概要
メンバーは宮本浩次(ヴォーカル)、石森敏行(ギター)、高緑成治(ベース)、冨永義之(ドラムス)。
1988年、アルバム「THE ELEPHANT KASHIMASHI」でデビュー。
デビュー後の彼らの活動は4つの時期に分けられる。
エピック・ソニー時代
激しいロックの曲が多く、歌詞も相当過激である。1stアルバム「THE ELEPHANT KASHIMASHI」には、後年のライブでも定番曲の「ファイティングマン」「デーデ」などが収録されている。
その後、「THE ELEPHANT KASHIMASHI II」「浮世の夢」「生活」「エレファントカシマシ5」をリリースするが、売れ行きはイマイチであった(その影響か、「生活」では「豚に真珠だ貴様らに聴かせる歌など無くなった」と歌っている曲がある)。
6枚目のアルバム「奴隷天国」は売れ筋のものができたと思って発売したが、それは間違いだったとのちに宮本がインタビューで語っている(しかし後年ではファンの間での人気曲の一つとなる)。
7枚目のアルバム「東京の空」を最後に、エピック・ソニーからの契約を打ち切られてしまう。
ポニーキャニオン時代
一旦メジャーから離れた後、1996年シングル「悲しみの果て/四月の風」をリリース。初期と打って変わってタイアップ路線で、かつフォーク色を強めた結果、徐々に売れ行きが伸びる。同年、アルバム「ココロに花を」をリリース。
1997年にフジテレビのドラマ『月の輝く夜だから』の主題歌として発売された「今宵の月のように」は、70万枚とキャリア最高の売上を記録した。
この曲が収録されたアルバム「明日に向かって走れ-月夜の歌-」は邦楽アルバムチャートで1位と言う、バンド初の快挙を遂げた(この時のインタビューで宮本は「これが売れるのは当然だ」と言うくらい売れ筋になる確証があった)。
1998年のアルバム「愛と夢」ではリズムマシンを使った楽曲制作に取り組んでおり、これが東芝EMIでの音楽性に大きく関わっていく。
東芝EMI時代
1999年に移籍。同年に出したアルバム『good morning』は、歌という様式すら破壊しかねないキラーチューン「ガストロンジャー」をはじめ、世紀末の空気感を如実に表した作品となっている。このアルバムでは宮本の打ち込みによって制作された楽曲が多くあり、メンバー全員がレコーディングで参加したのはガストロンジャーのみである。
その後アルバム『ライフ』では、プロデューサーに小林武史を迎え、ニューヨークでのレコーディングを行った。
ミニアルバム「DEAD OR ALIVE」ではバンドサウンドに回帰し、立て続けに「俺の道」「扉」「風」「町を見下ろす丘」をリリースした。
2006年に冨永が慢性硬膜下血腫を発症したが、手術を無事に終えて復帰した。
ユニバーサルミュージック時代
2007年に移籍。このころから蔦谷好位置、亀田誠治等のプロデューサーを楽曲制作に迎えることが多くなる。移籍第一弾シングル『俺たちの明日』はウコンの力のCMソングとなり、長い期間放映された。(さらに2019年にドラマ「集団左遷!!」のテーマソングとなった)その後、アルバム『STARTING OVER』『昇れる太陽』『悪魔のささやき〜そして、心に火を灯す旅〜』『MASTERPIECE』をリリース。
2012年、宮本が突発性難聴に罹患し、活動休止。その後ベスト盤『THE BEST 2007-2012 俺たちの明日』をリリースした。
約1年後の2013年に「復活の野音」にて活動再開2013年。その翌年の2014年には自身最大規模の「さいたまスーパーアリーナ」で、デビュー25周年ライブを開催した。
その後、アルバム「RAINBOW」をリリース。2017年には自身初のオールタイムベストアルバム「All Time Best Album THE FIGHTING MAN」をリリース。それに伴い全47都道府県を回る30周年ツアーを開催し、全ての会場でチケットが完売となる大成功を収めた。
同年の紅白歌合戦では初出場を果たし、代表曲「今宵の月のように」を披露。
2018年にアルバム「Wake Up」をリリース。さらに彼らの地元である赤羽駅で5番線ホームに「俺たちの明日」、6番線ホームに「今宵の月のように」 が発車メロディーとして採用された。
2019年に所属事務所がアミューズに移籍。同年にはボーカル宮本のソロ活動が本格化したことを受け、バンドとしての活動は限定的なものとなる。
2023年にデビュー35周年を迎え、シングル「yes.I.do」をリリース。バンド初となる全国アリーナツアーが開催された。同年、52枚目のシングル「No more cry」をリリース。2回目の紅白歌合戦への出場も果たし、「俺たちの明日」を披露した。
バンドの特徴は、宮本の類稀なるカリスマ性であると言える。初期の頃はライブの際に観客に正座を要求したり、ドラムを間違えた冨永にマイクを投げつけるなどエキセントリックな振る舞いが目立った。バンドのメンバーは宮本の独裁的な性格を長年の付き合いからよく知っているため、あまり彼に口答えすることはない。
しかしそれでもメンバーが宮本についていくのは、彼の圧倒的な才能に全員が疑いを持たず、彼の作り出す音楽を全力で演奏することに命を懸けているからである。
自身もメンバーに対して強く当たってしまうことをいつも反省している(それでもやはりギターの石森には何かと強く当たっているが、石森を「相棒」と称するほど信頼を寄せていることが根底にあるため)。
男らしい力強い曲から、繊細で優しい曲までジャンルが幅広く、いい意味で一つの色に染まらない音楽性が最大の魅力と言える。
どの曲でも基本的に「人生色々大変だけどドーンと行こうぜ!」と言う宮本自身のポリシーが色濃く出ている。
紆余曲折ありながらも進み続けるその姿は、世間の人々はもちろん、様々なミュージシャン、芸能人、に多くの影響を与えている。
余談
・30年以上のメジャーでの活動歴のあるバンドの中で、BUCK-TICKと共にメジャーデビュー後の解散・再結成やメンバーの脱退・加入の無い数少ないバンドとして知られているが、BUCK-TICK同様インディーズ時代にメンバー交代を経験しており、結成当初は女性メンバーが居た(パートはオルガン)。
また、宮本浩次はオリジナルメンバーではない(1983年加入)。
・エレファントカシマシという名前の由来は、「エレファント・マン」という映画と、「かしまし娘」が由来となっているらしいが、本人たちもあまり覚えていない。
・メンバーの愛称は
宮本浩次→ミヤジ
石森敏行→石くん
高緑成治→成ちゃん
冨永義之→トミ
となっており、これらはメンバー同士の呼び方がそのままファンの間でも定着している。
・日比谷野外音楽堂でのライブは1988年から毎年開催しており、宮本が突発性難聴を発症した2012年にも、弾き語りをメインとした形で開催された。
そのためファンからは「聖地」と呼ばれている。
競争率の高さから抽選に落ちたファンは音漏れを聞きに会場の外に集まり「外聞き」をする。
新型コロナウイルスが流行った2020年は外聞き規制がされたが、初の配信ライブがされた。
・TVなどに出た際のサインを書くときはシンプルな楷書である。理由は宮本が自身の好きなアーティストからサインを貰った際、「何が書いてあるか分からない」と感じたからだという。
・エレファントカシマシ公式ファンクラブPAOの象のイラストは宮本自身が描いたものである。
・ギターの石森が2023年に自身のX(旧Twitter)アカウントを開設。画像やリンクにエレカシ楽曲の歌詞を添えて投稿する独特のスタイルをとっている。
・宮本と同姓同名の「宮本浩次(みやもと・こうじ)」という名のシンガーソングライターが居り、ソロで活動している。
因みにかつては「エレカシの宮本」と「ピンの宮本」と呼んで区別されていた。