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食堂車の編集履歴

2021-08-17 19:31:17 バージョン

食堂車

しょくどうしゃ

主に鉄道車両で調理機能を含めた供食設備を有する車両のこと。

調理機能を含めた供食設備を有する車両(主に鉄道車両)に関するイラストに付けられるタグ。

本項目では鉄道の食堂車について説明する。

なお2020年以降のコロナ過において各国とも食堂車やそれに類するサービスの休廃止が相次いでいる。それぞれの国や地域の感染状況により状況が変化しているので注意。


概要

日本国内では1899年に山陽鉄道(現在のJR山陽本線等を建設運営した会社、のち国有化)が運行を開始したものが始まりとされている。


かつては国鉄東海道山陽新幹線ひかり」や長距離列車(特急急行)の多くに連結されていたが、列車運行体系の変化や高速化等から次第に連結列車が減少し、2000年代には本州と北海道の間を運行する寝台特急(「北斗星」・「カシオペア」・「トワイライトエクスプレス」)で連結・営業されているのみとなっていた。しかしそれぞれの列車の廃止と前後する時期に、列車内での供食を主とした中短距離列車が各地で導入され始める。発端となったのは明知鉄道の「大正ロマン」号。その後肥薩おれんじ鉄道の「おれんじ食堂」など、各地で食事提供専用列車と呼べる車両が次々誕生している。

また2013年10月に運行を開始した「ななつ星in九州」から広まったいわゆる周遊型の富裕層向けクルーズトレインにおいても編成中に必ず組み込まれている。


ちなみに国鉄・JRに於ける車両記号(クとかモとか)は食堂車を現す「」。


客車の場合、かつては石炭レンジ(コンロ)や氷冷保冷庫など装備品がの重量級であった上、乗り心地を安定させるために3軸台車が使われていたため、「マシ」(42.5t以上47.5t未満)や「カシ」(47.5t以上)が多かったが、所謂10系軽量客車登場以降新製された食堂車はだいたい「オシ」(32.5t以上37.5t未満)である。例外として20系の「ナシ20」がある。一方、北斗星やトワイライトエクスプレスの「スシ24」は実は元は電車(サシ481形)からの改造車。

食べ物の名前と掛けてるわけではない。スシとかマシとかカシとかも同じく。

また、戦前から昭和30年代にかけて、車両の一部が一般座席(三等車)になっている食堂車(スハシ29など)も存在した。


電車の場合は、まず間違いなく主電動機が付かない(というか付けられない)付随車となるので、「サシ」となる。本格的な食堂車の誕生は、1960年に「つばめ」「はと」(「はと」は一時「こだま」に統合)が電車化された際、これまでビュフェ(モハシ21→150)のみだった151系の編成中に食堂車(サシ151)が組み込まれた時である。その後「とき」用のサシ161、さらにそれらの改造・新造による発展版のサシ181も登場した。また、1964年以降は交直流対応型の481系(483系、485系を含む)のサシ481、碓氷峠対応のサシ489、さらに世界でも例の少ない寝台電車581(583)系のサシ581も登場して全盛を極めた。

しかしながら1970年代半ばになると、コスト削減や運行区間の短縮化により特急列車からも食堂車の営業休止・非連結化が始まり、183系電車や381系電車では食堂車の製造そものもが行われなかった。

新幹線については1975年に山陽新幹線の開通が控えていたこともあり、当時最速列車でも東京~博多間の所要時間が7時間弱と想定されたことから食堂車が必要と判断され、山陽新幹線開通前年の時点で「ひかり」編成全編成(99編成)に食堂車が組み込まれていた。


気動車についてはそもそもキサシ80キシ80キサシ180の3形式しか存在していない。1960年に登場した気動車特急「はつかり」では、上記の電車の主電動機と同じく食堂車に走行用エンジンを付けると重量増になる上、食堂車には不可欠の水タンクの置き場に困るということもあり、走行用エンジンを省いたキサシ80が製造された。しかし当時の気動車は電車と異なり基本的に非力であり、動力の無い付随車の連結は高速走行の妨げとなったため、キサシ80は3両で製造が打ち切られ、また製造された車両もすべて走行用エンジン付のキシ80形900番台に改造された。なおその後に製造されたキシ80は、走行用のエンジンを2台搭載したため性能上の問題は無かったが、床上に水タンクを設置する必要から食堂の定員が8名減の32人とせざるを得なかった。さらに後継の181系気動車では、大出力エンジンの恩恵で食堂車のキサシ180にエンジンを搭載する必要は無かったが、電化の進展で食堂車が連結されていた「しなの」、続いて「つばさ」が電車に置き換えられ、すでに新幹線と夜行列車以外の食堂車は廃止傾向にあった時期にあったため転用先も無く、1982年に最後まで残った「やくも」が電車化で全車が不要となり、短命に終わった。(キハ183系の食堂車として北海道向けに転用改造する計画もあったらしいが、厳しさを増していった当時の国鉄の財政状況もあり、実現することは無かった)


ビュッフェ

ビュッフェ(ビュフェ、buffet)は車両の半分程度に供食設備を有する「軽食堂車」の呼称。

特に厨房設備が簡易で、主に電子レンジなどで調製を行い、一般に想定される本格的食堂車のようなコンロなどの火力の強い調理施設を装備しない場合が多い。それゆえに面積の縮小も可能で、座席車との合造形態が多い(必ず半車というわけではなく、オシ16のような1両まるごとの場合もある)。

但し最初に登場した151系のビュッフェは、電子レンジが業務用すら量産される前の時期であったため、厨房内にはコーヒーメーカートースターしか加熱器具がなかった。

メニューは基本的に全て冷たい料理で、トーストくらいが加熱されたものと言える状態だったのは、ある種の割り切りである(電子レンジは153系以降で搭載され、湯沸かし用に置かれた電気コンロを活用するなどもしてメニューのレパートリーを増やした)。

国鉄がビュッフェを半車にした最大の理由は、半車2両で全室型1両と捉え、これでグリーン車を両側から挟み普通車の客がグリーン車を通り抜けることを基本的になくし、グリーン車の静粛性を上げる目的のためである。

かつては国鉄の急行形電車・新幹線の一部で連結されていた。また新幹線が東海道のみだった時代は食堂車は無くビュフェのみの営業であった。車内はカウンタースペースとギャレー以外の設備は持たず、提供された食事はその場で立食するか、座席に持ち帰って食するのが一般的であった。ただし、民営化後のJR西日本の「ウエストひかり」のように、カウンタースペースを縮めて喫茶店様の座席を配備した例も存在する。

国鉄の用語では「ビュフェ」であったが(実際英語の発音は「ビュフェ」に近い)、日本語としては発音しづらいためか「ビュッフェ」で定着している。151系の登場時点では現代仮名遣いの拗音の書き方(小書きのュやェ)が今ほどはっきりと決まっておらずアナウンス原稿が「ビユフエ」で書かれたためかそのまま車内放送で「ビユフエ」と読んでしまい「どんな笛だ?」と誤解を招く一幕も。


現在はJR北海道JR九州の観光列車、東武鉄道の特急「けごん」・「きぬ」等で連結・営業されている。ただしけごん・きぬのビュッフェは普段は車内販売基地になっており、行っても営業はなく係員がいない(車内に販売に出ている)ことが多い。小田急のロマンスカーにおける売店もこれに近い(実際、御殿場線乗り入れ車がSE車の時代は、国鉄~JRのダイヤ扱い上はビュフェとなっていた)。近畿日本鉄道では、50000系しまかぜ」において一両丸々二階建てのビュッフェ車両を連結している。

海外のTGVなどにある設備も日本のガイドブックやサイトではビュッフェと訳されている(TGVの場合、公式サイトではバーである)。


カフェテリア

カフェテリア(cafetería)はカウンターに商品を陳列し、客が各々好きなものを選んでまとめてレジ精算する方式の食堂(要はスーパーマーケットと同じ流れの精算・販売方式である)を指すが、列車の供食設備としては二通りのパターンがある。


まずは本来のカフェテリアに近いもので、ショーケースに陳列した飲食料や弁当等を選び、会計スペースで支払う方式のもの。このスタイルのものは2階建て新幹線の100系200系H編成において、2階建ての1階部分を利用して作られた。現在はこれらの車両の廃車により消滅している。もう一つは売店・供食設備としてビュッフェより更に簡素化した設備全般を指す。ショーケースに陳列するものもあるが、どちらかというと駅売店(キオスクなど)に近い。同様のものはJR九州の783系や初期の観光列車、その他一部の特急に連結されたが、JR九州では車内販売の強化もありこれらの設備を一律にビュッフェと呼称を改めている他、その他の路線では車内販売拠点に特化して対面販売をやめたケースが殆どであり、国内ではほぼ現存しない設備である。


他に、ビュッフェの欄で上述した小田急ロマンスカーの車内販売設備を指して「ロマンスカーカフェ」と呼ぶ場合がある。列車の供食から少し話題はそれるが、長距離フェリーの食事方式の形態としてこのカフェテリア方式は一般によく見られるスタイルである。


サービスコーナー

単に売店と言われる場合もあるが、概ね現代に残るビュッフェなどの設備とそう変わらない。これを名乗ってPRしたのは新幹線の300系500系くらいだと思われる。

近鉄や小田急、東武など現役の設備もあれば、南海や京成など古い車両に設備の跡が残るのみというものもある。最も簡素化された設備では自動販売機のみというものも。

また新幹線のE1系では車両構造上の理由(ダブルデッカー構造による車販困難)により弁当の自動販売機が置かれていたこともある。


喫茶

かつての南海に設置された食堂車は喫茶を名乗っていた。

名前の通り飲料や軽食が中心。


売店

厳密にいうと食堂車の範疇から外れるが、供食設備としては類似の機能を持っている。

ビュッフェが足りない時期の急行アルプスなどには売店付き車両が連結されていた(飲食物は弁当やコーヒー茶など車内販売に近い)。

高松琴平電気鉄道(ことでん)や京成など運転時間の短い鉄道でも設置されていたことがある。

スーパービュー踊り子SLやまぐち号の売店などもこれに近い。

海外でも山岳地帯やリゾート地の観光鉄道の場合、実質的に車内の売店でしか食事が入手できないケースがある(環境的な理由で駅界隈にスーパーコンビニはおろか売店すらない所も多い)。


車内販売準備室

これも名前は車内販売の準備スペースの意味(ワゴンへの商品積み込み、コーヒー紅茶の給湯など)だが、国鉄/JR北海道のキハ183系のものは実際にはビュッフェで炊飯ジャーなどもあり、カレーやうな重など比較的ヘビーな食事も提供されていた。



略史と今後

日本

国鉄・JR

日本の場合、鉄道創業のはるか以前より弁当という食事形態が定着していたため、運行開始後は直ちに「駅弁」が供食の競争相手として立ちはだかった。それ故に食堂車は採算が合いにくい事情があり、当初から比較的高価な洋食を、優等車に乗車する富裕層向けに提供するという意味合いが強かった。利用する乗客も洋食のテーブルマナーを求められるなど、「ただの金持ち」レベルでは敷居の高いサービスだったのである。大正中期以降やや庶民的な「和食」が登場して、急行列車や夜行区間がある長距離普通列車などに連結されるようになるが、それでも普通の庶民には高嶺の花だった時代が長く続いた。(現代の欧米や中国などのように優等列車利用客が気軽に広く利用していた昭和30~40年代のほうが、日本の食堂車の歴史としては異例の時代であった)

1937年に日中戦争が勃発すると、食堂車は冬の時代を迎えることになる。その頃、一部の特急列車など列車では車内冷房などの先進的なサービスも始まっていたが、これらは「時局柄贅沢」とみなされて早々と中止に追い込まれている。さらに1940年になると、食糧管理法などの食料統制が始まったため、多様だったメニューにも大幅な制限がかかることになった。戦争の激化とともに食堂車の連結は相次いで中止となり、余剰化した食堂車を3等座席車に改造する「戦時改造」が進められた(但し一部は将来の復元改造を見越して、食堂を座席にしたものの、厨房はそのまま存置した簡易改造に留められた。これには厨房部を客室に改造するための資材を節約して、その分多数の車両を改造する意味もあった)。

戦後になると、多数の放置状態の食堂車が進駐軍専用車として接収され、専用列車に連結される形で復活したが、日本人向けの営業は1949年の特急列車復活まで待たねばならなかった。(進駐軍専用列車での営業は供食がほぼ洋食であった上、乗客のほとんどが上級士官や将校であったことから大変な苦労があったとされる)

その後も接収車の返還と共に連結される列車も徐々に増えていった。

1958年にデビューした151系電車では、「ビュフェ」という新しい形のサービスが始まった。続く153系電車では寿司が提供される(後に蕎麦うどんも出現した)など、営業面で特色のある列車も存在した。また夜行急行列車の殆どに食堂車が連結されるなど、日本の列車食堂はこの時期に全盛を極めたと言える。

1964年に東海道新幹線が開業すると、食堂車の営業も急行列車から特急列車へシフトするようになり、夜行急行列車の廃止や食堂車の非連結化が進行、この傾向が進んでいた中で1972年の「北陸トンネル火災事故」(食堂車から出火、有害煙により死傷者多数)の発生により、直ちに全ての夜行急行列車から食堂車の営業が廃止された。さらに山陽新幹線が開業・全通する頃になると、ほぼ全ての急行列車からビュッフェの営業が中止され、さらに特急列車(特に夜行列車)からも食堂車の連結が中止される例が数多く見られた。

昭和50年代になると、新幹線「ひかり」のほぼ全列車で食堂車とビュフェを営業、「こだま」の大半の列車でビュフェが営業されている他は、東北・北陸・北海道方面を中心とした長距離昼行特急列車と、東京発を中心とする寝台特急の一部で営業されていた。

1982年に東北新幹線が開業すると、殆どの特急列車から食堂車の連結が中止され、北海道でも183系気動車への置き換えと共に連結列車が減少した。

国鉄分割民営化直前の1986年11月のダイヤ改正では、在来線の昼行列車として最後の砦であった北海道から消滅、在来線の食堂車は東京発の一部の寝台特急に連結されるだけになってしまった。

JR移行後、東京(上野)~札幌間を結ぶ寝台特急北斗星の運転が開始され、その際に「事前予約制」のコース料理が提供されたことが話題になった。その一方で新幹線の高速化により食堂車・ビュフェ車の営業縮小が始まり、2003年には全廃された。

最後まで残った「北斗星」が2015年に廃止されたことで、JR車両による通常の定期列車から全ての食堂車が消滅、100年余に亘る歴史に終止符を打つことになった。


近年では車販も自販機もやめてしまい、乗客による持ち込みに任せるだけという(新幹線を含む)特急列車が(特に2019年以降)多数派となってしまっている。これは駅ナカに代表される駅商業設備の集積化や少子化による労働力の減少の影響が大きいとされる。


その後2020年運転開始のサフィール踊り子でJRの通常定期列車としては5年ぶりに食堂車が復活した(公式ではカフェテリアやヌードルバーと表現されているが車両はサシE261であり形式的には食堂車扱いとなっている)。


私鉄

厳密に言うと日本初の食堂車は私鉄である山陽鉄道によって開始された。が、山陽鉄道は鉄道国有法によって国有化され、現在JR山陽本線となっている。他にも食堂車運用していた私鉄があったが大半は鉄道国有法で一旦国有化された。

国有化されなかった私鉄の場合、南海の喫茶車両があったが電化による電車化で一旦消滅した。

鉄道国有化法以降の私鉄では、国鉄を含めた同業他社との競合線区で優等列車の簡易的なサービスとしてカフェサービスが散見されたが、本格的に導入したのは1957年の小田急ロマンスカーSE車が最初。小田急ロマンスカーではそれ以前から「走る喫茶室」と呼ばれるシートサービスが存在したが、SE車ではその拠点としてカフェコーナーが設置された。このカフェコーナーは汎用特急車の性格を強めたEXE及びMSEでは一旦廃止されるが、VSEで復活。GSEでは独立したカフェコーナーは設置されなかったが、かなり高品質な車内販売体制が取られていた。しかしコロナ過の影響もあり惜しくも2021年消滅。

続いて1960年には東武デラックスロマンスカーこと1720系に本格的なビュフェが連結され、私鉄随一の豪華特急の装備として定着した。後継車100系スペーシアにも継承されている。東武鉄道の公式サイトでもビュッフェであることが強調されている。500系リバティでは廃止……かと思いきや、リバティはスペーシアの後継車ではなく、後継車は別に開発されることが決定している。スペーシアのビュフェには「鉄道と食事はセット」のスローガンまで書かれている。


後述の諸外国のケースと共通するが、東武は列車の“格”を重要視する鉄道会社であり、自社のフラッグシップ特急で乗客に温かい食事ひとつ出せないというのは考えられないものである。座席を備えた全室食堂車ではないが、東武が存在する限り日本から定期列車の食堂車が全滅する日はないだろう。



諸外国

諸外国の場合、ヨーロッパ・アジアともに日本とは食習慣が違い、冷めてしまった食事は好まれなかった(加熱に衛生管理という側面があるため)。さらにタイや中国では食堂車の厨房が車販弁当の調製工場の役割も持つため、食堂車に出向かない3等・硬座旅客も供食先として確保できる状態にあった。そのため多くの国で食堂車はある程度延命されてきたが、それでもヨーロッパでは高速列車の増便に伴って本格的食堂車からカフェテリア車への簡素化、さらにカフェテリアの内容やスペースも年々縮小している。

ただ、それでも欧州圏では自国を代表する特急(インターシティ)において乗客に温かい食事ひとつ出せないのはいかがなものかという考えが根強く、合理化がとなえられても、例え3両編成であってもカフェカーがつくのが当然となっている(スウェーデンなど)。この辺りは、特にヨーロッパでは隣国と地続きのため周辺諸国と比較されやすいこと(要するに見栄)※と、航空機との競争が熾烈(航空機ではLCCですら追加料金を出せば温かい食べ物を出せるのが当たり前)であることがあるだろう、というより、後者については日本が特殊と言っていい(最大の看板特急がほぼ航空機を袖にもかけない寡占状態)。

もっともベネルクス三国のように国内は食堂車を全廃し、車内販売もほぼない国もある。

これらの国では特急(IC)といえども特別料金がなく日本における阪神特急やJRの新快速のような役割のためであると考えられる。

また比較的フランスやスペイン、ポルトガルが廃止に積極的なのは日本同様駅の飲食店やスーパーの充実があると考えられる。(スペイン、ポルトガルは日本と同じく少子化傾向であり、労働力の集約に向けた施策とも考えられる)

他方でイタリアや北欧・中欧諸国では食堂車を新造・改装するなど充実させる傾向がある。


※一方で、単一通貨ユーロを導入しながら域内の物価・所得レベルにかなりの差があり、食堂車・食堂運営事業者は域内国境をまたいでそのまま運営しているため、ちょっとした食事をしても日本円換算で1人数千円が吹っ飛ぶ場合もあれば(大概物価の高い国の所属である)、コースをとっても千数百円(駅弁程度)で済む場合もあるなど値段のばらつきもかなりある。


理由は全く異なるが、国の規制により車内調理がほぼ不可能(電子レンジのみ許容、IH電気コンロでの加熱調理も禁止)になり食堂車が途絶えた韓国のようなケースもある。(車両火災事故による法律強化が原因)

インドは食堂車はほぼなく、厨房車両のみがあって食事は自分の座席で取るケースがほとんどである。

アメリカアムトラックカナダのVIA Railなどの大陸横断列車では、本格的な食事が取れる食堂車と、軽食ができる売店を同一列車に設置しているケースがある。(寝台車を利用する場合、運賃に食堂車の食事料金も含まれている)

ロシアシベリア鉄道では列車の予約時に設備やサービスが選択されるシステムになっており、この際に食事付きを選択した場合は1日分の食事サービスが付くが残りは食堂車の有料利用となる。なおロシア鉄道では食堂車以外での場所は(自席寝台でも)アルコールは厳格に禁止されているので注意が必要。


現在の食堂車(ビュフェ・カフェテリアも含める)

JR東日本

カシオペア

1999年に製造されたE26系のマシE27形(ダイニングカー)。2016年の定期運行を終え、現在はクルーズ列車「カシオペア紀行」に使用。

JRの在来線における食堂車では数少ないダブルデッカー構造であり、1階はスタッフが寝泊まりするベッドルームおよび通路で、2階がダイニングスペース。

キッチンは平屋部分にあり、エレベーターを使って配膳される。

料理はエレベーターを使って配膳される。

TOHOKU EMOTION

キハ110系を改造したレストラン列車。2013年10月に登場した。

キハ110-701・キクシ112-701・キハ111-701の3両編成で、キクシ112は料理の様子を見学できる「ライブキッチン」である。

乗客はその両隣のキハ110およびキハ111で食事をとる。外観デザインは奥山清行が担当した。

フルーティア

719系を改造したカフェ列車。2015年4月に登場。

クモハ719-701とクシ718-701の2両編成。近郊型電車として初めて「シ」の記号がついた。

クシ718はキッチンとカウンター席になっていて、スイーツが出来上がる様子を楽しめる。

サフィール踊り子」(JR東日本)

E261系を使用。2020年3月に運行を開始。

東海道本線伊東線伊豆急行線直通。

食堂車は4号車(サシE261形)であり、日本の食堂車史上初となる「ヌードルバー」という名前がついていてラーメンを提供。ラーメン単品のほかサザエ焼きおにぎりとのセットや富士山パンなどの軽食が提供される。

2021年4月1日よりメニューをパスタとカレーに変更。カレーはワタリガニを使った豪華なもの。

TRAIN_SUITE四季島

2017年運行開始。JR東日本のクルーズ列車。デザインは奥山清行

電気・ディーゼルのハイブリッド車両(E001形)で、電化区間ではパンタグラフを上げて電車として、

また非電化区間では気動車として走行。また、電気方式は直流(1500V)・交流(20kVおよび25kV、50Hz)。

ダイニングカー「DININGしきしま」は6号車(E001-6)。キッチンはセミオープンタイプで、

乗客が食事をとるダイニングスペースは床が高い位置にある。ちなみにそのすぐ下、1階部分が通路と冷蔵庫になっている。

越乃Shu*Kura

2014年5月に運行を開始したキハ40系使用の臨時快速。新潟の地酒を楽しむ「利き酒列車」。

予約制の1号車でオリジナルの弁当が提供される。


海里

2019年10月から運行開始。HB-E300系4両編成。

3号車がドリンクやお菓子を販売する売店コーナー(兼イベントスペース)、4号車がダイニングスペースとなり、

4号車は予約制の食事つきプランでの利用となる。調理済みの弁当を積み込んで配膳する形式。


JR西日本

TWILIGHT_EXPRESS瑞風

2017年運行開始。先代の「トワイライトエクスプレス」のコンセプトを受け継ぐ形で登場したJR西日本のクルーズ列車。ディーゼル・電気のハイブリッド気動車。

デザインは浦一也(エクステリア担当)と福田哲夫(インテリア担当)のコンビによる。

ダイニングカーは5号車のキシ86-1で、先代の食堂車名「ダイナー・プレヤデス」の名を引き継いだ。

キッチンは一部がカウンターとなっているセミオープンタイプ。

花嫁のれん

2014年10月に登場したキハ47形使用の観光列車。調理済みの弁当を提供する方式。

2号では和軽食セット、1・3号ではスイーツセット、4号ではほろよいセットが提供される。

ベル・モンターニュ・エ・メール」(べるもんた)

2015年10月登場のキハ40系使用の観光列車。調理済みの弁当を提供する方式。

食事は「VISIT富山県」での予約が必須。

○○のはなし

2017年8月運行開始。キハ47形。調理済みの弁当を提供する方式。

上り列車(新下関→東萩)では「夢のはなし弁当」もしくは「長門おとずれ弁当」、

下り列車(東萩→新下関)では「萩のおつまみセット」ならびに「萩のスイーツセット」が提供される。食事は要予約。

あめつち

2018年7月運行開始。キロ47形。調理済みの弁当を提供する方式。

下り列車(鳥取→出雲市)では、「天地御膳 世明(よあけ)」・「大江ノ郷(おおえのさと)スイーツセット」が、上り列車(出雲市→鳥取)では、「山陰の酒と肴(さかな)」・「松江の和菓子詰合せ」が提供される。食事は要予約。

ラ・マル・ド・ボァ

2016年4月運行開始。213系7000番台。地ビールやリキュールなどのアルコール類やソフトドリンク類を販売。

食事については、数量限定で「岡山ばら寿司旅の小箱」ならびに「旅するせとうちスイーツBOX」が提供される。後者は要予約(みどりの窓口で引換券を買う方式)。


JR四国

伊予灘ものがたり

2014年7月より運行。キハ47改造のキロ47を使用する。

前出の「花嫁のれん」などと同じく、調理済みのオードブルなどを駅で積み込んでから提供する形態。

四国まんなか千年ものがたり

2017年4月より運行。キハ185系改造のキロ185系を使用する。

「伊予灘ものがたり」と同じく、調理済みのオードブルなどを駅で積み込んでから提供する形態。

志国土佐_時代の夜明けのものがたり

2017年4月より運行。キハ185系改造のキロ185系を使用する。

こちらも調理済みの料理を駅で積み込んでから提供する形態。

「四国まんなか千年ものがたり」同様、食事つきプランは事前予約制。


JR九州

すべてデザインは水戸岡鋭治による(ただし「ゆふいんの森」のキハ71系については内装のリニューアルのみ担当)。

ななつ星in九州

2013年10月に運行を開始した。いわゆる「クルーズトレイン」の先駆けとして知られる。

マシフ77-7002「ジュピター」およびマイ77-7001「ブルームーン」が該当。マイ77はラウンジカー扱いだが、食堂営業時の座席としても使われる。またマイ77にもバーが設置されている。

朝食は「カジュアル」、昼食やティータイムは「スマートカジュアル」、夕食は「セミフォーマル」のドレスコードがあるので注意が必要。キッチンは一部がカウンターになったセミオープンタイプ。

ゆふいんの森

民営化して間もない1989年に運行開始。こちらもJRの「観光特急」の先駆けとして知られる。

キハ71系・キハ72系には「シ」の記号こそつかないが、駅弁や軽食を提供するビュフェが設置されている。コロナ騒動発生後、和風オムライスで販売を再開したが、現在は「ゆふいんの森弁当」および「ゆふいんわっぱ」のみ。

SL人吉

「SLあそBOY」に代わり2009年4月運行開始。「ゆふいんの森」同様、弁当を販売するビュフェが設置されている。2020年7月の球磨川豪雨により運休中。

或る列車

2015年8月運行開始。キハ47の改造車であるキロシ47-3505・キロシ47-9176が該当。

グリーン車形式の「ロ」と「シ」が組み合わさった初のケースとなった。

豪華スイーツ列車として運行される。キッチンは各車両の連結面寄りにあり、セミオープンタイプ。

A列車で行こう

2011年10月に運行を開始した。キハ185系の改造車。キハ185-4に「A-TRAIN BAR」というスタンドバーが設置され、

ビールハイボール、同列車限定のカクテルなどを提供する。

36ぷらす3」(JR九州)

2020年10月から運行を開始した臨時特急。787系6両編成。

4号車がフリースペースであるほかはすべてグリーン席で、3号車はグリーン個室とビュッフェからなる。

なお改造元のサハ787は元ビュッフェ車のサハシ787であり、形式的にはビュッフェ車の復活となるが、座席がグリーン席であるため、車番は元には戻らずサロシ786となった。


大手私鉄

スペーシア」(東武鉄道)

1990年6月に運行を開始した東武の定期特急列車。使用車両は100系。3号車が半室ビュッフェとなっており、電子レンジを備え、軽食を販売している。

しまかぜ」(近畿日本鉄道)

2013年3月に運転を開始。使用車両は50000系。編成中央のダブルデッカー車両がカフェ車両であり、近鉄特急で軽食をサービスするのは

12000・12200系・18400系「スナックカー」と10100系のスナックコーナー以来(後述の「シーサイドカフェ」を含めない場合)となる。松阪牛カレーが人気メニュー。

1階部分はグループ席として使用されることがある。なお、キッチンは車両端の平屋部分にある。

青の交響曲」(近畿日本鉄道)

2016年9月に運行開始。使用車両は通勤型の6200系を特急型に改造して誕生した「16200系」。南大阪線系統で運行。

3両編成のうちの中間の2号車はラウンジ車両となっており、地元の名店や酒蔵、ワイナリーのメニューを多く取り揃えている。

つどい」(近畿日本鉄道)

2013年10月5日に2000系を改造して誕生した観光用車両。2013系を使用する。

2号車がバーカウンターつきのラウンジカーとなっており、アルコールやドリンク、軽食などのメニューを取り扱う。

近鉄においては、特急以外の列車では初の供食設備を備えた車両である。

現在は団体専用。その車内設備を活かし、「ビール列車」などのツアーで使用される。

「西武 旅するレストラン 52席の至福」(西武鉄道)

西武4000系4009編成を改造した観光列車「西武 旅するレストラン 52席の至福」が2016年4月運行開始。首都圏を走る電車の中であっても非日常感を楽しんで頂くため、「乗って楽しい」「食べて美味しい」をテーマに全ての座席で食事が楽しめる空間にする。

4両編成中の1両がキッチンで、料理の様子を見学できる。デザインは隈健吾。

運行区間は池袋~西武秩父駅間・西武新宿~西武秩父駅間・西武新宿~本川越駅間。

「THE RAIL KITCHEN CHIKUGO」(西日本鉄道)

2019年春に西鉄福岡(天神)~柳川間を運行するレストラン列車として導入。車両は6050形の改造車となる。

3両編成のうちの中間の2号車に窯を据えたオープンキッチンが搭載されており、ピザの調理が可能となっている。


中小私鉄(路面電車含む)

「懐石列車」(小湊鐵道)

2014年11月から運行を開始。調理済みの懐石料理を積み込む方式。車両はキハ200形を使用する。

「THE ROYAL EXPRESS」 (伊豆急行)

2017年7月21日に運行開始。伊豆急行が横浜~伊豆急下田間に運行するクルーズ列車。

2100系R-5編成(アルファ・リゾート21)を改造した。デザインは水戸岡鋭治

4号車がキッチンとなっており、乗客は5・6号車で食事を楽しむ。

伊豆急行の食堂車はサシ191号「スコールカー」以来半世紀ぶり。

また親会社の東急電鉄やJR北海道・東日本・貨物各社の協力を経て北海道内で運行されたこともある。


富士山ビュー特急」(富士急行)

2016年4月運行開始。8500系(もとJR東海371系)を使用。デザインは水戸岡鋭治

休日のみ2往復運行の「スイーツプラン」でスイーツが提供される。要予約。

「TRAIN ROUGE」(広島電鉄)

「トラン・ルージュ」と読む。750形768号を改造したレストラン電車。2016年6月に運行を開始した。小さいながらカウンターを備えるが、車内での調理は行わない。主に貸切列車として運行。

「おでんしゃ」豊橋鉄道

市内線の路面電車内でおでんを提供(調理済みのおでんの持ち込みであり車内での調理は行わない。容器下のひもを引くと温まる仕掛けがしてある)。モ3203号を使用。11月から翌年の2月にかけて、駅前 - 運動公園前間で1日1往復、土休日は1日2往復運行される。要予約。元々は「納涼ビール電車」の冬季版として2007年に運行したものが好評となり定着した。


第三セクター

三陸鉄道

「レトロ車両ランチ・スイーツプラン」にて提供される。車両は36-R1形。

また、冬季限定の「こたつ列車」(36-Z1形)でも弁当が提供される。

「花結びより」(山形鉄道)

2017年にYR-880形のうち1両を改造。調理済みの料理を積み込む形式。

「レストラン・キハ」(いすみ鉄道)

キハ28 2346およびキハ52 125を使用。「イタリアンランチクルーズ」などが代表例。

調理済みの料理を駅で積み込んでから提供する形態なので、厳密な意味での食堂車ではない。

ろくもん」(しなの鉄道)

しなの鉄道所有の115系3両編成を改造。2014年7月に運行を開始した。デザインは水戸岡鋭治

「ろくもん1号」では洋食のコースを、「ろくもん2号」では和食懐石料理のコースを設定。

「えちごトキめきリゾート雪月花」(えちごトキめき鉄道)

2016年4月に運行開始。使用車両は専用車両であるET122形1000番台。デザインは「イチバンセン」社長の川西康之。

「食事つきプラン」において、調理済みの弁当を積み込む形式だが、

往路はフレンチ、復路は和食であり、弁当のほかにスープとスイーツが付く。

別料金ではアルコール類も楽しめる。列車そのものが完全予約制なので注意が必要。

大正ロマン号」(明知鉄道)

2011年3月に運行を開始。予約制で、定員数に満たなかった場合には運行されない。が、定員を大幅に上回ると最大3両連結される。

調理済みの弁当を駅で積み込んでから提供する形態なので、厳密な意味での食堂車ではない。

ながら」(長良川鉄道)

2016年4月に運行を開始。ナガラ300形301・302号を改造。デザインは水戸岡鋭治

車窓を楽しむ「ビュープラン」以外に食事を楽しむ「ランチプラン」が設定されている。

「のと里山里海」(のと鉄道)

2015年4月に運行を開始。NT300形を使用。土・日・祝日及び指定日の「ゆったりコース」でのみ調理済みの弁当を提供する形態。

「丹後くろまつ」(京都丹後鉄道)

2015年5月に運行を開始。KTR700形707号を改造したもの。キッチンやカウンターが整備されており、

スイーツコース・ランチコース・ディナーコースのダイヤで運行される。デザインは水戸岡鋭治。

おれんじ食堂」(肥薩おれんじ鉄道)

HSOR100形の114・116号を改造。デザインは水戸岡鋭治

メインディッシュなどはデリバリーであるが、ご飯やスープは車内で調理する。

運行開始は2013年3月と一足早く、またその後の好成績もあり、昨今各地で登場している上記のレストラン列車の火付け役となった。

キッチンはセミオープンタイプで、料理を盛り付ける様子を楽しむことができる。

ことこと列車」(平成筑豊鉄道)

2019年3月に運行を開始した。400形の401・402号を改造。デザインは水戸岡鋭治

地元食材を用いたフランス料理を提供する。車内にセミオープンタイプのキッチンを備えている。

他、地酒なども提供される。


終了したもの

スーパービュー踊り子

251系使用の特急。定期列車。グリーン車である1号車(クロ250形)の1階部分がサロンであり、

このサロンが簡単なビュフェを兼ねている。グリーン車の利用客限定。

別途普通車用の売店も設置されている。

先述の「サフィール踊り子」により置き換えられた。


伊豆クレイル

651系1000番台の改造車。1・3号車で食事が提供される。往路はランチセットとして弁当、復路はアフタヌーンカフェセットとしてライトミールとスイーツが提供。


現美新幹線

E3系700番台。列車全体が美術館となっている新幹線電車。

車内にカフェコーナーがあり、新潟県燕市で有名な「ツバメコーヒー」がメニューを監修していた。


グランドひかり」(JR西日本)

100系3000番台V編成を使用。JR東海のX編成と同じ位置(8号車)が食堂車であったが、

専用のメニューが用意されているなど新幹線の食堂車としてはもっともグレードが高い車両だった。

しかしその後の新幹線の高速化と、車内販売および駅売店の充実によって廃止された。


カフェテリア」(JR東日本・JR東海)

100系G編成(JR東海)、および200系H編成(JR東日本)。

ダブルデッカーグリーン車の1階部分(100系では8号車、200系では10号車)に設置されていた。

ショーケースに並んだ食事や飲み物をピックし、会計を済ませてから自分の席へ持ち帰るテイクアウト方式だったが、

その後の新幹線の高速化と、車内販売および駅売店の充実によって廃止された。


北斗星」(JR東日本・JR北海道)

上野~札幌間の寝台特急。24系25形の、スシ24形500番台。

車両愛称は「グランシャリオ」(英語で北斗七星の意)。

19:00~21:00ごろまでが「ディナータイム」で、フランス料理または懐石料理が楽しめたが、

事前に食事券を購入しなければならないうえ、数に限りがあるのですぐに売り切れるという状態だった。

一方、21:00~23:00ごろには「パブタイム」と呼ばれる営業スタイルとなり、こちらは食事券なしでも利用できた。

そしてカレーライスやハンバーグ、パスタなどといったボリューミーなメニューが豊富に取り揃えられていたのがパブタイムの特徴だった。


トマムサホロエクスプレス」(JR北海道)

JR北海道がキハ80系を改造して誕生させたジョイフルトレイン。食堂車はキシ80形500番台。

JR発足後としては初の気動車用食堂車だった。

この当時札幌市内で開かれた博覧会「世界・食の祭典」とのタイアップで生まれた車両だったが、

肝心かなめの「食の祭典」がコケてしまい、結局はこの食堂車もほとんど使われることなく車庫の肥やしとなってしまった。


トワイライトエクスプレス」(JR西日本)

大阪~札幌間の寝台特急。24系25形の、スシ24形0番台。

車両愛称は「ダイナー・プレヤデス」(プレアデス星団が元ネタ)。

北斗星同様、すぐに売り切れた要予約・定員制のフランス料理コースが振舞われた「ディナータイム」の他、パスタ、ピラフやスナック類、およびワインなどのアルコール類が提供された夜の「パブタイム」、朝6時ごろから提供される「モーニングタイム」が実施されていた。

また、22時間にも及ぶ長距離移動のため、正午前発車の大阪発便にはオムライスやカレーが楽しめた「ランチタイム」、14時台発車の札幌発便にはスイーツと紅茶およびコーヒーが楽しめた「ティータイム」も実施されていた。


2015年での運行終了後、団体列車『特別なトワイライトエクスプレス』運行時にも連結され、朝食1回・昼食2回・夕食1回のセットが提供された。

特別なトワイライトエクスプレス運行終了後、「ダイナー・プレヤデス」の名は上記の『瑞風』に受け継がれた。


ちなみに3両存在したが、種車の製造時期が違うため、スシ24-3のみクーラーの形状が異なっていた。


つばめ」(JR九州)

鹿児島本線の電車特急。787系を使用した列車に限りビュッフェを営業していた。

九州新幹線部分開業と同時に運転区間が大幅短縮となるため、営業を廃止、普通座席車に改造された。上記の通り36ぷらす3使用車両はビュッフェを復活させた。


「走る喫茶室」(小田急電鉄)

小田急電鉄ロマンスカーで営業していたサービス。

日東紅茶が宣伝を兼ねて電車の車内で営業していた。3100形「NSE」が登場したころに

新たに森永エンゼルが参入したが、その後箱根への観光客が低迷し、

さらにロマンスカーそのものの客層もビジネス利用者が増えてきたため廃止となった。


ビュッフェ/売店(東武鉄道)

戦前の特急車両10系に売店を設置し、展望車トク500にはバーカウンターが設置されていた。

戦後の5700・1700系にも売店を設置し、DRC1720系では大型のビュッフェが設けられていた。

6両編成に2箇所もある豪華な仕様で、サンドイッチやコーヒーが提供され、立食カウンターも設置されていた。のちに1700系が車体を載せ替えた際も同様の設備が設置された。


「ロマンスカーカフェ」(小田急電鉄)

小田急電鉄ロマンスカー50000形VSEのみで実施されていた車内販売の形態。

通常、ロマンスカーではワゴンによる車内販売が実施されているが、VSEは上質なサービスを提供するため、オーダーを受けたアテンダントが商品を座席に直接持ってくる「シートサービス」となっていた。

提供された食事はサンドイッチや弁当などの軽食、コーヒーやアイスクリームなど。2016年3月26日に普通のワゴンサービスに統一される形で廃止になった。さらに2021年3月13日にはワゴンサービスも全ロマンスカーで廃止された。


伊勢志摩ライナー」(近畿日本鉄道)

使用車両は23000系。編成中央の3号車に「シーサイドカフェ」と呼ばれるビュッフェコーナーがあった。

利用率の低迷で2002年にいったん営業を中止していたが、その後のインパウンド需要等もあり土曜・祝日限定で営業を再開していたものの、2020年4月をもって廃止された。



南海鉄道(南海電気鉄道の前身)

明治の客車時代に喫茶室車両が存在したが一旦電化で廃止される。

大正時代の1924(大正13)年に登場した、電7系電車のうち電付6号型(車番211~220)

電7系自体難波和歌山市間の急行用である。

一等車・食堂車(喫茶室)・手荷物室付き制御車。木造車であったため陳腐化が早く一般車に転用されたが、その直前使われた形式記号はいささか出来過ぎの「クイシニ」

なお、看板メニューはビーフステーキだったという。

戦後は2代目こうや号20000系に売店を設置。3代目こうや号30000系にも継承されたが乗車時間が短いため、しばらくすると営業休止し撤去された。

ラピート50000系も初期にはドリンクサービスがあった。


スナックカー」(近畿日本鉄道)

12000系・12200系・18400系。車両の一角に簡単なキッチンを備えており、

カレーライスなどの料理を提供できた。

が、この当時すでに名阪特急東海道新幹線の開業で大打撃を負っており、

折角のスナックカーも「焼け石に水」といった状態でほとんど利用者がいなかったため、

1969年には営業を廃止してしまう。

12200系に至ってはデビューしてから間もなくスナックコーナー撤去という屈辱を味わっている。

2代目ビスタカー10100系も車内販売準備室をスナックコーナーに改造した編成があったが、程なく車内販売準備スペースにのみ使われるようになった。


「スコールカー」(伊豆急行)

1963年にビール会社のサントリーが宣伝のために登場させた。

前年に運行していたビアホール電車「ブルーサントリー号」の好評を受けての登場で、

形式は100系のサシ191号。サントリーから伊豆急へ寄贈という形で登場した。※

…のはいいのだが、国鉄が特急以外の列車での食堂車営業を認めてくれなかったために

伊東以北の国鉄線に入れず(伊東で増解結または伊東以南でのみ営業する形をとる)早々に宙に浮いた存在となってしまい、デビューから10年ほどで一般車に改造されてしまった。


※飲料はアルコールソフトどちらもサントリー製品があるものはサントリー製品が供された(これも国鉄の規定に抵触した可能性がある)。席数は食堂車としては大変多い66。これは一般の食堂車類似のテーブル席48席(4人掛けテーブル×12卓:元々テーブル自体、往年の進駐軍列車の「簡易食堂車」なみに詰め込んでいる)とビュフェ相当のカウンター席(キッチン向かい側)18席の合計である。

一応電気コンロも積むが、電源容量やメニューを鑑みるに1両全車型のビュフェ車といいうる。

ちなみにスコールとはデンマーク語で「乾杯」という意味。つまりあの炭酸飲料と同じ意味である。


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