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潜水空母の編集履歴

2013-10-15 01:27:50 バージョン

潜水空母

せんすいくうぼ

航空機を搭載できる潜水艦。計画そのものは各国にあったと言われているが、実際に完成させたのは日本だけである。

イ-四〇〇号

以下「イ-400」と表記する

第二次世界大戦中に開発されたイ号(伊号)は大日本帝国海軍潜水艦として代表的な一つである。

水上攻撃機3機搭載可能な全長122mの大型艦で、

航続力に優れ、このイ-400などは理論上「地球1周半できる」という。これはすなわち地球上の全海域に進出し、帰還することが可能といえる(あくまで理論上の話ではあるが)。

イ号潜水艦は艦隊決戦に先立って敵主力艦艇に被害を与え、敵戦力を削ぐのが役割である。


切り札は潜水空母(経緯)

このイ-400はそういった目的の延長で計画された。

目的とはズバリ『従来の潜水艦の航続距離よりも、さらに遠方で敵艦隊を攻撃する』というものである。

計画を進めるうちに「これなら敵本土も攻撃出来るのではないか」という話になり、

1944年12月30日、400号最初の艦である「イ-400」が竣工となった。


大東亜戦争太平洋戦争)の開戦直後から、米国本土攻撃作戦は計画されていた。

攻撃機(小型偵察機による空襲)や風船爆弾などの作戦は実行され、潜水空母が関わる最初の作戦案は『パナマ運河攻撃』であった。

建造と作戦の計画発案者は不明だが、有力説では山本五十六ではないかと言われる。


45年1月8日、2番艦である「イ-401」も竣工。

両艦ともに度重なる空襲にもめげずに完成し、45年の3月には訓練も終了していた。

しかし肝心の艦載機(特殊攻撃機『晴嵐』)の格納筒は空。

製造工場が破壊され、完成が遅れていたのだ。

第一、計画時点で日本は既には劣勢であり、

この頃などは列島周辺の制空・制海権すら失っていたのだった。


実戦へ

6月、ウルシー環礁のアメリカ海軍基地への攻撃が決定される。

これに先駆けてイ-13、イ-14がトラック諸島に偵察機を輸送した。(光作戦)

この作戦の最中、巡洋艦インディアナポリス撃沈で密になっていた警戒線にイ-13が接触。

必死の回避もむなしく、イ-13はあえなく撃沈されてしまった。

一方イ-14の方は輸送に成功し、かくしてトラック諸島に偵察機が到着したのであった。

これにより、作戦は「8月17日に参加各艦が集合の上で決行」と決まった。

参加艦は残ったイ-14とイ-400、イ-401である。


・・・と、決行を目前にした8月15日に玉音放送によって日本はポツダム宣言受諾が伝えられた。

即ち、終戦である。

こうしてイ号潜水艦の各艦は艦載機晴嵐)などの装備を海中に投棄し、

それぞれアメリカ軍に拿捕されることとなったのである。


銀色の晴嵐

搭乗員の証言によると、この作戦で使われる晴嵐はアメリカ軍機の塗装だったという。

塗装だけではない。国籍マークもアメリカのものに塗り替えられ、すっかりアメリカ機に成りすます予定だったという。

これは完全なる国際法違反である。

(ハーグ陸戦条約など)

ただし、自らの愛機を敵機にやつさなければならなかった晴嵐搭乗員らの中にはこれについて「卑怯で情けない」と評する者もいた。

作戦中止となった後に晴嵐が海中投棄されたのは、

こうした理由ではないかとも考えられるが、これが事実かどうかを確かめるすべは無い。

ただ一つ判っているのは、『命令の事実は無い』という事だけである。


その後のイー400

接収されたイ-400、401はその後ハワイで標的艦として沈没。

未完成だったイ-402は調査の上、

同じく接収された他の潜水艦(大小23隻)と共に五島列島の沖合で海没処分とされた。

(この23隻の中には、インディアナポリスを撃沈したイ-58も含まれていた)

ソ連に潜水空母の秘密が漏れぬよう、詳しい位置は機密とされた。

現在では、公開された資料と海中調査により潜水艦の位置は特定されている。


同型の艦が複数計画されていたようだが、(wikiの当該項目

イー404が400よりも1年以上早く竣工されている等、不可解な点もある。

(もしかしたら途中で計画が統合され、イー400に組み入れられたのかもしれない)


いつしか直面する現実

『潜水空母・イ-400の戦闘力が如何ほどのものだったのか』は、

不運にも実戦の期を逃し続けたために不明である。

航空機搭載潜水艦という発想は斬新であり、

それを実用化できた技術は現在でも高く評価されている。

(他の国でもテストはされたが、成功はしなかった)


しかし弱点として、

搭載機格納の為の大型化が隠密性を削ぐことになった。

潜水艦いちばんの特徴が「隠密性」である)

Uボートが活躍した第一次世界大戦期と違い、

対潜哨戒機や哨戒艦、レーダーソナーなどが大幅に進歩し、

並みの潜水艦ですら見つかり易くなってしまったのだ。

これらの発展に対する対策(隠密性の向上)は手付かずのままだった。

また、この格納庫は全体で1つの巨大な水密区画であり、万一格納庫への浸水を許すと格納庫内だけでおよそ200トンもの海水が一度に流入してしまう恐れがあった。これに対し、格納庫浸水時には重油200トンを艦外に放出して艦の重量増加を防ぐという対策が取られていた。

  • 搭載機発進

潜水艦を海面に浮上させて格納庫から搭載機を甲板に出し、

装備を取り付けてから発進。

  • 搭載機収納

潜水艦のそばに着水させて艦内の小型クレーンで回収、

装備を取り外してから格納。


どちらも手間や時間がかかる上、この間に敵に発見される恐れは十分あり、実際に運用できたかは疑問視されている。


ただし『搭乗員のみ回収・航空機は放棄』とした場合なら素早く潜水できる。

当然ながら「母艦」としての機能はその一回のみに限られ、二度と攻撃機の発進は行えない。

また、晴嵐もフロートの投棄が可能だったようで、投棄した際も艦内収容は不可能となる。

(着水が不可能なため)

どちらにしても、この潜水空母はゲリラ的な活動に限られてしまい、

戦局を覆す活躍は出来ず終じまいだっただろう。

潜水艦では搭載量が限られてしまい、運用にも様々な制限が課せられてしまう為だ。


攻撃機も数をそろえられず、(イー400でも分解した予備機含めて3機)

その攻撃機さえ小型で搭載量・航続距離も限られる。

これでは有効な打撃など望むべくもない。

狙うなら敵中枢をピンポイントで狙うしかない

有効な選択肢としては核兵器の搭載が考えられるが、

これも当時の日本には望むべくもなかった。


☓航空機母艦 ◎ミサイル母艦

結局この手の潜水艦は、のちの『戦略ミサイル原潜』に集約される事となった。

ミサイルICBMや巡航ミサイル)ならば攻撃機を回収しなくても良いのだ。

これなら搭載スペースは最小限にでき、際限のない大型化は避けられる。


実際、冷戦の中で巡航ミサイルや弾道ミサイルを搭載した大型潜水艦が開発され、

図らずも潜水空母はアメリカソビエトに受け継がれることとなった。

翼を持つ巡航ミサイルは無人航空機の一種とも見られるため、ある意味では巡航ミサイル潜水艦は潜水空母といえるかもしれない。

また、実戦では活躍できなかった潜水空母も架空戦記ゲームの中では活き活きと活躍している。(逆に言えば、現実には活躍できないのだ)


冷戦終了後、戦略型原子力潜水艦の存在意義の向上と弾道ミサイル等に使用するVLSの空きを利用し、無人航空機の発射管として利用する計画がロッキード・マーティン社とスカンク・ワークスにより進められていた。(潜水艦発射回収式多目的無人航空機、MPUAV)

発進から回収まで浮上を必要としないなど過去の潜水空母の問題点の解決はしていたが、それ以外の解決しなくてはならない問題は多く、実用化せずに計画は凍結された。


関連タグ

潜水艦 空母 伊400

日本軍日本海軍大日本帝国海軍) 第二次世界大戦

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