概要
君主の称号のひとつであり(英:king、独:König、仏:roi、羅:rex)、特に西洋では国を統治する王をさす。女性の場合は女王(英:queen)と称される。
西洋における国王
英語のkingやドイツ語のKönig(クーニヒ)はゲルマン祖語のkuningazに由来し、高貴なる血統の後継者、部族長を示す。ラテン語のRexやギリシャ語のβασιλεύς(バシレウス)には族長や統治者といった語義がある。
欧州封建社会においては、他の諸侯全てを主従関係によって支配し、それら諸侯たちの所領ともども統べる存在であった。王とその支配下にある諸侯たちの領土全体が、近代的な意味では国家ということになる。しかし、諸侯には複数の王や皇帝に仕える者もいたので、近代国家程に明確な国境は存在しない。
西欧社会での名目上では、ローマ皇帝(西ローマ帝国、神聖ローマ帝国の皇帝)の臣下ということにされていたが、必ずしも従っていたとは限らない。特にフランス王やイギリス王などの有力な王は、ほぼ常に皇帝と対等以上の君主として振舞っていた。同じくローマ教皇も破門の権限を持って王権を脅かすことができたが、フランス王フィリップ4世のように、破門した教皇を逆に捕らえ、自ら教皇を選出して操ったようなケースもある。
近代には絶対王政を経て多くの国々で革命によって国王が殺害もしくは退位する。国王が残った国々でも立憲君主制や国民主権が浸透し、象徴的な権威へと変化して現代に至っている。
また、英語のKingは「同類を喰らう者」と言う意味もあり、キングコブラやキングスネークは蛇を主食にする習性からKingと言う英名が付けられた。
東洋における国王
中国
古代中国における「(国)王」は当初は中原(黄河中下流域にある平原)を統治する天子の称号であった。
ところが戦国時代に入り、各地の有力な諸侯が相次ぎ王を称したため、紀元前220年に統一を果たした秦の始皇帝は王を上回る称号として「皇帝」号を新たに設け、「王」は皇帝から皇族および貴族などの有力者、あるいは中国の政権に朝貢する他国の君主に与えられる称号に変わった。
日本
日本の君主は5世紀頃までは中国の皇帝から国王号を受けており(「倭の五王」など)さらには大王(おおきみ)の称号を用いていたものの、7世紀以降の支配者は対内的には独自に「天皇」号を名乗った。王という称号は皇族の名称として使用され、また中国皇帝以外の外国の君主も一般に「王」と呼んだ。
海外からは、天皇も王と呼ばれていたらしい。新唐書日本伝では姓が阿毎氏の王がいるとし、神武天皇から桓武天皇ら平安時代の天皇まで歴代の天皇を挙げているが、それぞれ称号は王と呼んでいる。天皇とは別に皇帝から冊封を受け日本国王の称号を与えられた人物(例としては後醍醐天皇の皇子懐良親王、足利義満など)も存在する。
琉球(沖縄)の君主は明治時代に日本に併合されるまでは琉球国王である。ただし、事実上、中国及び薩摩藩の支配下にあったとされる。大韓帝国併合後、朝鮮半島独立まで旧韓国皇室(朝鮮王室)の当主は「王(李王)」を身位・称号としていた。また大韓民国では天皇とは日本語で王を意味する称号であるとしてそのまま天皇と呼ぶが、メディアでは天皇を日本国王(日王)と呼ぶことがある(歴代の朝鮮王と日本の天皇の立場を対等にするため)。
上述の通り、東洋的には「王」というのは皇帝から任命される地位でもあった。それゆえ明治に入って世界各国との外交が始まると、当初は他国の皇帝と他国の王とで儀礼の重さを変えていた。しかし一部の君主のみを差別待遇しているとの批判を受け、一時は全ての独立国の君主を皇帝と呼ぶようになった。その後、日本以外の皇帝(に相当する地位)が存在しなくなり、他国の君主を「王」と呼ぶように戻った。もちろん現代では、称号によって外交上の儀礼を差別するようなことは行っていない。英国「王」の王位継承者を「皇太子」と訳すのは、このような経緯の名残である。