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編集者:akomoa
編集内容:斎藤佑樹との関係

概要

姓名ダルヴィッシュ有
フルネイムダルヴィッシュ・セファット・ファリード・ユウ
英字表記Yu Sefat Farid Darvish
所属サンディエゴ・パドレス
出身大阪府羽曳野市
生年月日1986年8月16日
身長・体重196cm、100kg
投球・打撃右投右打
守備位置投手
プロ入り2004年ドラフト1位
経歴東北高等学校北海道日本ハムファイターズテキサス・レンジャーズロサンゼルス・ドジャースシカゴ・カブスサンディエゴ・パドレス

正式氏名はダルヴィッシュ・セファット・ファリード・有

血液型はA型。

イラン人の父と日本人の母から生まれる。3人兄弟の長男。

多彩な変化球と150km/h超のストレートを武器とする。

球種は主にカットとスライダーを主体とし、そこにノビのあるストレートと変化量のあるツーシームを投げ分ける日本代表のエース。他にも決め球としてカーブやスプリットを投げるが、変化球マニアで常に新たな変化球を模索しているため毎年のように球種が増え、細かく分けると数えきれない程の変化球を持っている。同じカーブでもスローカーブやナックルカーブで使い分けたり、スプリットやスライダーでも違った方向に変化させたり回転軸を変えたりと、研究や対策がされにくい強みがあり、器用だと言われる。

高校時代は東北高校でエースとして活躍。2年の夏には準優勝している。

2004年のドラフトで1巡目指名を受け北海道日本ハムファイターズに入団。直後に喫煙騒動を巻き起こすなど素行不良で騒がれた(後述)が、1年目からローテーションに定着。その後は心を入れ替え日本球界を代表する投手として数多くのタイトルを獲得している。

日本時代は通算防御率が2点台という凄まじい数字で、毎年の様にタイトル争いに絡んでいたという球界随一の名投手であった。

2009年の第2回WBCでは胴上げ投手になり、最後の一球となったスライダーは伝説になっている。

2012年、ポスティングシステムにより60億と言う日本人最高額で落札されテキサス・レンジャーズに移籍。この年のアメリカンリーグ新人王争いでは3位だった。

2013年4月2日、対アストロズ戦で、完全試合達成まであと1人のシチュエーションからマーウィン・ゴンザレスにヒットを打たれ快挙を逃す。

2017年、マイナーリーグ所属選手3名との交換トレードでロサンゼルス・ドジャースに移籍。この年のワールドシリーズでは先発登板した2試合でいずれも2回すら投げきれない大乱調でアストロズに惨敗。総合準優勝の戦犯扱いされることになった(※)。

2018年、ドジャースからFAとなり、シカゴ・カブスへ移籍。移籍1年目は肘の故障で8試合の登板に留まり5月20日以降は試合に出場しなかった。

2019年、先発登板10試合連続で勝ちも負けも付かないというメジャーの珍記録に並ぶ。しかしその次の試合(6月26日の対ブレーブス戦)では早々にノックアウトされて敗戦投手となり、最悪の形で記録更新を逃した。

2020年はレギュラーシーズンが60試合と少かったこともあり8勝止まりだったが、この年のナショナルリーグ最多勝投手となった。日本出身選手がMLBで最多勝投手となることは史上初であり、年間8勝は最多勝投手としては歴代最少の勝利数だった。この年のサイ・ヤング賞の投票ではトレバー・バウアー(レッズ)に次ぐ2位だったものの、オールMLB1stチームの先発投手の1人に選ばれた。12月にトレードでパドレスへ移籍。

2023年のWBCには最年長選手として招集され、最初の強化合宿からいち早く参加。

「ダル塾」「宇田川会」など、自身の調整を放り投げてでもチームの結束や情報提供に力を入れ、世界一奪還の影のMVPとして称賛された。

また、シーズン終了後はベテランでありながら6年という長期契約を結び、WBCで共に戦った松井裕樹とチームメイトになった。

2024年5月19日のアトランタ・ブレーブス戦で史上3人目の日米通算200勝を達成した(先発起用のみでの達成は史上初)。

※この件に関してはアストロズにサイン盗みの疑惑が浮上しており、彼も被害者だと言われている。

エピソード

  • 今でこそ野球に対して真摯に向き合い、後進に対して世話を焼き、自分の技術やトレイニング法を後輩達にも惜しみなく教えるなど、良き兄貴分として知られているが、プロ入りからしばらくは喫煙騒動からも分かるように素行が良くないことで有名だった(通称ワルビッシュ)。
    • 素行不良は高校時代からあり、当時持病だった成長痛を差し引いても練習態度が悪く、見学に訪れたスカウトからも全力疾走しないなどの手抜きから「練習態度は最悪」と失望されていた。ある時の練習試合の攻守交代後に一塁ベンチ前で監督が中心となって円陣を組んでいた際にダルビッシュが合流する前に円陣が解けたといい、当時のダルビッシュの怠慢さとチームでの孤立ぶりを表すエピソードとなっている。
    • プロ入り後もチームから孤立していたが、ある選手の助けもあって徐々にチームに溶け込み、チームの大黒柱へと成長した。当人は後にこれについて感謝の弁を述べている。
    • 以後の面倒見の良さは渡米前から選手間で語り草となっており、中には数十日間ダルビッシュと寝食を共にする形でトレーニングや食事面の指導を受けた選手もいたという。
  • 話す時は相手の顔を見ない(極度の人見知りであるため)
  • 中日涌井秀章楽天田中将大らと「チーム・ダルビッシュ」を結成している。
  • ロッカーが汚いらしく、北海道ローカル番組で武田久にハミダシ王子と呼ばれたことも。
  • NPBの先発投手が対象となる沢村賞の選考基準を全て上回る成績を挙げながら、賞を獲得出来なかったことが2回ある(ダルビッシュが賞を逃した2008年は岩隈久志、2011年は田中将大が受賞。両名とも楽天から後にMLBへ移籍した)。選考基準を全て満たした上で2度以上逃しているのは、2021年度現在ダルビッシュ1人のみである。
  • twitterを積極的に活用し、ファンとの交流を図っている。
    • 弟分中田翔のツイッターアカウントを作り、プロフィールまで作ってあげた。更にレスの仕方もわからない中田に親切にレクチャーした。
  • 近年ではさらにYouTuberとしても有名。本人曰くこちらが本業
  • なんと利き腕でない左腕でも投げることが出来る。左右のバランスをとるための調整として左で投げる事があるのだが、球速は130km/h台で変化球も投げられ、年々球威も増しているそうである。
  • 変化球は「また作ればいい」という考えから開発したものを惜し気もなく後輩に教える方針。これは日本人選手だけでなく、メジャーリーグのチームメイトに対しても同様で、登板しない日にベンチで他の選手にボールの握り方を教えている様子が映されることも。
  • WCS2023を通じて「日本の野手はトレーニング理論の情報共有がされていないから世界で成功しない」と気付いたといい「自分のことばっかり考えて技術を公開しないでいると野球界は全く前に進まない」という趣旨の日本球界批判をしている。
  • しばしばインターネット上では「斎藤佑樹の野球への取り組み姿勢の悪さから、彼と決別した」という噂が流れているが、本人は「斎藤佑樹をバカにできるような人生を送ってるか」と寧ろ斎藤アンチを牽制している。
  • 若手選手の努力に理解を示す姿勢も見せず、時代錯誤な野球哲学を振りかざすOBは蛇蝎の如く嫌っており、「シェンロンが居るなら、あのコーナーを消したい」とツイッターで言うほど。
    • 後に出演した「林修の初耳学」でも、名前こそは伏せていたものの遠回しに某OBに対する批判を顕わにしていた。
  • 過度の走り込みは筋肉が落ちる原因であるとするなど走り込み否定派であり、それこそ「走り込みをしていたら今の自分はない」とまで言い切っている。
  • ニコニコ動画では彼の動画は削除対象となっている(エイベックス所属のため)。
  • 2023年7月時点で、MLB30球団中ボルチモア・オリオールズを除いた29球団から勝ち星を挙げている。しかしオリオールズは現在所属のチームリーグやディヴィジョンが違うため、全球団勝利は厳しそうである(一応、2023年以降はシーズンを通して全球団と最低1回は対戦することが義務付けられるようになったため、達成の可能性がないわけではない)。
  • メジャーのポストシーズンでは『これ以上負けられない』試合で通算5度の先発をしているが、その全ての試合で所属チームは負けてプレーオフ敗退が決まっている。ただし2017年のワールドシリーズのような自身の大炎上は殆ど無く、味方が援護点を取らないうえ後続投手が打たれて負ける試合が多い。
  • 2023年WBCでは「登板した3試合全てでホームランを被弾しながら、チームは勝利した」というある意味珍記録を樹立した。
  • 幼少期にはアイスホッケーもやっていたが、練習のキツさからやがて野球一本に絞ったという。
  • 2009年のWBCを優勝で飾ったが、MLB選手がほとんど興味を持っていなかった事に深い衝撃を受け、「これが現実」と打ちひしがれたようなツイートを残している。これを見たイチローは、「なんでそんなことを書くんだよ…」とダルビッシュに対して不信感を抱いていたという。WBC2023優勝の際のイチローとのTVでの対談においても、WBC2017の際の「WBCなんてラテン系・アメリカの選手にとってはそんなに大事なものじゃない」という発言を蒸し返され、優勝記念番組とは思えない気まずい雰囲気となった。
    • しかし、2023年にダルビッシュが最後に優勝した大会唯一の経験者として参加し、14年ぶりの優勝を果たしてくれたことには「バトンを繋いでくれた」と感謝していた。
  • 大谷翔平は日本ハムの後輩に当たり、互いに親交も深いが、プロでの直接対決したのは2024年のメジャー開幕戦と意外にもかなり遅い(これは、長らく大谷とダルビッシュとで所属しているチームのリーグが異なっていたため)。

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