満州族
まんしゅうぞく
概要
アジア大陸の東北部、沿海州に位置する満州を発祥地とする民族。
狩猟を中心に農耕や牧畜などを主産業としてきた。
満州からロシア領のシベリア・極東にかけての北東アジア地域に住む『ツングース系民族』の一つであるため、満州語はツングース語族であり、アルタイ語族の一派と見なす説もある。
伝統宗教としてはシャーマニズムが盛んであり、後にチベット仏教が伝えられた。
清朝が中国を支配する事で、これらの習俗は全中国に広まった。
辛亥革命によって辮髪は廃れたが、活動的な旗袍は西洋文化の流入の中でも特に女性の服飾として残り、チャイナドレスの原型となった。
歴史
古くは『女真族』(女真はジュルチンの当て字)とも呼ばれた。
12世紀に北宋を滅ぼして華北を支配した金朝もこの民族による。
ヌルハチによって統一されたのちに自ら民族名として「満州」を名乗り、女真という他称は二代目ホンタイジによって禁止された。
そこにはかつての女真族に加えて同地に住む蒙古系や漢族まで含まれることになった。
満州人は軍人から農民に至るまで8つの集団に分ける「八旗」という制度によって統治され、国号として「清」を名乗った。
滅亡した明の故地を征服すると、八旗は北京に集団移住させられ支配民族として位置づけられた。
彼らは独自の文化を守り互いに通婚して民族の独自性を守ることが期待される。しかし、被支配民族の漢民族は圧倒的多数であり、統治の都合上政府高官にも多くの漢人が登用されていた。そのため次第に八旗は多数派の漢民族の風習や文化に影響され、漢化していく。
八旗が移住した後の満州族の故地・満州は聖地とされ、漢民族の移住が禁止されていた。だがその禁令は、清の弱体化や北からのロシアの侵略等によって有名無実化した。その結果、満州にも大量の漢民族が移住し、元から人口の少なかった満州族は少数民族に転落した上で次第に漢民族に同化していく。
こうして、清王朝の滅亡時に満州族の独自性はすっかり失われてしまっていた。
やがて日本が満州に進駐して満州国を建て、五族協和の名において満州族の復権が叫ばれる。
しかしそこで「満語」とされたのは北京官話であって満州語ではなかった。
満州国皇帝の溥儀たちにも、既に満州語を話す満州族を集めることは出来なくなっていた。
そして日本の敗戦によって満州国も崩壊し、満州族は漢奸、すなわち侵略者の手先として追われることになる。
中国共産党は少数民族の集団が自治州を形成し形式的な自治を行うことを認めたが、満州族の自治州は認められていない(自治県はいくつか存在する)。
さらに文化大革命によって、満州人は存在そのものが支配階級として糾弾されることになった。
こういった歴史を経て、現在も少数民族としての満州族が暮らしている。
新賓満族自治県では陰暦4月18日に満州族の祖先に祈る祭礼が行われ、満州族伝統信仰のシャーマンが残っている自治県もある。
しかし、満州語を母語とする人々はほとんど残っていないという。
共産党政府は少数民族として登録することで優遇する保護策を打ち出し、登録上の満州族は約1000万人にも上る。
だがこれは、優遇の利益を狙って満州族として登録することで見かけ上の人口を増やしているだけで、満州語話者の増加にはほとんどつながっていない。
創作における満州族
日本の創作ではラストエンペラー、蒼天の拳に西洋化が進んだ20世紀の姿を中心に描かれている。
また日中合作で蒼穹の昴がドラマ化されたことにより、日本ではまだ貴重な19世紀後半まで遡った満州人社会をも目に出来るようになった。
中国ドラマでは西太后がドラマの主人公になるなど、19世紀以前の姿が描かれる機会は比較的多く、習俗は清王朝時代を舞台とするカンフー映画に辮髪の主人公が登場するなどして目にすることができる。
2000年代以降では「華流」という区分けで中国ドラマの輸出が頻繁に行われ、中でも紫禁城の後宮を舞台にした宮廷愛憎劇は一つのジャンルとして定着しており、イケメン俳優の辮髪姿も珍しいものではなくなっている。