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三宅正治の編集履歴

2024/10/16 12:12:53 版

編集者:Mukota

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経歴

1962年11月15日生まれ。広島県広島市出身。

1985年フジテレビに入社。

2012年からは病気療養中の大塚範一の代理メインキャスターを務めていた伊藤利尋に代わり、「めざましテレビ」のメインキャスターを担当している(三宅就任と同時に伊藤は降板)。これにより、名実共にフジテレビ朝の顔となる。なお、役員待遇であるため、定年の免れ60歳を超えた現在も現役の局アナである

そして、2024年9月末をもって「めざましテレビ」のメインキャスターを勇退した。後任はかつて「めざましテレビ」のメインキャスター代理を務めた伊藤利尋。

なお、めざまし勇退後も現役アナウンサーとしてフジテレビ所属し、活躍している。

人物

地元球団広島東洋カープの大ファンで、カープの日本一を実況するのが夢と語るが、カープは三宅の入社前年の1984年を最後に日本一から遠ざかっている。

アニメ好きでもあり、特に「魔法少女まどか☆マギカ」が好きとのこと。

みどりのマキバオー」では、青嶋達也福井謙二と共に「F・MAP」を結成。「走れマキバオー」では合いの手と間奏部のセリフを担当した。

アナウンサーになってそれほど時間が経っていなかった頃に、うっかりニュース原稿を読み間違えてしまったのが元でひょうきん懺悔室送りになった事があった。(当然ながら)許してもらえず、ぬるま湯の洗礼を受けた。

2012年、初代総合司会の大塚範一と代理総合司会の伊藤利尋の降板に伴い「めざましテレビ」の2代目総合司会を担当(2024年9月末をもって勇退した)。

私生活では1988年に結婚し、現在は4人の孫がいる。

競馬実況

フジテレビの志望理由の一つに「日本ダービーを実況したい」と挙げており、1996年に堺正幸からダービー実況を引き継いだ。以後、2002年を除き2004年まで8回担当した。

1993年 優駿牝馬

勝馬:ベガ

「西の一等星は東の空にも輝いた!」

1996年 日本ダービー

勝馬:フサイチコンコルド

「コンコルドだ!コンコルドだ!外から、音速の末脚が炸裂する!」

1997年 日本ダービー

勝馬:サニーブライアン

「サニーブライアンだ!サニーブライアンだ!これはもう、フロックでも何でもない!二冠達成!!」

1998年 日本ダービー

勝馬:スペシャルウィーク

「夢を掴んだ武豊!」

1999年 日本ダービー

勝馬:アドマイヤベガ

「母ベガの二冠達成から6年、またもその息子が輝く一等星に!アドマイヤベガ!!」

2000年 日本ダービー

勝馬:アグネスフライト

河内の夢か、豊の意地か、どっちだ!!!」

2001年 日本ダービー

勝馬:ジャングルポケット

マル外開放元年!新時代の扉をこじ開けたのは、内国産馬ジャングルポケット!角田晃一ダービー初制覇!」

2004年 日本ダービー

勝馬:キングカメハメハ

「今、最強の大王が降臨した!キングカメハメハ強し!今最強の大王が、府中のターフに舞い降りました!勝ったのはキングカメハメハ!安藤勝己、悲願のダービー初制覇!勝ちタイムがなんと2分23秒3!驚異的なダービーレコードです!」

2005年 有馬記念

勝馬:ハーツクライ

「何と、ハーツクライだーーー!!!ディープインパクト敗れる!!ディープインパクト敗れる!!勝ったのはハーツクライ!!悲願のG1初制覇!!!」

2006年 有馬記念

勝馬:ディープインパクト

「ディープインパクト先頭!間違いなく飛んだ!最後の衝撃だ!これが最後のディープインパクト~!!」

F1

1992年F1第6戦・第50回モナコグランプリ

ここはモナコモンテカルロ!絶対に抜けない!

この年は古舘伊知郎のスケジュールの都合で三宅が担当する事になったが、期せずしてナイジェル・マンセルアイルトン・セナによる伝説のバトルを実況する事となる。

しかしその2年後、今度はイモラでセナの死亡事故を実況する事となってしまった。

関連タグ

アナウンサー

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