アポピス
あぽぴす
アポピスは太陽神ラーの最大の敵で、混沌、破壊、夜の闇を象徴する存在である。アポピスに関する記述はエジプト第1中間期(紀元前2180~2040頃)から見られるとされ、後に砂漠の神セトと同一視されている。
アポピスは創世に先立って存在した原初の水(ヌン)の中に時の始まりからいたとも、女神ネイトがヌンに唾を吐いたことで生じたともいわれ、〝ヌンを飲むもの”という呼称を持つ。
そして、創世を経て秩序を得た世界を混沌の領域に戻すため、アポピスは夜ごとに冥界を旅するラーの太陽の舟を襲撃し続け、〝砂州”と表現される自身のとぐろで太陽の舟の運航を妨げ、冥界の川の水を飲み干して座礁させようとする。
ラーとアポピスの争いは両者とも完璧な勝利を収めることのない永遠に続くものであり、他の神々のみか再生の旅につく死者も交えたアポピスとの戦いが「棺の書」や「下界(アム・デュアト)の書」などの多くの説話に記されている。
特に「死者の書」第17章には太陽を象徴するシカモア(ペルセア)の木の下でとぐろを巻くアポピスをヘリオポリスに住むラーの大いなる雄猫が殺す内容が書かれており、第20王朝時代のインヘルカの墓にはその場面を描いた壁画が存在する。
また、同一視されるセトは太陽の舟の舳先に立ってアポピスを迎え撃つ重要な存在として扱われ、ラーと舟に随行する神々がアポピスの凝視によって体をすくませて無力化していく中でセトのみが耐え切って槍の一撃でアポピスを撃退するという逸話や、エジプト第21王朝時代のパピルスにはセトがアポピスに槍を突き立てている挿絵がある。
当然ながら他の神にとってもアポピスは敵対する存在であり、「門の書」においてはネイトやイシスなどの神々によってアポピスが網に捕らえられ身体を切り刻まれている場面が書かれている(後にイシスはアポピスの上司的な立場となる)。
時にアポピスは太陽の舟を飲み込んでしまうために日食が起こるとされ、また夕焼けが赤く染まるのはアポピスがラーに打倒されたためだと言われていた。
アポピスはヒエログリフや壁画、葬祭文書などの図像において蛇として描かれるが、名の意味が示す通り幾重にもとぐろを巻いた長大な姿で表現され、その体長は「死者の書」において50キュビット(約26m)とも30キュビット(約16m)と記されている。
ほとんどの場合、アポピスは拘束されたり斬られたりした姿で描かれ、インヘルカの墓の壁画をはじめとしてナイフで殺されている絵がほとんどである。さらにアポピス本体のみか、〝アポピスの眼”と呼ばれる象徴物の球を王が打つという場面でアポピスへの攻撃を表現する壁画まで存在する。
上記の太陽の運行を阻む魔物としてのイメージ以外にもアポピスは災厄をもたらす存在としての性格が与えられており、新王国時代にはアポピスの力を退ける儀礼呪術の集大成として「アペピの書」が編纂されている。
時代が下って末期王朝時代になると神殿では日々アポピスの脅威に対抗する典礼書が読まれ、蝋で作られたアポピスの像が神話のように切られて火の中に投じられ、パピルス片に蛇の絵を描いてそれに唾を吐いて火に焼くという儀礼が行われたという。
なお、オシリスが信仰の中心になった後は本来ならセトの敵であるアポピスはホルスに仕え彼を支える聖獣扱いされるべきなのだがそれに関しての記述は存在せず、おそらくアヌビスがその役割を担ったのだと思われる。
アポピスは完全な敵対者として王家・民間信仰いずれでも邪悪なる諸力の根源として扱われているが、先述の太陽の舟を飲み込む行為は後に太陽を必ず吐き出すという結末に至る『復活』の比喩とされ、罪深い死者に罰を与える存在としても認識されていた。
また、「洞窟の書」では冥界において主君と言えるオシリスや本来は仇敵のラーを守護するという役目が与えられており、アポピスは再生や更新と結びつく存在でもあるのだ。