経歴
父はサンデーサイレンス。母は1995年の最優秀3歳(現2歳)牝馬ビワハイジで、ブエナビスタは4歳下の半妹にあたる(父スペシャルウィーク)。
なお、アドマイヤジャパンが生まれた直後に早田牧場は倒産した。
アドマイヤの冠名から分かる通り、馬主は近藤利一。調教師は後に妹のブエナビスタも手掛ける松田博資。
2歳(2004年)
2004年12月5日の新馬戦で安藤勝己を背にデビュー戦勝利を挙げた。
続いて初の重賞となるGⅢラジオたんぱ杯2歳ステークス(現GⅠホープフルステークス)に出走。
3歳(2005年)
年明け初戦の京成杯(GⅢ)を1番人気に応えて勝利。なお、2着は皐月賞2着馬シックスセンスだった。
そしてクラシックの有力馬として弥生賞(GⅡ)に挑むが、アドマイヤジャパンの前に立ちはだかったのは、稀代の怪物だった。
弥生賞は2着、第65回皐月賞は3着、幸英明が第72回東京優駿は10着、再び横山に戻った神戸新聞杯(GⅡ)は5着、そして、第66回菊花賞では逃げを打つも差されて2着。
この5戦を勝ったのはすべてディープインパクトであり、アドマイヤジャパンは三冠達成の引き立て役になってしまうことになった。
その後アドマイヤジャパンはジャパンカップに出走したが、アルカセットの11着に大敗した。
4歳(2006年)
古馬としての初戦は産経大阪杯(当時GⅡ)。
横山に代わって岩田康誠が騎乗。2番人気に推されたが、カンパニーの9着に敗れた。
その後、天皇賞(春)へ向けて調教していたが、屈腱炎を発症したため回避。そのまま9月に引退が発表された。
通算成績は10戦2勝。
ディープインパクトには0勝5敗と全く歯が立たなかった。
引退後
引退後は種牡馬となるも、直仔からは重賞勝利馬は出ず、2018年を以て種牡馬も引退。
その後、2019年7月にヴェルサイユリゾートファームに移り、乗り馬となった。
2021年の阪神ジュベナイルフィリーズでサークルオブライフが勝利し、母の父としてGⅠ勝利を挙げた。
Yogibo宣伝部長?
そんなアドマイヤジャパンが再び脚光を浴びたのは、2022年の5月。
20歳となったアドマイヤジャパンがYogiboの枕を使って横たわる姿を映した動画がバズったことで、「馬をダメにするソファ」として再び話題になった。
既にディープインパクトはこの世を去ったが、かつてのライバルは彼の分まで逞しく生きるであろう。