説明
「艦隊これくしょん」に登場する練習巡洋艦の鹿島と、深海棲艦の飛行場姫との敵味方を超えたカップリング。
最後の海軍大将・井上成美提督とのつながりからきているが、鹿島の名を継いだ海上自衛隊の練習艦3代目「かしま」と、飛行場姫のモチーフ元とされるルンガ飛行場の現在の姿・ホニアラ国際空港がともに旧日本兵の遺骨帰還事業で拠点になったことにも由来している。
イラストそのものは、本記事作成の時点ではわずか2点きりと少ないが、今後の発展が期待できるカップリングである。
最後の海軍大将が結んだ両者
旧海軍の2代目鹿島と、ルンガ飛行場との共通点としては前述のとおり、井上提督とのつながりがある。
鹿島はアジア太平洋戦争開戦時に井上提督が座乗し、第四艦隊司令長官として将旗を掲げた。かつて軍令部の横暴に盾突きクビになりそうになった井上提督は、開戦前には航空本部長として軍令部の軍備計画を「明治の頭」とこきおろし、さらに海軍の航空兵力整備の遅れから「米国と戦争をしてはならない」と強く主張する。その結果海軍省からは厄介払いされるが、彼の反骨心は、開戦直後、権限拡大を求める軍令部の先鋒でもあった南雲忠一の恫喝に対し、遺書を見せてまで抵抗したほどである。その実、自称戦下手ではあったが部下からの信頼は厚かったのである。
井上提督はその後、海軍兵学校の校長に左遷されたが、ここで教育者としての適性が芽生え、生徒に少しでも丁寧な教育を施そうと尽力、兵科将校の教育と機関科将校の教育を一元化する改革も成し遂げた。
この井上提督が第四艦隊時代に残してしまった大きな置き土産こそが、後述のルンガ飛行場、つまり現在のホニアラ国際空港である。
ソロモンに進出しなかった史実の先代鹿島
鹿島は開戦直前より一時的に軽巡洋艦の扱いとなり、第四艦隊の旗艦を務めていた。この第四艦隊は、パラオ諸島、マリアナ諸島、トラック環礁、マーシャル諸島、ギルバート諸島、ウェーク島を管轄していたが、当初はラバウルからソロモン諸島まで管轄する予定になっていた。
しかし、あまりに管轄海域が広すぎたため、実際には鳥海を旗艦とする第八艦隊(外南洋部隊)が南太平洋・ソロモン諸島担当を務めており、実際に鹿島がソロモンに進出することはなかった。
その後は1943年11月まで複数回トラック泊地に進出し、1944年からは内地に戻り練習艦に復した。このとき、トラック空襲で姉艦の香取を失っている。
そして呉で終戦を迎え、復員任務に従事することになる。
史実のルンガ飛行場
ソロモン諸島共和国の首都にあるホニアラ国際空港は、元々は1942年7月6日にガダルカナル島に上陸した日本海軍設営隊が「ルンガ飛行場」として建設したもので、8月5日には第一期工事を完了、16日には戦闘機を派遣する予定にあったものの、わずかな守備隊しかいなかったこともあり、建設完了の翌々日、米軍の10,000名もの海兵隊による上陸作戦により、完成したばかりのルンガ飛行場は瞬く間に占領されてしまう。この日からルンガ飛行場は米軍によって「ヘンダーソン飛行場」と名前を変えられ、かつての味方だった日本軍へ牙を剥くことになる。
戦後しばらくたって軍用機の配備がなくなり「ヘンダーソン国際空港」と改称したが、2000年にソロモン航空のハブ空港として、ヘンダーソン国際空港を改め現在のホニアラ国際空港とした。
そして両者は出会う
先の大戦中にソロモン国で散華した旧日本兵の遺骨の帰国事業においては、従来はホニアラ国際空港からの、厚労省のチャーター機による空路が用いられていた。
練習艦「かしま」がガダルカナル島に入港したのは2014年。遠洋航海を終え日本への帰途についていた「かしま」は、ソロモン国全土より収集された日本兵の遺骨137柱を艦内へ導き、彼等の71年ぶりの帰国を実現させた。これは旧海軍の流れをくむ海自として初めて行われたものでもある。
艦これ的に解釈すれば、武装解除し、首都の空の玄関口として「浄化」された(元)深海棲艦・飛行場姫と、かつての練習巡洋艦・鹿島の名を継いだ当代の「かしま」とが世代を超えて出会ったともいえる。
関連タグ
かしま(3代目)
伊26・・・鹿島最後の艦長・横田稔大佐は、この伊26潜に座乗していた当時、空母サラトガを撃破するなどした実績の持ち主でもある。