をプロデュース(~1996年)。早川義夫の2ndソロ・アルバム「この世で一番キレイなもの」(ソニー)をプロデュース。

1995年、「GLAY」をプロデュース(~2011年)。

1996年、「エレファントカシマシ」をプロデュース(~2000年)。

1998年、「ヒステリック・ブルー」をプロデュース(~2003年)。「くるり」の1stアルバム「さよならストレンジャー」(SPEEDSTAR RECORDS)をプロデュース。


2003年、佐久間が憧れていた早川義夫と「Ces Chiens」を結成。

2013年、末期のスキルス胃がんであることを公表。

2014年1月16日、死去。


関連タグ

四人囃子 プラスチックス プロデューサー

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