歴史
1950年代まで-移動手段としての客船
18世紀までは帆船が主流な船舶であったが、19世紀に入ると蒸気機関やスクリューを搭載した蒸気船が登場した。
当時強い影響力と多くの植民地を持っていたイギリスでは多くの船会社が設立されていたが、これらの多くはアメリカやアフリカ、アジア圏への貿易航路や郵便航路に船舶を就航させていた。
19世紀後半になると、キュナード・ライン(以下キュナード)やホワイト・スター・ライン(以下ホワイト・スター)、コリンズといった米・英船会社が北大西洋航路に客船を就航させ始めた。
なにしろ飛行機も高速鉄道もなかった時代であり、この頃の客船は内装よりも「いかに速く目的地に到着できるか」という点にスポットライトが当てられていた。
ブルーリボン賞と呼ばれる、大西洋を最速で横断した船舶に与えられる賞を受賞するために建造された船舶も少なくなかった。
当時、ブルーリボン賞は名誉ある賞とされ、「受賞した船に乗船する」ことが乗客のステータスにもなったと言われている。
特に1930年代にはブルーリボン賞を巡る競争が激化し、各船会社が国の資金や技術を得てブルーリボン獲得を目指した。
その一方で、沈没や転覆などの緊急事態の乗客の救命救助に対する意識や海難事故対策への意識は高いとは言えず、1912年のタイタニック号沈没事故では乗客乗員合わせて1,500名以上の命が失われ、20世紀最大の海難事故となってしまった。
その後、欧米13ヶ国間での「1914年の海上における人命の安全のための国際条約」の採択や、アメリカでの無線装置配備の義務付け強化などの取り組みが行われた。
第一次世界大戦や第二次世界大戦中には各国で多くの客船が軍に徴用され、主に兵士の輸送に使用されたが、敵の機雷や魚雷攻撃を受けて沈没した船も多かった。
また、ルシタニア号(キュナード所有)は徴用されず第一次世界大戦中も北大西洋横断航路に就航していたが、ドイツ潜水艦Uボートの雷撃を受け沈没。1,198名が死亡した。この内、アメリカ人が128名含まれており、当時孤立主義政策をとっていたアメリカはこれを一転させ第一次世界大戦へ参戦した。
このように、当時客船は特に大西洋において大きな影響を各国に与えていた。
日本では、主に日本郵船が客船を保有し、第一次世界大戦前まではアメリカやオーストラリア、台湾や中国など他、ブラジルへの移民航路に就航していた。
しかし、ほとんどの客船は太平洋戦争時に軍に徴用され、兵士の輸送に使用された他、空母などの軍艦に改造された船もあった。
1950年代以降-手段から目的へ
1950年代に入ると旅客機が登場し、長距離移動の主役は客船から旅客機へと移っていった。
そのため、客船はこれまでの「速く目的地に到着できる」ことよりも「目的地までの過程を楽しむ」ことが目的となった。
この頃からより多くの客室を載せるために客船の大型化が始まり、ベランダ付き客室の数も急激に増えていった。経済性を重視する会社が増え、機関出力や船型にも徹底した研究が重ねられた結果、貨物スペースなどが削られ、ホテルに船首をくっつけたような船型へと変化していった。
1970年代にはカリブ海クルーズがアメリカを中心に流行し、カーニバル・コーポレーションやロイヤル・カリビアン・クルーズなどの会社が多くの客船をカリブ海クルーズに就航させた。
その一方で、旅客機の台頭で北大西洋における定期航路は廃止の一路を辿り、1960年代にはキュナード・ライン(キュナードがホワイト・スターを吸収合併)も経営不振に陥った。1998年には経営悪化などを理由にアメリカのカーニバル・コーポレーションの傘下に入った。
日本では1960年代に移住客船を保有する会社が登場し、1975年にはクイーン・エリザベス2(キュナード・ライン所有)の横浜寄港などでクルーズや客船に注目が集まり、さんふらわあなど海外の客船から影響を受け建造されたフェリーも登場した。
また、1973年には商船三井客船の「にっぽん丸」(初代)が日本の客船で初めて世界一周クルーズを実施した。
1989年、日本郵船が「飛鳥」を就航させ客船事業に再参入した他、商船三井客船が「ふじ丸」を就航させた。
1990年に日本クルーズ客船が「おりえんとびいなす」を、1998年には「ぱしふぃっくびいなす」をそれぞれ就航させた。
2000年代以降-大型・豪華客船の時代
2000年代に入ると客船の大型化が再び始まり、2000年代当時は10万トン未満の客船が主流だったのに対し、現在では10万トン以上の客船が数多く就航している。
現在最も総トン数が大きい客船は、ロイヤル・カリビアン・クルーズが所有する「シンフォニー・オブ・ザ・シーズ」で、総トン数は22万8,081トンである。
20世紀を代表する客船と言われる「クイーン・エリザベス2」が約7万トンであることから、ここ数十年の間に大型化が進んだことが分かる。
その一方で同時多発テロや2020年のコロナ大流行によって旅客需要が大幅に減少。数多くの会社が廃業に追い込まれ、1980代に登場した7万トン代の初期型が解体に追い込まれている。
大型化が進んだ理由として、1980年代にカリブ海においてロイヤルカリビアンが7万トンのソブリン・オブ・ザ・シーズを就航させたところ、客船を大型にすればするほど収益が倍増する上にコストも減ることが判明したからである。この時期に迷わず大型客船を大量就航させたカーニバルが覇権を握る要因となり、ブロック工法で大型客船を建造しやすくなっていることが、大型化に拍車をかけることとなった。
また、船内で乗客にお金を使ってもらうための仕掛けを増やしたことも大型化の理由の1つで、ウォータースライダーなどの巨大アトラクションを設置した客船も登場している。
ただし、大型化ゆえの事故も発生している。(2012年のコスタ・コンコルディア座礁事故など)
しかし日本ではそのような傾向は見られず、2006年から日本郵船が就航させている「飛鳥Ⅱ」も日本最大の客船ではあるが、総トン数は約5万トンで海外の客船と比べると小型である。
日本では10万トン以上の客船が停泊できる港は主に大都市やその近辺に遍在しており、小型の客船の方が多くの港に停泊できるため、日本の客船は大型化しなかったと考えられる。
更にいえば、日本船籍の船は他国籍の船よりも費用がかかるが、日本はカボタージュ、他国籍の船が国内だけで完結する航路を組むことを禁止している制度をとっている。他国なら採用している制度であるが、カリブ海諸国間の航路では国際航路を組むのが容易なのに対し、日本は台湾と韓国に限定されてクルーズ人口が伸びないのも原因の一つである。
2010年代に入ってからはアジア地域からのインバウンド客を顧客層とした大型客船の就航が増えており、対応できる岸壁の整備を図る港も増えている。
2004年、三菱重工長崎造船所で「ダイヤモンド・プリンセス」と「サファイヤ・プリンセス」がそれぞれ竣工し、「アイーダ・プリマ」が2016年に竣工するなど、海外の大型客船が日本で建造される例も出てきた。
ただし、三菱重工業長崎造船所(2018年に分社化され三菱造船)はコスト面等から大型客船の建造を見合わせるとの報道も有り、前述の「飛鳥Ⅱ」の後継船も含め状況は流動的になっている。
主なクルーズ会社
日本
日本郵船
商船三井客船
日本クルーズ客船
海外(内)は本社のある国
カーニバル・コーポレーション(米)
ロイヤル・カリビアン・インターナショナル(米)
ノルウェージャン・クルーズライン(米)
プリンセス・クルーズ(米)
コスタ・クルーズ(伊)
キュナード・ライン(英) ※カーニバル・コーポレーション傘下
アイーダ・クルーズ(独) ※コスタ・クルーズ傘下
その他
船名
会社によって、自社の客船への命名規則を決めているところが多い。
・カーニバル・コーポレーション→カーニバル・〇〇〇
・プリンセス・クルーズ→〇〇〇・プリンセス
・ロイヤル・カリビアン・インターナショナル→〇〇〇・オブ・ザ・シーズ
・キュナード・ライン→クイーン・〇〇〇
など...
関連項目
寝台特急:日本等において客船と同じような経過(輸送手段から旅の目的へ)を辿りつつある。