概要
イスファンディヤール、(Esfandiyār、Espandiyār、アヴェスター:Spəntōδāta- 、中東ペルシャ:Spandadāt 、ペルシャ:اسفندیار、シャー・ナーメ:Asfandiyar)。イラン神話の英雄。叙事詩『シャー・ナーメ』に登場する不死身の王子。
カヤーニー朝第5代王グシュタースプとカターユーンとの間の息子。38人兄弟の長男。その容姿は真っ直ぐなヒノキの幹に例えられる。野心家であり、グシュタースプとは王位について揉める。
勇者ザレールを筆頭に多くのイランの英雄がアルジャースプとの最初の戦いで殺されたことから、グシュタースプは「敵を倒して国から追い出すことができれば、イスファンディヤールに王位を与える。」と心の底からイスファンディヤールに誓った。しかし、イスファンディヤールは大勝利を収めたが、グシュタースプは結婚相手にオマーイという女性を与えたり、褒め称えたりはするものの約束である王位は譲らなかった。その後もグシュタースプは王位を譲るという条件で何度もイスファンディヤールに命令を下し、イスファンディヤールは何度も命令を遂行するが約束は守って貰えず、アルジャースプの首を切り落とす戦果をあげても王位が譲られることは決してなかった。
預言者ザラスシュトラを支持した古代イランの神聖な戦士であり、ゾロアスター教の宗教を広めるために戦う。その見返りにザラスシュトラは彼に鎖と不死の肉体と神の祝福を与えた。青銅の肉体は彼を無敵にし鋭いナイフでも傷つけることが出来ないとされ、鎖は悪魔や邪悪な魔術師でさえも拘束する力を持つ。神の祝福によりイスファンディヤールを傷つけた者は死ぬまで、そして死後も地獄で非難される呪われた人生を歩むことになる。
イスファンディヤールは、ロスタムの「七道程」に比肩する七つの難行を達成している。また、ロスタム(老いていて全盛期ではないが)とラクシュに重傷を負わし撤退させる実力を持つ。ロスタムと同様に彼の武勇伝は絵画となっており、アメリカのウォルターズ美術館などで展示されている。
イスファンディヤールが扱う剣はシミター(中近東の刀剣)、剣の他に弓矢やメイス、グレイブ、二頭馬の戦車(荷車を木製の箱で覆い、槍などの武器を取り付けた戦車)を扱う。
聖水に浸かったことにより青銅の肉体を得ているが、眼だけは青銅に覆われておらず、タマリスクの木の枝から作られた特別な双頭の矢を目に撃たれることが弱点とされる。
名前のイスファンディヤール(Espandiyār)は「聖なるものによって与えられた」(スプンタアールマティによって与えられた)という意味を持つ。
イスファンディヤールの『七道程(ハフトハーン)』
イスファンディヤールは、イランとトゥーラーンの戦争中にアルジャースプ王に捕らえられた2人の姉妹を救出する途中で数々の試練を乗り越えることになる。イスファンディヤールは、姉妹が投獄されていたトゥラニアの要塞であるブレゼンホールドへ行く際に最短だが最も危険な道程を選んだ。
- 第一道程:二頭の狼討伐
- 牙のような一本の角が生えていて、かつ象のような体の、雄と牝の二頭の狼。イスファンディヤールは弓を引き絞り矢を雨のように降らせて狼を弱らせ、二頭の狼の頭を叩き斬った。そして、この勝利を与えてくださった世界の主に祈りを捧げた。イスファンディヤールは神に言う「公正な裁定者よ。あなたは私に叡智、力、恩寵を与え給うた」。
- 第二道程:二頭の獅子を討伐
- ワニが遭遇するのを避け、鷲も通り道を飛ぼうとしない程、恐ろしい二頭の雄と雌のライオン。次の道程で、二頭のライオンが貴様を襲うだろうと言ったグルグサールに、イスファンディヤールは心で軽く笑い「無能なトルコ人よ!明日、勇敢な男がシミターでライオンに挨拶するのを見るだろう。」と言って見せる。次の日、イスファンディヤールは宣言通り雄のライオンの首を剣で斬り落とすと、それを見た牝ライオンは頭から爪先まで恐怖に満ちてしまう。そして、動揺して怯んでいる牝ライオンも難なく討伐される。
- 第三道程:龍の討伐
- 火炎を吐き毒煙を出すドラゴン。イスファンディヤールは二頭馬の馬車(戦車)を丁寧に作り、その戦車に乗り龍と戦う。龍の食道に剣を刺し血が海のように流れ出る、しかし、刺した剣を抜くことが出来ず、龍を戦車に乗せたまま少しづつ弱らせた。そして、獅子の如き握力でグレイブを握り、それで龍の脳を叩き斬り討伐する。しかし、龍が撒き散らす毒の煙により気を失い、山を転げ落ちてしまった。その後、駆けつけた兵隊達に水をかけられ意識を取り戻し、流水で頭と体を洗い、神に感謝した。
- 第四道程:魔女の討伐
- 頭と髪が雪のように白く顔が黒い魔女。グルグサールは明日、魔女が貴方のところにやって来て、彼女はその無数の兵士達ごとお前を滅ぼすだろうと語り引き返せと言う。しかし、イスファンディヤールは「明日、貴様が見たことを私に教えてくれ、全能の神の力を借りて、魔法を防いでみせよう。」と応える。イスファンディヤールは牧草地に辿り着くと、馬から降りて歌った。そして、彼の歌を聞き美しい魔女がやってきた。魔女はワインでイスファンディヤールを酔わせようとしたが、イスファンディヤールは魔女を鎖で縛る。鎖で縛ったあと、魔女は醜くなり、イスファンディヤールは魔女の頭を剣で斬って倒した。
- 第五道程:シームルグの討伐
- 第六道程:吹雪を三日間耐え抜き生還する
- 槍の長さくらいまで積もるとされる降雪と木々を平らにする程に荒れ狂う暴風が待ち受け、それらを越え次の道程である平原に辿り着いたとしてもそこには一滴の水もない埃や砂が乾燥した荒野が待ち構えているとされる。暗い雲から雪が吹き荒れ、大地は雪と荒れ狂う暴風で満たし、夜間の砂漠の風は三日間も怒り狂う、これに立ち向かうイスファンディヤールと兵士達は両手を挙げて神に祈りを捧げた。すると暴風はそよ風になり、雲は消え、天気は穏やかになった。そして、彼等は神に感謝した。
- 第七道程:大河を渡りグルグサールを殺害する
- 今までの道程の試練を出していた張本人であるトゥーランの将軍グルグサール(Gurgsar)の討伐。イスファンディヤールは巨大な川を目の当たりにし、水すらない灼熱の荒野と言っていたグルグサールがわざわざ川を作ったことに怒る。グルグサールは笑ったが、彼に見つめられ鼻白む。イスファンディヤールは怒りを表に出さずに言う、浅瀬になっているところを教えるのなら親族は許してやると。グルグサールは思わず許してくれと懇願するが、イスファンディヤールは、川を越え、グルグサールを捕らえ、剣で殺害する。
「シャー・ナーメ」で記述されている正式なタイトル
- THE FIRST STAGE How Asfandiyar slew two Wolves
- THE Second STAGE How Asfandiyar slew two Lions
- THE THIRD STAGE How Asfandiyar slew a Dragon
- THE FOURTH STAGE How Asfandiyar slew a Witch
- THE FIFTH STAGE How Asfandiyar slew the Simurgh
- THE SIXTH STAGE How Asfandiyar passed through the Snow
- THE SEVENTH STAGE How Asfandiyar crossed the River and slew Gurgsar
(IrajBashiri著のシャー・ナーメから)
ロスタムとイスファンディヤールの戦い
700年生きたロスタムはザーブリスターンに帰ったあとも陰謀に巻き込まれる。
グシュタースプ王の治世。彼は野心的な王であり、ロスタムの一族が国内の富の大半を有していることが気に食わなかった。そこで、新進気鋭の英雄である我が子、イスファンディヤールに、ロスタムを鎖で繋いで王座の前に引っ立てることを命じる。これは、イスファンディヤールに王位を譲るという話を守りたくなかったというのもあり、どちらに転んでもグシュタースプの得になる。
最初ロスタムとイスファンディヤールは互いに認め合う仲であり、話し合いは穏やかに進むかと思われた。しかし、イスファンディヤールの剛直さと度重なる誤解により、2人の仲は決裂してしまう。老人と若者は死力を尽くして戦うが、勝負は若き英雄イスファンディヤールの手にもたらされ、全身にいくつもの矢が刺さったロスタムとラクシュはその場から離脱した。ロスタムの父ザールは再びシームルグを呼び、息子を癒してもらう。その際、シームルグはイスファンディヤールを傷つける者は、破滅の未来が待っていると助言する。そして、彼と再び交渉するように論すが、それと同時に交渉が決裂した際に彼を殺す方法も教えた。
ロスタムはイスファンディヤールとの交渉に再度臨んだ。しかし、聞き入れてもらえないと分かりロスタムはイスファンディヤールに向けて弓を引き絞り、タマリスクの矢をつがえ言う。
「太陽の主よ。そして叡智、恩寵、力を与えたもう満月よ!純粋さに満ちている私の心を、私の精神と自制心を、私がイスファンディヤールとの戦いを避けるために尽力したことを御照覧あれ。月と水星の創造主よ!汝は彼の主張が不当であり、そして、彼と私が取り引きをすれば武勇を持って戦うことになることは分かっていたことでしょう。ならば、彼を殺めても天罰をくださないでください。」
イスファンディヤールはロスタムが躊躇していることに気づき、彼に言う。
「かの高名なロスタムよ!お前の魂は戦いに嫌気がさしている。しかし、今汝の矢は確かに標的を捉えている。」
ロスタムはシームルグの助言に従い、魔法をかけたタマリスクの矢を目に向けて放った。二股の矢はイスファンディヤールの唯一の弱点である両目を同時に射ぬき、彼の世界は真っ暗になった。真っ直ぐなヒノキの幹が曲がるように敬虔な王子の身体は、うつ伏せに倒れ、叡智と恩寵は彼を見捨て、手からチャクの弓が落ちた。
最期にイスファンディヤールはグシュタースプへの苦言を残して息を引き取った。
彼の死は国中の人々に大いに嘆き悲しまれた。
もっとも、魔術を用いた騙し討ちの勝利は、ロスタムの名誉を深く傷つけ、これを恥じたロスタムは、彼の遺児バフマンを引き取ると帝王学を教え込んだ。
余談
- 第二道程は、「シャー・ナーメ」やペルシア語記事では「二匹のライオン」、フランス語記事では「複数のライオン」、「Yarshater, Ehsan. "ESFANDĪĀR (1)"」というイラン百科事典では「two redoutable lions(2匹の手強いライオン)」、王書の絵画にもライオンと戦うイスファンディヤールが描かれている(絵画によって描かれるライオンの数は異なる)。
- ネットで第二道程を「ライオンを食べる2人の男」としているのを見かけるが、これは間違いである(第二道程が「男2人」になっているパターン自体存在しない)。恐らく、イスファンディヤールのWikipedia(英語)にある「Slaying two man eating lions.」が機械翻訳だと「ライオンを食べる二人の男を殺す。」と翻訳されてしまうことからと推察出来る。この英文はmanが単数形なのでtwoは複数形のlionsにかかっている。「man-eating lion」は“人食いライオン”と訳すことが出来るので、「two man-eating lions」だと“二頭の人食いライオン”となる。つまり、「Slaying two man eating lions.」は“2頭の人食いライオンを退治する。”と訳すのが正しい。
- イスファンディヤールの龍退治についてだが、イスファンディヤールのドラゴン退治の絵画に描かれているドラゴンは、翼がなく、胴が蛇のように長いといった、典型的な東洋のドラゴンに見た目が近いため「龍」と記述。英語では竜と龍どちらもDragonである。
- イスファンディヤールは七道程の中で龍殺しをしているが、父親のグシュタースプも過去にドラゴン殺しをしている。
- シームルグは善と悪で2羽存在するとされ、ザールを育てたシームルグは善で、イスファンディヤールが戦ったのは悪とのこと。
- 「Yarshater, Ehsan. "ESFANDĪĀR (1)"」内の記述でも七道程の内容は「狼」、「獅子」、「ドラゴン」、「魔女」、「シームルグ」、「猛吹雪」、「広大な水を渡る」となっている。
- もともと、グルグサールが予告した7つ目の試練は、「一滴の水もない埃や砂が乾燥した荒野で渇きに苦しむ」だったのだが、グルグサールがイスファンディヤール軍を食い止めるためにある筈のない川を作ったため、第七道程は大河に変わる。タイトルも「THE SEVENTH STAGE How Asfandiyar crossed the River and slew Gurgsar(第七道程 イスファンディヤールが川を渡り、グルグサールを殺害した方法)」となっている。ペルシャ語版ではタイトルを砂漠としているが、内容はそのままでイスファンディヤールが突破した試練自体は大河越えである。