ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

スイッチピッチャー

すいっちぴっちやー

スイッチピッチャー (switch thrower, ambidextrous pitcher) は、野球において、左右両方の腕でボールを投げる事ができるピッチャーの事。
目次 [非表示]

概要編集

非常に稀な選手で現在までの所、メジャーリーグ史上では19世紀に4人(トニー・マレーン、ラリー・コーコラン、エルトン・チェンバレン、ジョージ・ウィーラー)、1901年以降では2人(グレッグ・ハリス、パット・ベンディット)しか公式戦での登板が記録されていない。


日本でも日本プロ野球では公式戦で左右投げが披露されたことはない。

両投げ投手として登録されたのは近田豊年(南海・ダイエー→阪神)だけであるが、公式戦では左でしか投げなかった。また投手以外では、外野手の小久保浩樹(西武)が両投げとして選手登録された例がある。


ルール上では編集

19世紀のメジャーリーグでスイッチピッチャーが何人か登場した背景には、当時試合でグラブをつけずに投球していた投手がかなりいた。

グラブは左右両方用意する場合と使用するグラブは左右両方の手にはめられるような特殊な構造(親指を入れる部分が両側にある6本指の形状)のものを使う場合がある。

日本では2010年に改正されたルールにより、スイッチピッチャーは、投げない方の手にグラブをはめることで、左右どちらで投げるかを明確にする事が義務付けられた。また原則として一人の打者との対戦中は投げる手を変えてはならないことが規定された。


主な選手編集

日本プロ野球編集

  • 吉成昭三:一軍登板はなく、登録も右投げだった。
  • 野崎進:同じく一軍登板はなく、登録も右投げだった。
  • 近田豊年:日本プロ野球で初めて登録されたスイッチピッチャー。ただし一軍では1試合に登板したのみで、この登板では左投げでのみプレーしており、公式戦で両手投げを披露することはなかった。

アメリカ合衆国(メジャーリーグ/マイナーリーグ)編集

  • ラリー・コーコラン:1880 - 1887年に活躍。通算177勝89敗、無安打試合を3度記録している。
  • トニー・マレーン:1881 - 1894年に活躍。通算284勝220敗。
  • エルトン・チェンバレン:1886 - 1896年に活躍。通算157勝120敗。「アイスボックス」のニックネームを持つ。
  • バート・キャンパネリス:1962年8月13日、フロリダステートリーグで左右投げを披露した。メジャーでは遊撃手だった。
  • グレッグ・ハリス:1981 - 1995年に活躍。703試合に登板、74勝90敗、防御率3.69。スイッチヒッターでもある。
  • パット・ベンディット:イタリア代表。2008年にヤンキース傘下入団。2015年6月メジャー昇格。

架空の野球選手編集


水島新司の漫画キャラ編集

  • 木下次郎(ドカベン
  • 荒木新太郎(ダントツ)
  • 久鬼(球道くん
  • 紫義塾高校の選手達(大甲子園)※全員が両投両打
  • 三原心平(ストッパー)
  • 蝶野誠二(新・野球狂の詩)※スイッチヒッター

また『巨人の星』の主人公・星飛雄馬は左腕、『MAJOR』の主人公・茂野吾郎は右の肩を故障をして、一旦選手生命を絶たれた後に星は右投手、茂野は左投手として復帰している。

実在人物でも投手ではないが、元々左投げだったが高校時代に肩を壊して社会人時代に手術するまで右投げだった松中信彦がいる。

関連記事

親記事

投手 とうしゅ

兄弟記事

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました