概要
歴代解説
初代
大阪商船三井船舶(現商船三井)から移民旅客事業を請け負っていた商船三井客船が、1972年の南米航路撤退を機に、社有船あるぜんちな丸(2代目)を改装して純客船とし、にっぽん丸と改名した。同時期に商船三井客船は他の社有船をすべて売却し、本船一隻体制によるクルーズ客船事業へ転身、世界初のクルーズ専業企業となった。
1973年には日本の客船史上初めて世界一周クルーズを実施した。
ただ、もともとのあるぜんちな丸(2代目)が建造されたのは1958年(三菱重工業神戸造船所が手掛けた)であったうえ老朽化が目立っており、さらに言えば移民船をわざわざクルーズ客船に仕立て直した程度に過ぎなかったため陳腐化もひどく、結局1976年に引退した。
2代目
1962年にユーゴスラビアの造船所で建造された。
元々はブラジルの定期航路客船であったが1975年に商船三井客船が購入、パナマ船籍のクルーズ客船セブンシーズとして運行した。
1976年の初代引退に伴い2代目のにっぽん丸となる。
1990年に引退、インドネシアの船会社に売却され再び定期航路の客船となり、1998年まで運行されている。
3代目
(メイン画像)
1986年、商船三井客船は日本のレジャークルーズ需要の拡大に伴って二隻のクルーズ客船の建造を決定し、同社初の新造客船として1989年にふじ丸、1990年に3代目の本船が建造された。なお、本船およびふじ丸もまた、初代同様三菱重工業神戸造船所で作られている。
その後ふじ丸の売却に伴い、現在本船は商船三井客船唯一の運航船となっている。
同じ日本客船として、郵船クルーズの飛鳥Ⅱ、日本クルーズ客船のぱしふぃっくびいなすとよく比較され、特に親会社同士(日本郵船、商船三井)が日本の二大海運企業としてライバル同士でもある「飛鳥Ⅱ」とは正にライバル関係にある。
本船のライバル船「飛鳥Ⅱ」
やはり知名度では「飛鳥Ⅱ」が圧倒的であり、総トン数でも「飛鳥Ⅱ」の半分以下で三隻中最小でもある。しかし客船事業から一時完全撤退して命脈を絶たれた(但し1972年以降フェリー化はされたものの近海郵船直営で1999年まで連続して東京釧路航路の旅客営業をおこなっていた。)郵船クルーズに対し、戦前の定期船時代から一貫して客船事業を継続してきたことで、往時の日本客船の伝統を受け継ぐ直系の一隻と言われることもある。その伝統に裏打ちされた「和魂洋才」のサービスには定評があり、「にっぽん丸以外には目もくれない」といった熱狂的ファンを獲得している。
ただ、2020年に大幅なリニューアル工事を施したとは言え、建造から30年以上が経ってしまい流石にガタが来てしまっているようで、商船三井客船は2022年12月、後継船プロジェクトが始動した事を明らかにした。しかも2隻作っちゃうそうである。