カコイーシーズ
かこいーしーず
イギリス生まれの元競走馬で、名前の由来はラテン語の「Cacoethes」(抑えがたい衝動)。引退後は日本で繋養されていた種牡馬。父Alydar、母Careless Notion、母父ジェスター。
1988年にデビュー。だがこの年は1戦のみの出走で、アスコット競馬場10月のオータムステークスに出走し、ナシュワンから5馬身半差離された3着だった。
1989年、この年の初戦は、4月24日のプリンセスオブウェールズグラデュエーションステークスであった。この競走で1番人気に支持され、2着馬に7馬身差をつける圧勝で初勝利を挙げた。続くダービートライアルステークスではそれまで無敗できたプライベートアーミーが1番人気になっていて、カコイーシーズは2番人気であった。この競走でカコイーシーズは終始先頭を譲らず、2着のプライベートアーミーに4馬身差をつけて重賞初勝利を挙げた。同年6月7日、ダービーステークスでは、ナシュワンに敗れ3着だった。 ダービー後のキングエドワード7世ステークスでは、パット・エデリー鞍上のもと2着馬に3/4馬身差をつけて制した。続くキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスに挑むが、再びナシュワンに今度はクビ差で及ばず2着だった。さらに続くインターナショナルステークスも2着で、凱旋門賞では14着という大敗だった。
4歳(旧暦5歳)になったカコイーシーズは、1990年4月のグレアムステークスにて4着、2年連続出走となったキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスも4着、2か月間隔を空けて出走したカンバーランドロッジステークスで2着と勝ちきれなかった。その後アメリカに遠征し、遠征初戦のターフクラシックを制しG1初勝利を挙げた。しかし続くブリーダーズカップターフでは9着だった。11月にはジャパンカップに出走するために初来日を果たし、中央競馬初出走となったレースでは、3番人気で3着となり、このレースを最後に競走馬を引退することになった。
引退後は日本で種牡馬入りし、コンサートボーイやエスプリシーズ、ピエールタイガーなど地方競馬を中心とした、成果での活躍馬を輩出した後、2007年限りでシンジケートが解散されたが、健康状態や受胎率などは問題がなく引き続きトヨサトスタリオンセンターで種牡馬を続けることになった。
2009年心臓麻痺により死亡した。