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ヒーロー列伝No.45
【世界を制覇した夏。】
ワールドカップの余韻さめやらぬフランスに、JAPONの文字が鮮烈に踊った。
シーキングザパールに続く2週連続の日本馬による海外G1制覇……。
ドーヴィル競馬場、芝1600mの国際G1レース「ジャック・ル・マロワ賞」に挑戦した
タイキシャトルは、2着に1/2馬身の差をつけて世界の強豪たちを圧倒。
世界に「日本馬ここにあり」を強烈に知らしめた。時あたかも1998年8月…。それは、
日本馬の世界挑戦の歴史に燦然と輝く1ページとして、永遠に記される夏となった。
2011年JRA安田記念CMより
98年 安田記念
大雨のなかの無敵、タイキシャトル。
可能性は人を熱くする。
名馬の肖像2017年安田記念
【高く飛べ】
瞳にうつるのは
ただこの一戦の勝利ではなく
ゴールの先に広がる未来。
湿った芝を滑走路にして
いま大器は羽ばたく。
風に乗って往け。
誰よりも高く飛べ。
荒天なれど視界は良好。
勲章を手にして帰還することが
君に課されたミッションだ。
誘導
- 競走馬(97世代)
- 1をモチーフとしたウマ娘プリティーダービーに登場するウマ娘。→タイキシャトル(ウマ娘)
こちらでは1に関して解説をする。2に関してはリンク先のタグを使用する事を推奨。
概要
1994年3月23日生まれ。父Devil's Bag 母Welsh Muffin(ウェルシュマフィン) 母の父Caerleon。牡馬。 尾花栗毛。藤沢和雄厩舎。
1999年シーズンから種牡馬となる。
戦績
1997年4月19日東京競馬場でデビュー。主戦騎手は岡部幸雄(97年スワンステークスとマイルチャンピオンシップのみ横山典弘が騎乗)。
ユニコーンSで重賞初制覇、スワンSで重賞2勝、同年のマイルチャンピオンシップでGI初制覇、スプリンターズステークスも優勝。
マイルチャンピオンシップでサイレンススズカと対戦。逃げたキョウエイマーチにサイレンススズカが並びかけた結果、前半800mのラップが44.6秒、1000m56.5秒の殺人的な超ハイペースに。その結果逃げ馬のみならず後続馬もろともバテバテとなり、3番手追走のヒシアケボノも失速する中でタイキシャトルは4番手から出走馬中最速の上がり3ハロン36秒1で抜け出した。
キョウエイマーチはハイペースの逃げから2着に踏み止まったが、サイレンススズカは15着。
この世代は、春の安田記念でスピードワールドが不本意な臨戦過程ながら3着に入り、タイキシャトルが前走のスワンステークスで優勝し、マイルチャンピオンシップの人気でも着順でも上位を占めた。
この年、JRA賞最優秀短距離馬受賞。年度代表馬はエアグルーヴ。
1998年6月14日、欧州遠征を前に挑んだ安田記念。前述のJRA CMでもあるとおり、多摩地方の大雨で稀に見る昭和47年以来26年ぶりの超不良馬場の中で行われたが、97年香港ダービー馬オリエンタルエクスプレス(鞍上ダグラス・ホワイト)らを尻目に「日本に敵はいない!」とばかりに安田記念を制覇。
1998年6月14日 東京競馬場
実況:渡辺和昭(ラジオたんぱ)
同年、海外遠征しジャック・ル・マロワ賞で優勝(これが岡部幸雄の自身初海外G1制覇)ン日本馬として史上2頭目の海外GI制覇達成。帰国後マイルチャンピオンシップ史上3頭目の連覇、史上3頭目の古馬マイルGI春秋制覇。スプリンターズステークス3着を最後に引退。
史上初めて短距離馬としてJRA賞年度代表馬に選出される、さらに最優秀短距離馬と最優秀5歳以上牡馬も受賞。
産駒
- ウインクリューガー 2003年NHKマイルカップ優勝
- メイショウボーラー 2005年フェブラリーステークス優勝
その後の馬生
2017年に種牡馬を引退、引退馬協会のフォスターホースとなり、イーストスタッドに預託され、同牧場で繁養されていた2歳下で同じくフォスターホースのメイショウドトウと仲良しに。以降はメイショウドトウと行動を共にすることが多くなり、翌年の2018年にはドトウ共々ヴェルサイユリゾートファームに移転。翌年1月にはドトウ共に去勢手術を受け無事成功。2021年にはこれまたドトウと一緒にノーザンレイクファームに移転した。現在はドトウやキリシマノホシ号、タッチノネガイ号、その産駒のタッチデュール号、猫のメトらと共にのんびりと余生を過ごしている。
おやつタイム終了で諦めるタイキシャトルと諦めきれず粘るメイショウドトウ。