概要
西暦1601年から1700年までの100年間。
この世紀の前後は世界史でも日本史でも近世に当たる。日本では1603年に江戸幕府が設立され、安土桃山時代から江戸時代に移り変わった。
中国大陸では大明から清朝への王朝交代(1644年)があった。
17世紀の世界
イギリス(当時はイングランドとスコットランドの同君連合)が海上覇権を獲得し、大英帝国が形作られていく時代である。前世紀に「太陽の沈まない帝国」と呼ばれたスペインは没落し、オランダの独立を認めざるを得なくなる。
17世紀の欧州では三十年戦争をはじめフランス・スペイン戦争(西仏戦争)、八十年戦争、七年戦争、ネーデルラント継承戦争、ロシア・ポーランド戦争、大同盟戦争など大小の戦乱が打ち続いた。この世紀の間、欧州で戦争のなかった時期はわずか4年しかなかった(17世紀の危機)。社会の混乱と不安が高まり、民間では魔女狩りが猛威をふるった。これは世界規模の寒冷化(小氷期)が遠因であったとも言われている。
1600年にイギリスが、1602年にオランダがそれぞれ東インド会社を設立。アジア地域との貿易・植民地支配をめぐって争い、18世紀にかけて四次にわたる英蘭戦争を繰り返した。
絶対主義王政の全盛期である。ブルボン朝フランス王国は「太陽王」ルイ14世が華々しい覇権主義を展開した。ハプスブルク朝オーストリアは三十年戦争の敗北により、全盛期のフランスとオスマン帝国に挟まれて苦戦を強いられたが、大トルコ戦争(1683年 - 1699年)で2度にわたりオスマン軍に帝都ウィーンを包囲されたもののこれを下し、大国への復興の足がかりを作る。
ステュアート朝時代のイングランド王国では議会が力を強め、清教徒革命で議会軍を率いたオリバー・クロムウェルが1649年に王を処刑し護国卿として独裁政治を敷く。護国卿体制は短期間で終わりイングランドは王政に復するが、議会は絶対王政を志向する王との溝を深めていき、それはやがて1688年の名誉革命を招いて、イングランドは議会を中心とする立憲君主制へと移行することになった。