概要
中央アジアの地域で現在は中華人民共和国の新疆ウイグル自治区となっている地域。
中央アジアはテュルク系民族が多く住む地域でもあるのでトルキスタンとも呼ばれるが、そのうちパミール高原を境にした東部の地域であることから東トルキスタンの名がある。
概ね、北に天山山脈、南には崑崙山脈、東は甘粛省に接している。
全体に乾燥しており、西部のタリム盆地には広大なタクラマカン砂漠が広がるが、周囲の高山からの雪解け水を水源としたオアシスが点在している。
歴史
この地域には古来中国との貿易や戦争が多かったせいで漢文資料が多く残されている。それによると、紀元前後にはオアシスを中心とした都市国家が林立し、興亡を経て大きく5つ前後の国にまとまっていたという。西から疏勒(そろく)国(現在のカシュガル)、于闐(うてん)国(現在のホータン)、亀茲(きじ)国(現在のクチャ)、焉耆(えんぎ)国(現在の焉耆回族自治県)、高昌(こうしょう)国(現在のトルファン市高昌区)、鄯善(ぜんぜん)国(楼蘭国ともいい、現在は砂漠に消えた遺跡の場所について諸説ある)などである。これらの国々は北の匈奴、東の前漢・後漢、インドのクシャーン朝などの圧力を受けながらほぼ独自の王朝を築いていたらしい。やがて突厥や唐の征服を受けることになるが、オアシス国家の人々は交易商人として活躍し、東西の貿易を活発化させていったという。彼らの用いた交易路が、いわゆるシルクロードである。唐の衰退とともに、この地を支配するようになったのがトゥルク系の遊牧民、ウイグルであった。彼らの支配と定住によって、後世に至るトルキスタン、ウイグル人の地が成立していった。またイスラム教が伝播し、次第に仏教に代わって多数派となっていった。やがてモンゴル帝国、オイラト系のジュンガル帝国の支配を経て清朝に征服されて以後は中国領となる。
核実験
1964年10月16日に初の核実験が、1967年6月17日には初の水爆実験が行われた。中国政府はこれまで46回におよぶ核実験を行ったと公式発表しているが、実際は、小規模の実験も含め、同地における核実験は50回以上に及ぶと推定されている。
2002年8月以降の調査で、中国が東トルキスタンで実施した核実験によって、ウイグル人を中心に19万人が急死し、健康被害者は129万人にのぼり、そのうち、死産や奇形などの胎児への影響が3万5000人以上、白血病が3700人以上、甲状腺がんは1万3000人以上に達すると発表された。
また、被害はシルクロード周辺を訪れた日本人観光客27万人にも及んでいる恐れがあり、影響調査が必要であるとの指摘がある。
独立運動
東トルキスタンでは住民暴動が頻発しており、2013年6月、トルファン地区ピチャン県で住民グループによる暴動が発生し、警官隊と衝突して35人が死亡。北京政府は、「これは外国勢力が介入したテロだ」と断定し弾圧したが、住民側は「漢族主導の抑圧政策が事件の原因」と反発している。その少し前の4月には、カシュガル地区マラルベシ県で、住民グループと警官達が衝突、計21人が死亡する事件が起きている。
これらは最近はじまったことではなく、2009年7月に区都ウルムチでウイグル族による大規模暴動が起きて以後、収束するどころかますます頻発するようになってきている。
ウイグル人はイスラム圏とのネットワークもあり、弾圧に対する抵抗も根強く、中国は酷く手を焼いている。
東トルキスタンにはウイグル人による『東トルキスタン独立運動』を推進する勢力が存在し、現在、中国政府の弾圧から多くがトルコなどのイスラム圏やヨーロッパ・北米などに逃れている。この独立勢力は中国にとって驚異であり、2012年2月にトルコを訪問した習近平副首席(当時)は、トルコ首相との会談で「東トルキスタン独立運動を阻止してほしい」と嘆願した(しかしそれは絶対に不可能である・・・) そのため中国におけるウイグル弾圧がイスラム圏を巻き込む可能性が非常に高く、 すでに東トルキスタンの反政府勢力と北京政府の全面戦争が始まろうとしている。
東トルキスタン問題は、中国が現体制を解体しない限り、永遠に抱えていかなければならない火種であり、下手をすれば国家崩壊に繋がりかねないとされる。
余談だが、中国は現在、かつての巨大共産主義国の崩壊時のプロセスに酷似した道を歩んでいる。
ただし
- イスラム国家は中国の無実を支持し(参照)
- 国連も中国の無実を支持し(参照)
- もっともデマを流してきたアメリカですら「証拠不十分」と認めた(参照)
- 欧米・日本側がウイグル問題の根拠に挙げていた論調を唱えてきた「専門家」はカルト思想を持つ極右宗教家(参照)