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アンドレア・ピルロ

あんどれあぴるろ

イタリア出身の元サッカー選手。高度な技術と戦術眼を併せ持ち、中盤の底でゲームを組み立てるレジスタと呼ばれるポジションを確立させた選手。

1995年に地元ブレシアでプロ選手としてのキャリアをスタートさせる。当時はトップ下としてプレーしていた。そこで活躍し、1998年に強豪インテル・ミラノへ移籍。

だがトップ下としては線の細いタイプであったピルロはインテルでは出場機会を与えられず、1999年にレッジーナ、2001年に古巣のブレシアへとレンタル移籍をする。当時のブレシアにはジョゼップ・グアルディオラが在籍していたが、故障がちで満足にプレーできていなかった。監督のカルロ・マッツォーネはその代役にピルロを抜擢し、アンカーの位置に配置される。これが彼の大きな転機となる。


2001年、インテルのライバルクラブであるACミランへ移籍。だが当時のミランにはポルトガル代表マヌエル・ルイ・コスタが在籍しており、ピルロは出場機会を得られなかった。監督がファティ・テリムからカルロ・アンチェロッティに代わっても状況に変化はなく、ピルロはアンチェロッティにアンカーのポジションでの出場を直訴する。ブレシアでの経験を知っていたアンチェロッティはそれを承諾し、ピルロをアンカーへと配置、これが大当たりとなる。


トップ下ほど相手のプレッシャーが厳しくないアンカーのポジションでピルロの攻撃センスと技術は遺憾なく発揮された。当時はまだアンカーは守備のポジションと認識されていたが、ピルロの活躍によりアンカーのポジションでゲームメイクをする選手「レジスタ」が広く知れ渡ることになる。懸念された守備面での不安はジェンナーロ・ガットゥーゾクラレンス・セードルフといった守備に不安のない選手をともに配置することで解決された。


その後ユベントス、アメリカのニューヨーク・シティでプレーし、2017年11月に現役を引退した。

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