概要
自民党所属の衆議院議員。
祖父に河野一郎、父に河野洋平を持つ政治家一族の出身で、強固な地盤に裏打ちされた選挙強さを持つ。
国家公安委員会委員長、内閣府特命担当大臣(消費者担当・防災担当)、外務大臣、防衛大臣、行政改革担当大臣を歴任し、現在はデジタル大臣を務めている。
第3次安倍改造内閣で初入閣して以降重要ポストを歴任しているため、"次期総理"有力候補として名前が挙がることも少なくない。
経歴
1963年1月10日生、神奈川県出身。
慶應義塾大学経済学部卒業後富士ゼロックス入社。7年の勤務の後、日本端子に移籍。
3年後の1996年に自民党から初出馬し当選。当選同期に菅義偉首相がいる。
2015年10月7日、国家公安委員会委員長兼内閣府特命担当大臣として初入閣。
それから半年も経たないうちに平成28年熊本地震が発生、防災担当相として対策にあたる。
2017年8月3日より外務大臣就任。
しかし父の洋平とは韓国に対するスタンスの違いが顕在化して来ている。
2019年9月11日より防衛大臣就任。
2020年9月16日より行政改革担当大臣、国家公務員制度担当相大臣、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、規制改革)就任。
同年は新型コロナウイルスの流行もあり、菅首相からワクチン接種担当に任命された事でメディアにも定期的に出演している。
2021年、菅義偉総裁の任期満了に伴う自民党総裁選に出馬している。石破茂、小泉進次郎、現職である菅義偉氏などが支持に回り、マスコミ人気もかなり高かった。
総裁選では岸田陣営に惜敗。
10月1日に自民党広報本部長に就任した。
その後、2022年8月10日に発足した第2次岸田改造内閣にてデジタル大臣に起用された。
なお、これに伴い空白となった自民党広報本部長には石田真敏氏が充てられた。
再生可能エネルギー普及拡大議員連盟に所属。
人物
かつては党の方針とは一線を画した独自行動を取っていたことでも有名。
麻生内閣時代の「国立メディア芸術総合センター」への反対、党方針に反した動議賛成による役職停止処分、反原発運動に傾倒して左翼系運動家と交流するなど党支持者にすら物議を醸すことも、批判的なネットユーザーからは麻生氏と比較して「ダメ太郎」などと揶揄されたこともあったほど。しかし、2015年頃からは反原発発言を徐々に控えるようになり、また閣僚としての実績を積み上げてきたことから再評価が進み、逆に株を落としつつある石破茂氏とは対照的に総理候補を渇望される場面も増えている。
同党の岩屋毅曰く音痴で、「テンポは合っているが音程が完璧にずれている」そうである(参照)。
Jリーグ・湘南ベルマーレの元代表取締役会長であり、2017年には監査役となった。現在も湘南サポとして知られ、外交で湘南のユニフォームを渡したり、Twitterでは「湘南圧勝」等といったツイートを発信している。
また、競馬でも祖父・一郎の代からのつながりがあり、太郎氏自身も日本軽種馬協会の会長を務めるほか、馬主法人グリーンファームは太郎氏の実弟が代表を務めている。
Twitter(現「X」)
彼曰く自身はかなりのツイ廃。防災担当相のときには被災者向けの情報を発信するなど、真面目な情報を流す一方、一般ユーザーからのリプライに冗談も交えた軽妙な返し(「ヤメレ」等)など、なかなかにお茶目な一面を見せている。
ブロック
一方、現在は不明だが自分に批判的な意見を述べたユーザーをすぐにブロックするなどあまり推奨されない行為に走ったこともあり、ブロック未解除も相まって「せっかく有益な公式情報を発信しているのに」と残念がる声も多数寄せられた。
エゴサーチ力
彼の写真だけのツイート等、通常では本人がエゴサで見つけにくいツイートを簡単に見つけだし、リプを飛ばすなど、なかなかなことをやってのけている。
例を挙げると、マインクラフトの一部のシーンに河野太郎の画像を挿入した動画などを次々と見つけ出し、返信していた。どうなってんの?
余談
【一族悲願の総理就任なるか?】
河野太郎は前述の通り3代続く政治家一族出身の世襲議員である訳だが、実は河野一族にとって総理大臣のポストは非常に因縁深い。
まず政治家一族としての河野家を創始した祖父、河野一郎は鳩山一郎派閥の鉄砲玉として頭角を現し、池田勇人内閣では建設大臣として東京オリンピックを成功させた実績や池田からの信頼も厚かったことから将来の総理と噂されていた。
しかしポスト池田を巡りその派閥操作の上手さから「人事の佐藤」と称された政敵、佐藤栄作との党内抗争に敗れ、待望の総理就任は叶わなかったのだ。
その後一郎は総理の椅子に座ることがないまま、病により無念の死を遂げた。一説には死の間際に「こんなことで死んでたまるか!」と言ったとか。(※1)
太郎の父、河野洋平は離党など紆余曲折を得た後に自民党第16代総裁に就任した。本来ならば自民党のトップは政権を兼ねるのだが、洋平の総裁就任時は55年体制崩壊直後、つまり自民党が初めて野党に転落した時期であった。
一年後、自民党は与党に復帰できたがこのときは社会党党首の村山富市が首相となる。村山が総理を辞任し、自民党から再び首相が出るようになった時にはもう、洋平は総裁じゃなくなっていた。
すなわち河野洋平とは自民党史上初めて内閣総理大臣になれなかった総裁(※2)なのだ。
有力者ながら政争に負けて非業の死を遂げた祖父、本来ならば首相になれたはずの父。河野一族にとって首相のポストとはどうしても届かなかったものなのだ。
太郎も総理大臣就任の意欲があり、その実績や自民党内での勢力図などから「ポスト岸田の最有力株」と考える層も多い。しかし実際は茂木敏充がポスト岸田になるのでは?と述べる論者も多く、太郎が一族の因縁を晴らせるのか注目が集まっている。
※1…実際は穏やかな声で「大丈夫だ、死にはしない」が最期の言葉というのが有力。
※2…2009年の民主党政権時には谷垣禎一が総裁となり、こちらも与党復帰する頃には総裁ではなかった。
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