茂木敏充
もてぎとしみつ
東京大学経済学部を卒業後、丸紅株式会社、読売新聞社に勤務。
1983年〈昭和58年〉にハーバード大学大学院で公共政策を学び、修了。
帰国後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社してコンサルタントを務め、1992年〈平成4年〉にマッキンゼー・アンド・カンパニー幹部の大前研一が代表をしていた平成維新の会事務局長に就任。
1993年〈平成5年〉7月から衆議院議員として当選し、政界入りを果たした。以来9期連続当選することとなる。
1999年〈平成11年〉10月通商産業政務次官に就任。
2002年〈平成14年〉10月外務副大臣に就任。
2003年〈平成15年〉9月国務大臣(沖縄・北方、科学技術、IT担当)に就任。
2008年〈平成20年〉8月金融・行改担当大臣に就任。
2009年〈平成21年〉9月自民党栃木県連会長、10月自民党幹事長代理に就任。
2011年〈平成23年〉9月自民党の政務調査会長に就任。
2012年〈平成24年〉12月経済産業大臣に就任。
2014年〈平成26年〉9月選挙対策委員長に就任。
2016年〈平成28年〉8月再び自民党の政務調査会長に就任。
2017年〈平成29年〉8月経済再生担当大臣に就任。
2018年〈平成30年〉10月経済財政政策担当大臣に就任。
2019年〈令和元年〉9月外務大臣に就任。
2021年〈令和3年〉11月自民党幹事長に就任。
茂木敏充とは東京大学・ハーバード大学で社会学を学んできた経歴を持つエリートであり、経済再生担当大臣や外務大臣、幹事長といった要職を歴任してきた自民党内における大物議員。
TPP11でカナダや、日米貿易協定でアメリカとの手堅い交渉力を発揮し、当時のトランプ大統領からは「タフネゴシエーター」とも称され、その結果外務大臣に抜擢されたほど。
党内でも実務能力が高く評価され、林芳正と並んで頭のよさが有名。
そして自分の考えが絶対正しいという唯我独尊的な面があるうえ、ナチュラルに人を見下したり、他人の目線に合わせることが大の不得意という欠点がある。
しかし慎重な面もあり、失言は極力避けている。
また2012年に石原伸晃(当時)幹事長が総裁であった谷垣禎一を押しのけて総裁選に出馬したことで「平成の明智光秀」と批判・揶揄されたことから、「令和の明智光秀」と呼ばれることを避けるような一面を持つ。
しかし2024年の自民党総裁選で出馬した際に、幹事長として岸田政権を支えてきた側でありながら増税ゼロを強調して防衛増税と子育て支援金の負担を停止させるという岸田路線を覆すようなマニフェストで党内に衝撃を与えた。
2021年の第49回衆議院議員総選挙における大阪選挙区の自民候補全員落選(日本維新の会が全部獲得)や2023年の統一地方選挙での大阪における大阪維新の会の圧勝により凋落が止まらない自民党大阪府連(大阪自民)の立て直しを自民党本部直轄で行う「自民党大阪刷新本部」を2023年5月に立ち上げ、茂木自ら責任者として改革に着手した。
しかし行ったのは改めての公明党との結束と、大阪自民の候補者を公募にて選び直しのみである。
物議を醸した公募
大阪自民の衆院選候補者を全員選び直すのであればまだいいものの、
比例復活した谷川とむ(19区)、宗清皇一(13区)
(当時の自民党総裁で総理)岸田文雄の派閥の一員である大西宏幸(1区)、左藤章(2区)
自分の派閥の一員である渡嘉敷奈緒美(7区)
の5人は無条件で留任させて他の選挙区の候補者は全て選び直しという贔屓も甚だしいものだった。
これには既に公認を貰っていた他の候補者は激怒。茂木に直談判するも抗議聞き入れずに「公募に参加できるから、再度選ばれるように頑張りなさい」と言うだけだった。
こうして選び直された大阪自民の15人の候補者だが、いざ2024年の第50回衆議院議員総選挙に挑むものの、「政治とカネ」の問題を中心に翻弄されてしまい、前回に続き大阪自民の候補者は小選挙区で全員落選。比例復活も元河内長野市長だった大阪15区の島田智明のみだった。
大阪府連立て直しは大失敗に終わった。