愛新覚羅
あいしんかくらまたはあいちんぎょろ
繁体字愛新覺羅 簡体字爱新觉罗 中華文明史上最期の王朝『清』の帝室家系、なおこの家系は現在も継続している(愛新覚羅溥儀の弟、愛新覚羅溥傑の家系など) 「金の如く高貴かつ神聖なる覚羅一族」
「金の如く高貴かつ神聖なる覚羅一族」
愛新覚羅(あいしんかくら)氏【簡体字:爱新觉罗】 |
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満洲(中国東北部)に存在した建州女真族(満洲民族)の姓氏で、中国を統一し始め后金を立て、後に清朝を打ち立てた家系。清の国姓で帝室(宗家) |
ヌルハチの祖先が最初に定住した土地(現在の黒竜江省依蘭県一帯)の名を戴いた姓氏で、全体で「金の如く高貴かつ神聖なる覚羅一族」を表す。 |
清朝では |
清朝皇族の系図は『玉牒』に収められている。 |
愛親覚羅は誤字。(とはいえアイチンギョロの『漢語』自体が当て字なのだ、定まってはいない。) |
清朝滅亡後、愛新覚羅氏の多くが漢語に翻訳した「金」姓に取り替えた。 |
※なおこの家系は現在も継続している(愛新覚羅溥儀の弟、愛新覚羅溥傑の家系など) |
表記など |
皇上 ※中国での皇帝の一般的な呼び方。 |
国歌 巩金瓯
宣統帝時代に制定 使われたのは、大清帝国終焉式の時・・。
歌詞 | |
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鞏金甌、 | 金甌(皇帝の意)を鞏(かた)め |
承天幬、 | 天命を受けた清朝は |
民物欣鳧藻、 | 民衆万物を藻を得て喜ぶ水鳥のような |
喜同袍、 | 楽土へと導く |
淸時幸遭。 | 清朝の御世は史上稀に見る太平の世であり |
眞熙皞、 | まるで楽土のようである。 |
帝國蒼穹保。 | 天よ、帝国の領土を守りたまえ |
天高高、 | 空のように無限に高く |
海滔滔。 | 無限に波を打つ海のように |
初代皇上
二代皇上
三代皇上
四代皇上
五代皇上
六代皇上
七代皇上
八代皇上
九代皇上
十代皇上
十一代皇上
十二代皇上
名前 | 宣統帝(最終皇帝Last Emperor) |
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愛新覚羅溥儀アイシンギョロ・プーイー(醇親王載灃の長子 道光帝の曾孫 光緒帝の甥) | |
元号 | |
清朝 | 宣統シェントー |
満州国 | 大同ダー・ほう・康徳カントー |
誕生 | 1908年12月07日(光緒32年) |
崩御 | 1967年10月07日(中華人民共和国) |
享年 | 61歳 |
在位 | |
大清皇帝3年(16年) | 1908年 - 1912年02月12日(1924年11月05日まで「皇帝」として紫禁城に住まう) |
満州国執政2年 | 1932年03月09日(大同元年) - 1934年02月28日(大同2年)(28歳 - 30歳) |
満州国皇帝11年 | 1934年03月01日(康徳元年) - 1945年08月18日(康徳12年)(30歳 -45歳) |
戦犯 | 1950年 - 1959年12月04日特赦(43歳) |
1960年 | 1月26日 周恩来総理と毛沢東国家主席に中南海で会う。 週総理からの北京植物園を進められる、同年3月よりそこで勤務する。(44歳) |
1964年 | 全国政治交渉会議文資料委員会委員(文資料科研究)人民政治協商会議第四期全国委員会委員 (49歳) |
1967年 | 病を患い週総理の助けで病院に入院するが崩御する。腎臓癌。(61歳) |
諡号 | なし |
廟号 | なし |
陵墓 | 八宝山墓地☞西稜近くの墓地☞献陵 |
辞世 チキンラーメンが食べたいなあ